第24話  社長宅訪問


連休2日目の日曜日だ。


昨夜の「おやすみなさい」スタンプは既読スルーされたが、俺は佐藤さんあてに、今朝も「おはようございます。いい天気ですね。今日は社長に呼ばれたので行ってきます。


明日はよろしくお願いします。」

やはり既読スルーだが、まあ大丈夫だろう。




俺は、予定通り社長の自宅に向けて出発する。


手土産としては、昨日買ったクッキーの詰め合わせだ。

スーツを着て、一番良いネクタイをして、靴も磨いてハンカチちり紙も持って(笑)社長宅へ向かう。


会社からそれほど遠くない、住宅街の一角に、大きな邸宅があった。

表札に、大きく 『洞地』(うろち) と書いてある。


間違いなく社長の家だな。俺は、緊張しながらインターホンを押した、


スピーカーから、女性の声が聞こえた。


「どちら様でしょうか。」


「田中と申します。本日お招きいただいて伺いました。」


「…少々お待ちください」


中から出てきて、ドアを開けてくれたのはスーツを着た、妙齢の女性だった。

きちんと化粧している。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」


彼女はそう言って、家の中に通してくれる。


なぜか、俺と目を合わさない。


入ってすぐに、手を洗わせていただいた。

そのほうがいいだろうと思ったからだ。


そして、リビングに通された。

中に、ラフな格好の社長がいた。


社長は、鷹揚に手を挙げた。


「おお、田中君、いらっしゃい。なんだ、スーツなんか着込んで。休みの日なんだし、もっと楽な格好でよかったのに。」 


そう言って、社長は笑う。髪の毛は白いものが多く薄い。苦労を象徴しているようではある。


楽な格好でなんて、下の者が、そんなことできるかよと。俺は内心毒付く。


昨夜、もらった資料を読み込んで辞表も準備した。俺はどんどん腹を立てていたのだ。


だから、今日は、いろいろ本音をぶっちゃけようと思う。


辞表を出すかどうかは、その後だ。


とりあえず、リビングのソファーに座らせてもらう。

社長の横に、さっきの女性も座った。やはり俺と目を合わせない。


年齢はやはり俺とあまり変わらないくらいかな。


短めの髪だが、きちんとセットされている。

全体的に「コンパクトなやり手ビジネスウーマン」という印象だ。



俺は再度立ち上がり、挨拶する。


「社長、本日はお招きいただき、ありがとうございました。


こちらはお嬢様でいらっしゃいますか。」


聞くと、社長は相好を崩した。

「はは、これは娘の爽香(さやか)だ。


ネットショッピングのコンサルみたいなことをやっていて、仕事が忙しくてなかなか縁遠いんだが。今日は、同席してもらうことにしたよ。」


社長が饒舌になる。


何だ?何か意図があるのかな。

俺はちょっと迷うが、黙っているわけにもいかず、爽香さんに自己紹介をする。


「田中です。社長にはいつも大変お世話になっております。」

俺は頭を下げ、そして名刺を差し出す。


すると、、俺の名刺を丁寧に受け取った彼女も、名刺を出して言った。


「ウェブマーケ、ウェブコンサルを中心にやっております。株式会社ショッピングジョイの洞地(うろち)爽香です。本日は、同席させていただきます。よろしくお願いします。」



名刺を見ると、株式会社ショッピングジョイ 取締役と書いてある。

なかなかやり手の女性のようだ。


俺はちょっと緊張する。社長以外に、この女の人にも値踏みされているようだ。


ソファーに座り、出されたお茶をいただく。

ぬるいが、とてもおいしい。


「このお茶、おいしいですね。]

俺が言うと、社長は嬉しそうに微笑む。


「おお、わかるかい。 八十八夜には一週間ほど早いが、特別に静岡から送ってもらった今年の新茶だよ。」



「そうなんですか、ありがとうございます。」

俺は頭を下げる。


新茶っていうのは、この時期に出るものなのか。


そう言われても、なかなかピンと来ないのだが。


社長が切り出す。

「田中君ん、部長になって一ヵ月ぐらい経ったな。どんな感じだい?」


社長が聞いてくる。


どんな感じ、とか最近どう、とか、本当に返事に困るフレーズだよな。まあ、今回は用意してきたから問題ないが。


俺はまずは無難なところを言う。


「そうですね。新しい重責に、何とか慣れつつある感じです。

課長のときには、管理しながらも、自分で結構コードを書けたのですが、部長になったら、なかなかそういう機会がありませんね。」


社長が苦笑する。

「まぁ、部長と言うのは、そういうものだよ。最年少の部長として、君は、この会社をどう思うかい?


