三十二


 今まで野球を再開しなかったのは、怖さがおれを支配していたからだ。

 野球と向き合うことに対する怖さだった。それは、会いたくない人間に会わないように、慎重に様子を覗いながら道を歩くのに似ていた。

 人生において、おれは野球を避けるように、顔を合わさないように、コソコソと生きてきた。そのことをおれはようやく自覚していた。

 怪我の後遺症に悩まされているわけでもなく、怪我の再発が怖いわけでもなかった。それらを言い訳にしようとしていただけだ。もちろん、野球を嫌いになったわけでもなかった。

 野球を裏切り、冒涜したことで、野球の神様の怒りを買ったおれは、その代償として膝を怪我したのだと思い込み、そこまで怒らせた神様に顔向けできない、野球と再会してはいけないという脅迫観念に苛まれていたのだ。それも無意識のうちに。

 だからおれは野球を再開できなかった。

 本来なら、おかんに迷惑や心配をかけた分、もう一度野球を始めることこそが、親孝行だったはずなのに……。

 もう遅いだろうか?

「おかん!」

 グローブを抱えるようにし、リビングへ戻る。ソファでおかんが寝ていた。ソファに横になると、すぐに眠ってしまう。疲れに加え、常に薬が体に入っているせいだろう。毛布を掛けてやる。

 テレビでは、プロ野球選手のドキュメンタリー番組が続いていた。怪我のため肘にメスを入れた若手投手を取り上げていた。彼は、一年間のリハビリを乗り越え復活したが、結局かつての勢いあるボールが戻らず、戦力外の通告を受けた。他球団のテストを受けたが全敗。彼はプロを引退し、サラリーマンになるそうだ。しかし、好きな野球をやめることはできないだろうと言っていた。どんなかたちであれ続けると。

「プロか……」

 おかんはおれに、プロ野球の選手になってほしいのだろうか?

 もしそうなら、高校、大学のブランクは大きすぎる。全く不可能ではないだろうが、もし、本当にそう思っているのなら、あまりに親バカすぎる。

 いや、おかんは決して、そんなことを望んでいるわけではないだろう。プロどうこうではなく、とにかくおれに好きなことをやってほしいのだ。やりたいことをやってほしいのだ。人生、いつ終わりがくるかわからない。それなら、我慢などせず、嫌なことをせず、好きなことをやればいいと言ってくれているのだ。どんなかたちであれ……。

 それは決して、楽しいことだけして、楽して生きろと言っているのではない。そういうことではない。好きなことをやる上で、つらいことやしんどいこと、時には我慢を強いられることもある。同じつらいこと、しんどいこと、我慢を経験するのなら、嫌なことをするより好きなことをした方がいいとおかんは言ってくれているのだ。

 それに、そういったつらいことやしんどいことは、好きなことをやる上で決して苦痛にならないはずだし、また、乗り越えられるはずだと。

 そしておかんは知っている。

 おれがやりたいことは野球だと。好きなものは野球だと。おかんはそのことを誰よりもよくわかっている。

 もしかしたら、本人であるおれ以上に理解しているのかもしれない。母親とはそういうものだ。腹を痛めてこの世に誕生させた子供は、自分の分身のような存在だからだ。

 おかんは、おれに悔いなき人生を送ってほしいと願っている。好きなこと、やりたいことにとことん挑戦し、輝いてほしいと思っている。

 人生なんて、いつ終わりがくるかわからない。一寸先は闇だ。本当に何があるかわからない。今回、おかんは癌になって、改めてそう思ったのではないか。だからこそ、おれに悔いなき人生を送ってほしいと願ったのだ。

 この数年間のおれを間近で見て、おかんはどう思っていただろう。おそらく、死んだように生きているというふうに、おかんの目には映っていたのではないだろうか。振り返れば、おれ自身、そういう生活を送っていたという自覚があるのだから。

