ガキの頃は、おかんと過ごす時間が少なく、よく拗ねたり、あたったりしていた。自分でも、我儘で、情けないガキだったと思う。

 だが、それは、大人になった今だからこそ言えることであり、あの頃は寂しさに対する対処の仕方がわからず、癇癪を起こしていた。

 いじめもなくなり、小学校生活をそれなりに楽しんでいたおれだったが、学校では大人びた顔をしていても、家ではおかんに甘え、拗ねたり、いじけたりしていた。情けないガキだった。

 学校から帰ってもおかんはいない。仕事だ。おれを養い、育てるため、おかんはがんばっているのだが、おれはおかんが家にいないことに腹を立て、おかんを心配させようと遅くまで外で遊んで帰ったことがある。

 だが、それでもまだおかんは帰宅しておらず、心細くて泣いたのを覚えている。夜遅くに帰ったおかんをおれは責めた。

 おかんは遅くなるという連絡ができなくてごめんとあやまった。おれは、家にいなかったため、もしおかんが電話をかけてくれていても電話を受けることができなかったのだから、おかんを心配させようと遅くまで外で遊んでいた自分が悪いのだと頭では理解していても、素直になれず、おかんに八つ当たりした。

 おれが嘘をついたり、裏切ったりしない限り、おかんは怒らないというのを逆手に取り、おれは拗ね、いじけた。

 本当に情けないガキだった。おかんは、電話もできないほど忙しかったというのに、それもこれも、すべてこのおれのためだというのに、おれは自分のことを棚に上げ、おかんを責めた。

 それ以後、おかんは、遅くなりそうな時は電話をくれた。おれもおかんを心配させようと遅くまで外で遊ぶのをやめた。

 あらかじめ遅くなるのがわかっている時は、朝のうちに晩ご飯を作っていってくれるのだが、一人で食べるのが嫌なおれは食べずにおかんを待っている。おかんと一緒に食べたいからだ。でも、おかんは、客や支店の仲間との付き合いで外食をして帰ってくる。おれは泣き、怒り、たまらなく腹が減っているのに食べずに不貞寝したりした。おかんの顔を見て安心し、その結果、甘え、拗ね、あたる。

 毎日、そんなことの繰り返しだった。

 おかんは怒らなかった。怒ったり、言い聞かせたりするにはおれはガキすぎたのかもしれない。おれがそういう行動を取る理由、つまり寂しさからだということに気づいていたから、そんな理由があるなら仕方ないと、怒らなかったのかもしれない。

 同時に、もしかしたら戸惑っていたのかもしれない。

 

 ひとつ覚えていることがある。

 親父の墓が天王寺にあるのだが、休みの度、おかんはおれを連れて行った。そして墓に向かって手を合わせるのだが、必ず声に出し、「カズを強い人間にしてください」と言うのだった。

 多分……おかんは、父親がいないおれをどういうふうに育てていいのかわからなかったのだ。おれが女の子なら、おかんも自分が女だったこともあり、育て方に戸惑うこともなかっただろう。だが、生憎おれは男だ。そのあたりで戸惑い、逡巡があったのだろう。おかんに限らず、どこの母子家庭の母親も一度はぶつかる壁に違いない。

 だから、神頼みならぬ仏頼みで、親父にお願いしていたのだ。

 もちろん当時はそんなことなどわからず、おれは休みの日はおかんにベッタリ甘え、平日は拗ねたり怒ったりし、甘えた。

 相変わらずおかんは、おれが嘘をついたりしない限り、怒ったりしなかった。勉強しろとも、スポーツをしろとも言わなかったし、かと言って遊べとも言わなかった。

 理由があっての行動を取るおれを尊重してくれた。


 だが、父親参観の日、おれが学校に行かないと言い出した瞬間から、おかんは変わった、ように思う。

「なんで行かへんの? おかあちゃんが行くがな」と言うおかんに、おれは、父親がいないのはカッコ悪いと答えたのだ。子供は残酷な生き物だ。思ったことを、そして思ってもいないことを平気で口にする。

 おかんは怒った。あんなに怒られたのは、小学校入学当時、登校拒否をしているのに学校に行っていると言った嘘がバレて以来だ。

「何がカッコ悪いんや?」

 いきなり頬を殴られた。おかんの怒りっぷりにビビるおれに、おかんはもう一発平手をお見舞いしてきた。

 泣きべそをかくおれに、

「言うてみ! 何がカッコ悪い? おかあちゃんと二人がカッコ悪いんやったら、死のか? おとうちゃんのところへ行って、三人で暮らそか? それやったらカッコ悪ないんやろ?」

 と首根っこを掴まれた。そのままベランダへおれを連れていった。団地の五階。落ちれば死ぬ。

「いやや、いやや、離してや、おかあちゃん。死にたない。死にたないんや!」

 おれは泣き叫んだ。本当に死にたくなかったのだ。小学一年ながら、死を意識した瞬間、おれは生きたいと思った。おかんと生きていきたいと思った。

 おかんがおれを部屋の中に戻す。おかんは泣いていた。

「カッコ悪い言うたら、おとうちゃん可哀想やがな」

 おかんは静かに言った。そして静かに語り始めた。

「カズ……あんたのおとうちゃんはな……あんたがまだヨチヨチ歩きの頃、おかあちゃんがちょっと目を離した隙に……道路に出たあんたを……車に轢かれそうになったあんたを……助けてくれたんや」

