第39話.第四のドア


俺は、第四のドアに入って歩き始めた。遠くに人影が見える。



あれは…爽香さんだ。

女神の衣装をまとった、爽香さん、とても魅力的だった。

ただ、一部分は、みさきには遠く及ばないが。


「…田中さん、私のドアに来て、何か失礼なことを考えていませんか?」

爽香さんが責めるように言う。


俺は慌てて、みさきのことを頭から追い出した。考えていることが顔に出る俺が、他の女性のことを考えてはいけない。

それよりは爽香さんだ。


彼女と一緒に歩いて行く人生。それには二つの選択肢がある。

第一は今の会社を辞めることと、もう一つは会社を継ぐことだ


いつの間にか、俺と爽香さんは、この前食事をしたフランス料理店に、二人座っていた。


爽香さんはスーツ姿になっている。


シャンパンで乾杯する。

「2人の将来に乾杯。」


口の中に広がる芳醇な炭酸を味わいながら、俺は、爽香さんに話しかける。


「爽香さん。先日おっしゃっていただいたこと、気持ちは変わっていませんか?」


一応確認する。童貞として、今までに梯子を外された経験があるので、どうしても慎重になってしまう。


爽香さんは黙ってうなずいた。


それだけ確認したら、後はまず食事だ。


オードブル、スープ、サラダ、そして今日はメインが二つだ。

最初のアントレはロブスター、その後フィレステーキが出てきた。二人ともミディアム。レアで頼む。


ワインは、ブルゴーニュ地方の、爽香さんが好きだと言う銘柄にした。白も、赤も、口当たりが良くて、俺の好みの味だった。


「お食事もおいしいですけど、ワインもなかなかうまく合ってますね。」


俺は言う。


「そうですね、素晴らしいマリアージュだと思います。」


マリアージュか。結婚と言うことだよな。

俺は心を決めた。


姿勢を正して、爽香さんの目をまっすぐに見て告げる。


「爽香さん。僕と、結婚を前提にお付き合いしてください。」


爽香さんはその言葉を期待していたのだろう。躊躇することなく、

「喜んでお受けします。よろしくお願いします。」

と答えた。



俺はその後続ける。

「僕は、『さわやか業務システム』を、愛しています。できれば、『さわやか業務システム』と同じくらい爽香さんを愛したいと思います。」


これは本心だ。


それに対して爽香さんが答える。


「システムには、いつか限界が来ます。だから愛するんだったら、システムよりも長く愛してください。」


うん、それはそうだな。システムが変わり、プラットフォームが変われば、どんなソフトウェアでも寿命を迎えてしまう。それはどうしようもない運命だ。


昔、一世を風靡した一太郎やロータス1-2-3だって、今はもうあまり見かけない。


RPGと言えば、ウィザードリィと呼ばれた時代もあった位だが、今の若い人はウィザードリィなんて言う単語は全く知らないだろう。


俺は答える。

「爽香さんの事は、一生愛したいと思います。


それから、僕は、洞地(うろち)の家に婿入りします。」


「えっ… 」爽香さんは驚いている。だが、俺はもう決めていた。


「『さわやか業務システム』を守りたい。そして、爽香さんも近くで守りたい。爽香さんの実家も、安心してもらいたい。それらを考えて出した結論です。


爽香さん、末永くよろしくお願いします。」

俺は頭を下げた。


爽香さんの目には涙が浮かんでいた。

そして言う。


「一郎さん、一生一緒に歩きましょう。今夜は、その初日になりますね。」



食事が終わると、爽香さんが、タクシーを呼び、2人で、高級ホテルに行った。


高層階の部屋に入り、俺と爽香さんは、抱き合ってキスをする。


そして爽香さんは言った。

「今日から、2人で歩く人生を始めましょう。」


俺はうなずいた。


そして俺も言う、

「これから二人で時を共有していきましょう。」


俺たちは、シャワーを浴び、ベッドに入った。


バスローブを着た爽香さんは、小刻みに震えていた。


俺は爽香さんにキスをし、そして、できるだけ優しく言う。


「慣れてなくて申し訳ないけど、がんばります。」


「何ですか、それ。」

爽香さんは小さく笑った。緊張が少しほぐれたようだ。


そして、俺たちは、不器用に、時間をかけて、一つになった。


驚いたことに、爽香さんも初めてだった。


「こんな年齢で初めてなんて、引いちゃう?」

爽香さんが言う。

ちなみに、爽香さんも同い年、つまり40だ。


「いや、僕も同じですから。むしろ、なかなかうまくいかなくて、すみませんでした。」


俺も答える。なぜかまだ敬語になっている。


爽香さんは微笑んで言った。

「これからは、ずっと二人でね。」


俺たちは一夜を過ごし、翌朝別れて帰宅した。


そして、再度社長の家、つまり爽香の実家に挨拶に行った。

社長も、社長の奥さんもとても喜んでくれた。


社長は、婿になって会社を継ぐことに特に感動したようだ。


社長は言う。

「一郎くん、会社の事も、娘と同じようによろしく頼む。」


社長にとって、会社はわが子と同じくらい大切なんだろう。




そして、俺たちは結婚した。


結婚式は、社員、それから取引先も呼んで、俺たちが一夜を過ごしたホテルで、盛大に行った。