 輝く。

 おれは、輝けないのが怖くて、野球を再開しなかったのかもしれない。右膝の怪我にかこつけて、それを言い訳にして……ただ、それ以上に、以前のように輝けないのではという不安もあったのだ。逃げだ。おれは逃げていた。

 おかんは言いたかっただろう。叱りたかっただろう。諭したかっただろう。

「逃げるくらいなら負けといで!」と。

 それでもおかんは何も言わなかった。

 死んだように生きる息子をやさしく見守ってくれた。それは決して甘やかしではなく、無理やり何かを強制しても意味がないとわかっていたため、あえておれをほったらかしにしたのだ。いつか、「気づく」と思って。それがおかんの教育方針だった。

 だが、馬鹿息子はいつまでたっても気づかなかった。

 もし病気にならなければ、おかんはおれに何も言わなかっただろう。おかんはそういう人だ。おれがガキの頃からそうだった。何も言わず、強制せず、おれが自ら動くのを待つ。そんな母親だった。

 今回も、もし何も言われなければ、おれは何も気づかないまま、来年の春から社会人になり、死んだような人生を送ったことだろう。  

 いや、わからない。それはわからない。社会に出て、天職と思える仕事に出会えるかもしれないし、最初の就職先に生きがいを見つけられるかもしれない。

 ただ、こんなことは考えたくないが、死を意識し始めたおかんが、残された時間は少ないと判断し、おれにヒントを出した。「好きなことか?」、「やりたいことか?」と。

 それで、おれが何も感じなければ、おかんはあきらめただろう。絶対に、野球をしろとは言わなかったはずだ。

 だが、おれは気づいてしまった。ようやく。

「おかん、ちょっと行ってくるわ」

 おれは眠るおかんに声をかけ、自宅を出た。

 手首のスナップをきかせ、軟球をグローブに叩きつけながら歩く。

 何年ぶりだろう。

 頭の中で計算する。高校一年の秋にはもうグローブをはめることはなくなっていたから、丸六年ぶりか。

 グローブの感触は六年前と全く変わっていなかった。当時の感触そのままだ。その事実は、この六年間、おかんが手入れを続けてくれていたことを物語っていた。革が硬くなっていないし、型崩れも起こしていない。定期的にドロースを塗ってくれていたのか、革が弱くなってもいない。

 おかんは、おれがいつかまた野球を始めることを信じ、手入れを怠らなかったのだ。

 おれは、改めておかんの大きさというか、母親の想いを知った。

 団地の中にある小さな児童公園。たったひとつの外灯は、幼稚園の園庭ほどの広さしかない公園全体を照らすのに充分だ。鉄棒とすべり台と砂場、そして空地のようなスペースしかない児童公園に人影はない。キャッチボールをする少年たちの姿もない。春になるまでは姿を見せないだろう。

 おれは植え込みのレンガに的を探した。かつて、おかんが仕事から帰るのを待つ間、おれは一人で的を目がけ、せっせとボールを投げていた。その的だ。

「!」

 あった。すぐに見つけられた。赤レンガは色褪せ、石で削るようにして描いた円は消えていたが、丸い窪みは残っていた。おれの投げたボールが幾度となく的を射た名残りだ。

 思わず跪き、掌で覆うようにし、窪みに触れる。

「……」

 不意に涙が溢れてきた。窪んでいる分だけ、外気に直接触れないからだろうか、あたたかかった。それがまた、特別な意味を持っているかのようにおれには感じられ、一層涙を溢れさせた。

 立ち上がり、涙を拭う。二歩、三歩と後ずさった。五メートルの距離に立ち、ボールを握る。軟球だ。高校からは硬球になるが、おかんと本格的にキャッチボールをしていた頃は軟球を使っていた。

