第33話.佐藤さんとの会食(1)
連休の合間の最終日の木曜日と言うこともあり、仕事は比較的ゆったりしている。
コード書きも一段落したので、仕事中だが、俺はこれまでのこと、及び今夜のことを考えていた。
株式会社童貞に誘われた。それがすべての始まりだと思う。
謎の占い師が出てきて、女難の相だと告げられた。
そして、トラブルや、突然のモテ期がやってきた。何が何だかわからないうちに、ここ数日は濃い日々を過ごしている。
ヘタレ童貞の俺に、女性二人が言い寄ってくるなんて、考えても見なかった。それに加えて、この前は、未遂とは言え、女性をベッドに連れて行ったのだ。
半年前の俺に、こんなことが起こるよと言ったら、あるわけないだろと言って笑うか、あるいは馬鹿にするなと言って、逆上して怒っていただろう。それぐらい信じられないことなのだ。
仕事にしてもそうだ。
株式会社童貞に転職する選択もあれば、カワダッシュへ行く選択肢もある。
今の会社に残って穏やかに過ごす選択肢があるかどうかよくわからない。
後は、この会社を継ぐと言うのも、断ったとは言え、全くないわけではないだろう。
まぁ、あの占い師が言ったように、女性についてどうするかを決めてしまえば、それに従って、就職の話は決まっていくのだと思う。
それにしても、本当に不思議だ。どうやって童貞を捨てるかというのが、なぜかその後の人生にも影響して来るのだ。
今夜は佐藤さんに会うけど、今夜彼女と同衾するわけではない。今夜は、自分の気持ちを伝えるだけだ。
ただ、どう伝えるかによって、今後の関係は変わる。
今夜は、やりたいだけで突っ走るわけでは無いので、どういう言い方がいいかも考えなければならない。
とりあえず今夜は、事情説明して、信じてもらうしかないな。
あぁ、だけど、株式会社童貞のことを軽々しく他人に言うわけにはいかない。その辺をぼやかしながら、うまく説明しないとな。
あれこれ考えているうちに、夕方になった。明日からまた四連休だ。
俺は、皆に声をかけ、6時ぴったりに会社を出た。
佐藤さんと待ち合わせた場所は、静かな日本料理店だった。
和服を着た女性に個室に通される。
佐藤さんは、やはり仕事の帰りだろう。シックなビジネススーツなのは、普段通りだ。
「お待たせしました。」俺が言う。
「いえ、時間通りですよ。私が早く来てしまっただけです。」佐藤さんが答える。
「お飲み物はビールで良いですか?」佐藤さんが聞く。
「そうですね。最初はとりあえずビールでお願いします。」
佐藤さんはうなずいて、呼び出しボタンを押し、店員を呼んで、ビールを2本頼んだ。
店員さんがビールの栓を抜き、俺と佐藤さんに注いでくれる。
俺たちは乾杯した。ビールの心地よい苦味が、喉に染み通っていく。
「そういえば、『とりあえずビール』と言うのは、今の若い人の中では流行らないようですね。」
俺は言う。
「そうですね。若い人たちは、完全にアルコール飲まない人も多いし、飲むとしても、ビールは嫌だからと言って、最初からハイボールとか、カシスオレンジとかを頼む人もそれなりに多いですね。」
「やっぱりそういうもんなんですかね。
昔は、『お前ら全員ビールでいいな』と言って、仕切られてしまって、ビールをとりあえず飲むところから宴会が始まったんですけどね。」
俺が言う。
「今は何でもハラスメントですからね。アルハラ、アルコールハラスメントなんて言う言葉もよく使われます。今の私の雑誌は硬派なのですが、ハラスメントをする側の人たちがそれなりに読んでいるので、時々記事が載ります。
前にいた女性誌何かでは、たびたび、セクハラ親父の撃退法とか、アルハラ回避についてみたいな特集が組まれたりもしますよ。」
と、彼女が答える
「住みにくい世の中になったもんですね。」俺はしみじみと言う。
「でも、それで救われている女性とか、弱者もそれなりに多いんですよ。感謝のメールや手紙もたまにいただきます。」
「まぁ、それはそうですね。」俺も同意する。
俺はあまり経験がないが、学生時代の友人とかで、普通に大学を出て就職した奴らは、社会人になってすぐ、宴会でかなり飲まされて、ひどい目にあったこともいろいろあったようだ。
和香なんかも、社会人になって、いろいろセクハラとかされたのかなあ。
「田中さん?」
佐藤さんが俺に声をかける。
あ、まずい。もしかして、また表情を読まれてしまったかもしれない。
佐藤さんに説明に来たのに、その場で他の女性のことを考えると言うのは、さすがに失礼すぎる。
俺は、和香のことを頭の中から追い払った。
それがわかったのだろう。それ以上の追及はなかった。
「コース料理を頼んでいますが、何かお嫌いなものとかありましたか?」
聞かれたので、
「いえ、特に好き嫌いはありません。あ、いや好き嫌いがないと言うと語弊がありますかね。好きなものはたくさんありますが、食べられないものは特にはありません。」
そう言うと、彼女も安心したようだった。
小鉢や刺身が運ばれてくる。
見た目も綺麗だし、味もおいしい。
ビールはすぐになくなった。
「次もビールにされますか、それとも、日本酒とかにしますか?焼酎もありますよ。」
お店の人が聞いてくる。
あまり飲み過ぎてもいけないけどな。もう少しアルコールを摂取してから本題の話をしたい。
「佐藤さんはいかがですか?」
俺は聞いてみる。
「私は、冷酒にしようかと思います。
ここには、私の好きなお酒があるんです。よろしければご一緒いただけませんか?」
佐藤さんって、実はかなり呑み助なのかな。コース料理にも、いかにも日本酒のお供になりそうなものが揃っている。
「では私も冷酒にさせてください。」俺は答える。
佐藤さんは、店員に言う
「惣誉(そうほまれ)を冷やしたのでください。」
「どこかの地酒ですか?」
俺は言う。
日本酒にそれほど詳しいわけでもないので、聞いたことがない。
「ええ、栃木で作っている日本酒です。
社長さんが、実は東大卒なんですよ。
それで、東大のキャンパスでお土産に売っている東大ブランドのお酒もこちらで作っているそうです。」
へー。大学ブランドの酒なんていうのがあるのか。しかも東大で?世の中知らないことが多いなぁ。
お酒がやってきた。
お互いに注ぎ合い、口に含む。
爽やかで、芳醇な香りが口に広がる。
冷酒って、ものによっては、味をごまかすために冷やしてるようなものもあるみたいだけれども、これは本当においしいな。
日本酒に詳しくない俺でもはっきりわかる。さすが東大。
「おいしいですね。」俺は言う。
「ええ、私のお気に入りです。」
彼女はちょっと胸を張る。
ただ、そのボリュームは、みさきとは…。
いかんいかん。他の女性のことを考えてはいけない。すぐ顔に出るんだから俺は。
俺は思わず首を左右に振る。
「どうかされましたか?」
佐藤さんが怪訝そうに聞く。
「いえ、何でもありません。お酒がおいしいと、首を左右に振りたくなるんです。」
と、俺は苦し紛れにわけのわからないことを言う。
佐藤さんは笑い出した。
「田中さん、言い訳としても、それはあまりに無理がありますよ。
でも面白いので、それ以上の追及はしません。」
ばれてーら。
いかん。これでは、例の話を切り出せない。
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