驚いたのは、爽香さん、いや爽香の呼んだ友人の中に、佐藤さんがいたことだ。


佐藤さんは、爽香の大学の同級生だったと言う。


佐藤さんは結婚式のスピーチでこんなことを言ってくれた。


「私と爽香さんは、学生時代から、20年以上の友人です。お互いの事はとてもよくわかっています。

仕事でも、いろいろ協力してやってきました。


そんな爽香さんが、一郎さんという素敵な伴侶を見つけたことは、とても嬉しいです。


爽香さんには、私の分まで幸せになってもらいたいと思っています。」


こんな感じの話だった。

偶然とは言え、不思議な縁だなと思った。


結果的に、あの晩、佐藤さんと一線を超えなくてよかったと思う。




結婚の後、俺は取締役になった。

社長の娘婿だし、明らかに後継者だとみんなわかったようだ。


今まで威張っていた、役員の態度もみるみる変わった。

まあ、ヒラメのことはどうでもいい。


俺は、数ヶ月のうちに、会議を改革した。


業績を読み上げるだけの大本営発表は全て廃止し、問題の起きたことを会議で話し合うように変えたのだ。


ただ、それだけだとモチベーションが下がりそうなので、良いニュースに関しては、できる限り、社内で共有するようにした。


月に2回、全社員に対してリモート会議、あるいは集まっての会議を実施し、良いことを共有したのだ。それについては、役員の手柄ではなく、役員が、関係者の名前を読み上げる形にした。


これにより、社員のモチベーションが上がるし、無駄な会議もなくなった。役員も営業に出るようになり、システム部門もプログラミングに時間をゆっくり割けるようになったため、業績はますます向上した。


1年後、俺が社長に就任した。そして、爽香は男の子を産んだ。、


出産して1ヵ月で、爽香は仕事に復帰した。ただし、今度は子会社の役員だ。


こちらの方が、業務のフレキシビリティがあるらしい。ワークライフバランスを取りながら、彼女は彼女で、自分の会社で働いている。


俺は社員の待遇改善を常に意識した。


株式会社童貞とまではいかないが、社員が嬉しく思うことをできる限り増やした。


その一つが、社内親睦の運動会だ。

任意参加にして、家族、あるいは友人、恋人その他の招待も可能にした。


運動会を仕切るのは、カワダッシュだ。


大口の契約があるようなのに、当社にも協力してくれる。ありがたいことだ。


和香は、契約発注元の男性といい感じらしい。仕事も家庭もうまく行ってほしいなと思う。


俺は、パン食い競争で、営業の司正勝に負けてがっかりした。

「結婚して、パワー倍増っすからね!」と司くんは言っていた。海野とうまくやっているようだ。



みさきは当社との契約を終了した。どうやら結婚するたしい、という噂だ。連絡をとろうかと思ったが、やめておいた。


爽香に変に勘ぐられないためだ。みさきの連絡先は削除している。


なお、佐藤さんは独身のままで、最近月刊角丸の編集長に就任したようだ。

キャリアウーマンとして頑張ってほしい。


下手に佐藤さんとコンタクトしたところで、どうせ爽香にばれるので、連絡はしていない。


まだあのマンションにいるのだろうか?


日曜日の夕方、俺たちは親子三人で歩いていた。


本屋に行くことにしていたが、息子の機嫌が悪くなったので、爽香と息子だけ先に帰ることになった。


俺は夕日を眺めながら、一人歩く。

充実して幸せな人生だ…俺は思う。



突然あたりが真っ暗になり、スポットライトがあたったように光が現れた。。


するとそこに、3人の人影があった。


もちろん二人は奇蹟の占い師、ダンディな謎の人だ。そしてもう一人は大柄で背の高い男性だった。


「結構幸せそうじゃないか、田中くん、いや洞地くん。」

見知らぬ男性が言う。


「あなたは…?」

俺は問うてみる。


「俺は、織田という者だ。」

彼は答える。


「こんな最後になって、いきなり新キャラですか?」

俺はメタな質問をしてみる。


「そんなことはどうでもいい。それより一郎くん、このまま幸せに過ごすかい、それとも最後のドアを開くかい?」

織田という男はそう言って、にやりと笑う。」


ああ、そうだった。人生の選ができるんだった。


俺は考えこんだ。横で奇蹟の占い師は「行け~」といい、ダンディな人は「やめといたほうがいいんじゃナイの?」と言っている。



俺は、腹をくくった。


「やっぱり、第五のドアに行きます。」


今までのルートを振り返ると、佐藤さんだけはずっと独身だ。それが何か申し訳ないようが気がした。


「いいのか?戻れないぞ。」

織田が確認してくる。


「はい、お願いします。男たるもの、冒険すべきでしょう。」

俺は答える。


織田がいう。

「よく言った田中一郎。ハーレムルートだ!」


「え?」俺は聞き返す。




「いいから行け!」織田が言う。



奇蹟の占い師が、5番のドアを出した。



俺はドアに手を掛け、振り返る。


3人が手を振ってくれたので、俺も振り返す。


そして俺は、5番のドアを開け、中に入っていった。









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