「!」

「自分の命を投げ出してな……」

「……」

 はじめて聞かされたおれは、子供ながら衝撃を受けた。

「おかあちゃんが悪いんや。かばんから財布を出すのに、一瞬あんたの手を離したおかあちゃんが。そのせいでおとうちゃんは……」

「……おかあちゃんは悪ないよ。悪いのはぼくや……」

 おれは、自然に溢れ出てくる涙を止めることができなかった。おれは泣いておかんに詫びた。そして親父にも。

「悪いのはおかあちゃんや。そやけど、カッコ悪い言うたら、おとうちゃん、可哀想すぎるがな……」

 おかんは言った。

「うん」

 おれは頷き、そして再びおかんと親父に詫びた。

 それ以降、おかんの中には親父が同居したように思う。

 それは決して、父親の代わりをしようとか、役目を果たそうとか、ましてや父親になろうというのではなく、「親」であろうとしたのだと思う。シンプルにおれの「親」になろうと。

 父親参観にも、親として来てくれた。そして、他の父親と同じように、工作を一緒にしてくれた。不器用な人だったから、指先を傷だらけにしながら……。他の父親たちに苦笑いされながらも、一生懸命一緒になって作ってくれた。

 誕生日になると、苦手なケーキ作りにも挑戦してくれた。形は悪かったが、旨かったことを覚えている。「店で買うより栄養もあるし、体にもええんや」と言って。おれにとっては年に一度の楽しみだった。クリスマスプレゼントはなかった。おれの家にはサンタが来なかったから。いや、その「おかんケーキ」こそがプレゼントだった。

 サンタは、小学校に上がる前までは来ていた。だが、小一のクリスマス、「今日はサンタが来る」と、あまりにテンションが上がったおれはなかなか眠れなかった。と、そこへサンタがやって来た。トナカイはいなかったが、真っ赤な帽子に真っ赤なガウンのようなものを身に着け、白い布袋を背中に担いでいた。

 一層テンションが上がったおれは、ガバッと起き上がってしまった。驚いたのはサンタだった。

「ぎゃっ!」

 と大声を上げると、そのままひっくり返った。その拍子に帽子が落ち、ひげが取れた。

「うわっ!」

 今度はおれが驚く番だった。なぜなら、サンタはおかんだったからだ。

 かくしておれは、この世にサンタクロースがいないことを、七歳にして知ってしまった。

 おかんは、

「サンタの正体がわかったやろ? この世にサンタがいないこともわかったやろ? だから来年からサンタは来ないで!」

「……」

 ショックだった。そして、その言葉通り、翌年以降、本当にサンタは来なかった。ただ、誕生日のようにケーキを作ってくれた。いや、誕生日のようにと言うより、誕生日がクリスマスに近かったから、誕生日とクリスマスを兼ねてのものだった。おれは今でも甘いものは苦手だが、おかんのケーキだけは食べられる。

 それにしても……わざわざサンタの格好をしてプレゼントを置きにきてくれたおかんは、なんて素敵な人なのだろうと思う。

 食べるというと、おかんは、おれがガキの頃から、バランスを考えた食事を作ってくれた。手先は不器用だが、料理は上手かったと思う。その中でも、おれが一番好きだったのが、「おかんカレー」だ。

 おかんは倹約家でもあったが、こまめに買い物に行けないため、食材をまとめ買いする。当然、中途半端に余ったり、長い間貯蔵していた食材は腐りかける。普通の人間なら生ゴミとして捨てそうなものだが、おかんは違う。おかんは、在庫一層セールと言い、それらを全部具にしてカレーを作る。通称「おかんカレー」だ。

 いくらごった煮の町・大阪といえども、ごった煮カレーは不味い、気持ち悪いと思うかもしれないが、これがまた絶品なのだ。もちろん、その都度その都度で入っているものが異なるため、味は毎回違うのだが……。

 ルーは市販の辛口を使う。そこに野菜、肉、フルーツ、海藻類、チーズ、そして時には冷凍魚や干物まで入る。野菜やフルーツの甘みで辛口は少しマイルドになるし、干物の辛味もカレーの香辛料のそれに負け、丁度良い具合になるのだ。そしてトータルして味は旨い。

 だからおれは、おかんの料理の中で、「おかんカレー」が一番好きだった。そして、それが、おれの体を頑丈にしてくれたと思っている。

 おかんが倹約家だということもあって、世間の片親家庭によくありがちな、片親で子供が不憫だから、あるいは、まわりに同情されたくないからという理由で、子供に何でも買い与えるなんてことは、うちの家庭に限っては一切なかった。

 おれが、「みんな持ってるから、おれも欲しい。買ってや!」と言うと、「みんなって誰や? 名前言うてみ」と訊かれ、おれが、「○○くんと□□くんと、××くんや」と答えると、「なんや、三人だけやないか。どこが『みんな』やねん!」と言われる。

 また、「お母ちゃん、一生のお願いや。たのむ、お願い聞いてや!」と言う度、「あんた何回人生あるんや? 一生のお願い、それで何回目や? あんたの一生のお願い、この前聞いたったがな。駄菓子屋でプロ野球チップス買うたったがな」と言われる始末。

 それまでも、もちろんありったけの愛情を注いでもらっていたし、会話もあったが、こんな感じの会話のキャッチボールはなかった。おかんなりに、忙しい中、短くて愛情のある言葉を放ってくれようとしたのだろう。以降、まるで大阪独特の漫才のようなテンポのよい会話が繰り広げられるようになった。

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