思ったところを、忌憚なく言ってくれて構わないよ。無礼講みたいなもんだと思ってくれ。」


おお、出た!無礼講と言われて無礼に振舞うと後悔する奴だ。


だが俺はぶち込むことにした。


「そうですね…」


俺は一瞬息を止め、決断する。言いたいことを言おう。


「正直、ここまで非効率でひどい会社だと思っていませんでした。役員の縄張り争い、似たような会議のオンパレード、無駄な報告会。


役員は皆、社長の顔色ばかり伺っている一方で、下には厳しいことばかり言っている。


その割に自分では全く動かない。


通常業務報告なんてメールと「さわやか業務システム」で充分です。


本当に報告したいことがある時だけ、会議で相談すれば良い。


大体、会議と言うのは、みんなで集まって議論するものでのでしょう


今は、惰性で全員が出て、大本営発表をやっているだけだ。そこに議論の1つもないじゃないですか。」


だんだん俺は興奮してきた。


「社長は、個別の会議にあまり出ていないからご存じないかもしれませんが、

現場の我々は無駄な会議に迷惑しています。


役員から、どんな報告が上がってるか知りませんが、彼らにしたってほとんど仕事はしていません。偉そうに座って、下が言ったことをそのままスルーするだけです。


こんな役割だったら、猿でもできる。そのための「さわやか業務システム」のつもりです。」


俺は一気にしゃべった。もうどうにでもない。


爽香さんが、ハラハラしながら見ている。

社長が激怒するかと思ったが、そうでもなかった。


「ほう、なかなかな手厳しいな。だが、正直な感想を言ってくれてありがとう。」

あれ?ちょっと拍子抜けだ。


「さぁ、隣の部屋で、食事にしよう。」


社長がそう言って、皆で食堂へで移動した。


社長の邸宅のダイニングには、とても高級そうな、木製のテーブルが置いてあり、それぞれに細かい木の彫刻がついた椅子が並んでいる。


壁には、よくわからない油絵がかかっている。誰の絵だか知らないが、風景画だろうか。。きっと高いものなんだろう。


料理を準備していた社長の奥様がご挨拶してくださった。


こちらも挨拶する。


そして食事が並べられた。昼からかなり豪華だ。食器も高そうだ。


まずサラダとオードブルが並べられる。


社長が、俺に聞いてきた。


「田中君別に今日は飲んでもいいだろう。赤ワインと白ワインと、どっちがいいかい?」


「では最初は赤でお願いします。」

俺は答える。


4人いるんだから、すぐに空くだろう、俺は思った。


「ほう、両方飲むんだな。頼もしい、いいぞ。」


社長はそう言って、ソムリエナイフで器用に白ワインを開けてくれた。


「これはシャトームートンだよ。全体的にはまだ若いが、それなりによくできた年のものだ。」


そう言って、奥さんが注いでくれた。高級そうなワイングラス眺め、香りを嗅いで一口飲む。


「うん、予測通りよくできている。ロートシルト、いやロスチャイルド家の名前に恥じないな。」


そう言って、奥さんを含め4人でワインを注いだ。

ロスチャイルド?何か聞いたことあるな。まあいいや。


シャトームートンって、確かすごく高いワインじゃなかったかな?奮発しても一万円のワインしか飲んだ事はないが、多分それよりもちょっと高いんだろうな。


「では、今日の出会いに乾杯!」


社長がそう言って、グラスを軽く合わせる。


俺も、とりあえずひと口飲んでみる。すると、ワインの芳醇な香りが広がり、さすがにおいしい。


本当に高級なんだろうな。まぁ俺には普段は縁がないものなんだけど。


サラダとオードブルが済むと、奥様がスープを運んできてくれたり、肉料理のメインを持ってきてくれる。


ワインは赤のラトゥールというものになった。こっちは、妙に苦くて渋い。これがおいしいのだろうか?よくわからない。


「こんな高級ワインを出していただいて、何か申し訳ないですね。」


俺が言うと


「お客様をおもてなしできるのは嬉しいから、遠慮はしないでくださいね。それれに、これから長いお付き合いになるかもしれませんし。」


と奥様が謎のセリフを言う。長い付き合い?俺は懐に辞表を持ってるのに。


食事をしながら、社長の思い出話になった。


一念発起して、ソフトウェア会社を作ったのが40歳の時、中学生の娘を抱え、奥さんと2人で始めた会社だ。


その頃、いわゆるY2K問題とか2000年問題と言われる、コンピューターシステムの問題が勃発しているため、仕事が沢山入ってきて、あっという間に従業員20人30人雇う会社に成長した。


新しい技術にも積極的に取り組んだので、TCP/IPプロトコルを始めとするネットワーク、インターネットに対する技術、それからHTMLにも取り組めたこと。


レガシーシステムもやりながら、新しい技術も手に入れることで、最下層の下請けの立場から、中流へと上がり、また、直接に顧客の開拓もやっていったこと。


従業員が集団で引き抜かれたり、システムトラブルを起こしたり、資金が尽きかけたりと波乱万丈の時を経て、今に至っている。


皆にとって良い会社を目指しているが、なかなか自分だけでは手が回っていない。そんな話だった。


俺は、大学院の修士を出て、そのままこの会社に入社している。


だから、中途採用が多いこの会社では実は結構な古株だ。


そのため、社長の言っていることも、ある程度知っている。


ただ、俺が見た風景と、社長が見ている風景が、こんなに違うのか。俺は、素直に驚いた。


「役員は現場を知らない」とさっき発言になったが、俺は、経営を知らない。


会社が、どんな状況にあって、どんな問題を乗り越えてきたのか。そういう話は、素直に驚きだった。


俺は、辞表を出すのを忘れ、この会社のことを改めで見直すのだった。

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