 ボールにはほとんど凹凸がない。的当てやキャッチボールによって表面がツルツルになっているのだ。久しぶりにそれを握る。

 懐かしさというか、甘酸っぱさというか、何とも言えない感慨に包まれる。

 思えば、ここが野球を始める原点だった。

 おれは、肩ならしの意味で、五メートルの距離から軽くボールを投げた。肩と肘と手首がミシミシと音を立てたような気がした。フォロースルーがうまくいかず、山なりのボールになった。それは的を大きく外れ、レンガの一番上の部分を掠め、真上に上がった。

「……」

 愕然とし、土の上で二度、三度と跳ねるボールを鷲掴みにすると、もう一度投げた。今度も的を外れた。

「……」

 確かに元々コントロールは良い方ではなかった。どちらかというと、スピードと球の重さで勝負するタイプだった。だが、それにしてもこの距離で、それも軽く投げて的を掠りもしないとは……。

 これがブランクというものなのか。

 それでもおれは、その距離から何度も何度も投げた。そして、何度も何度も的を外した。

「肩ならしからやり直しやな」 

 自嘲気味に呟いたが、本当にそのとおりだと思っていた。この肩ならしは、十分後のピッチングのための肩ならしではなく、この六年間というブランクを埋めるためのものだ。だから時間がかかる。

 六年といえば、小学校に入学したばかりの子供が、中学校へ入学するまでの期間だ。かなり長い。それでも、投げ続けるうち、フォームであるとか、ボールを握る強さ、指からボールを離すタイミング、フォロースルーや足の運びを思い出した。頭で覚えたものは忘れるが、体で覚えたものは体に沁みついているのか、完全には忘れ去らないものだ。

 ただ、コントロールの悪さは相変わらずだった。これも体に沁みついたものなのか、六年経って劇的に良くなっているということはなかった。当たり前だが……。

 的に当たらないのは悔しかったが、それでもいつしか楽しんでいる自分におれは気づいていた。投げることをおれは楽しんでいた。怪我した右膝のことも完全に忘れ、おれは投げ続けた。

 あたりが真っ暗になり、心配したおかんが探しにくるまで、おれは投げ続けていた。

「やっぱり、ここやと思ったわ。グローブがなかったしな」

 公園へ足を踏み入れるおかんを見た瞬間、乾いていた涙が再び溢れ出した。

 不意に、「あの頃」の記憶が脳裏を駆けたのだ。

 仕事終わりで駆けつけてくれたおかん。「さあ、始めよか!」と、仕事で疲れているはずなのに、元気一杯声を出してくれたおかん。おれが納得するまで付き合ってくれたおかん。そんなことが次から次へと脳裏を駆け、おれに涙を流させた。

「ほんま泣き虫やなあ、なに泣いてんの!」

 おかんが杖をつきながら、ゆっくりゆっくりレンガの方へ向かう。

 確かに最近泣きすぎだ。涙もろくなっている。泣きたい時は我慢せず泣いたらいいと教えられたおれだったが、それにしても泣きすぎだ。

 おかんはレンガの前まで行くと、杖をバット代わりにし、的のすぐ脇に立った。ステンレス製の杖は、まるで金属バットのように見える。

「さあ、こい!」

 おかんがおどけたような声で、しかし真剣な表情で構える。

 おれは、五メートルの距離から更に後ろに下がった。約十八メートル。ピッチャーからキャッチャーまでの距離だ。

 ふと思い出し、スニーカーで土を掘る。

「!」

 あった。小学生の時、プレート代わりに埋めたカマボコ板。公共の場所だから、本当はいけないことなのだが、目印としておれが埋めたものだ。三枚横に連なったそれは、まさにマウンドのプレートだった。まだ残っていた。長年雨風に晒され、表面はささくれ立っている部分とツルツルになっている部分があるが、紛れもなくおれが埋めた板だ。

「おかん、あったぞ!」

 そう叫び、おかんを見たその瞬間だった。

「!」

 おかんがバット代わりに構えていた杖を、その本来の役目を果たすかのように前についたかと思うと、それが土の上を滑った。おかんはそのまま倒れていった。

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