二十二
結局、おれは九月の終わりまでバイトを続けた。ハルカに言われていたが、おかんには連絡しなかった。何かあればおかんから電話がかかってくると思ったからだ。
バイトの最終日、バイト先では送別会を催してくれた。その席で、またまた社長に、うちに来ないかと口説かれた。断るたびに、ビールを注がれた。初体験の日本酒や焼酎も口にし、おれはしたたか酔った。
翌朝、二日酔いのまま、おれは阪急電車に乗り、大阪へ向かった。
二ヶ月ぶりに会うおかんは、ハルカが言うように、確かに少し痩せていた。
いくつになっても息子は息子なのだろう、おかんはおれを笑顔で、本当に嬉しそうな笑顔で迎えてくれた。
おれも久しぶりにおかんに会えて嬉しかったが、照れたフリをしてぶっきらぼうな仕草で八つ橋を差し出した。
「おかん、土産や」
「おおきに」
おかんはそれを親父の仏壇に供えた。
「おかん、ダイエット成功してるみたいやんか」
敢えて明るい調子で言う。さすがに少し気になっていた。
「そやろ? ええ感じや」
おかんが自らの腹を撫でる。
「今日は仕事休みかいな?」
土日でも仕事に行くことが多かったおかんが、平日に家にいるのは珍しい。
「外回りをやめたんや。もちろん、何かあったら既存のお客さんのフォローはするけど、基本的に外には出ない。今は内勤の研修係や。新人さんからベテランさんまで教育してる。でも、毎日行く必要はないんや。週に二回くらいかな」
「そうか……まあ、今までが働きすぎやったからな」
「そや、あんたも春から社会人やしな。養ってもらうわ」
おかんはそう言い、豪快に笑った。
おれは少し不自然なものを感じていた。おかんは何より顧客を大事にしていたし、顧客に会うのを楽しみにしていたからだ。それが、既存の顧客まわりも積極的にせず、週に二回ほど会社に行くだけなんて……。おれはおかんの仕事ぶりに違和感を覚えていた。
正直なところ、おかんが家にいることは嬉しい。ガキの頃から仕事仕事で、家にいることが少なかったため、一緒に過ごすことができなかった。それが、おかんが仕事をセーブしたことで一緒にいることができる。おれも卒業まで暇な身だからだ。卒論を仕上げる必要はあったが、紫式部か清少納言について適当に述べればいいだろうと考えていた。
ただ、気がかりだった。仕事をセーブしたのは、体がきついからかもしれないと思ったのだ。
相当疲れが溜まっているのだろうと思う。仕事を減らしたのは、おかんが言った理由もあるだろうが、体がつらいこともあるはずだ。この春頃までは、「あんたが働き出しても私は働くよ。あんたの安月給じゃ、生きていかれへんからな」と言っていたのだ。
二ヶ月会っていなかったせいか、おかんの変化に少しずつだが気づくようになった。久しぶりにおかんに会ったハルカが異変を感じたように……。
まず食事だが、ダイエット、つまり食事制限をしているというより、食べ物を受けつけないように見えた。時々、何も食べていないのに、ゲップを我慢している様子を見せることもあった。
活動的で、以前は元気に動き回っていたのに、それもなくなった。週に二回程度の出勤だから、週の半分以上は休みだ。それなのに、どこにも出かけず、家でテレビを見ながらゴロゴロすることが多くなっていった。
おれも暇なので、
「おかん、どっか行こか? 前に言うてたやろ。ずっと大阪に住んでるのに、USJも吉本新喜劇も海遊館も行ったことないって。行こや!」
と誘うのだが、
「うーん、そやな、行きたいけどな……でも、ええわ。人も多いやろ?」
「なんでやねんな、平日やからまだマシやで。行こや、奢るし」
「いや、奢ってもらわんでもええけどな……やっぱりやめとくわ」
「……」
という調子で、外出もほとんどしなくなった。
それでもおれがしつこく誘うと、
「今まで休みなく働いてきたしな、ちょっとゆっくりさせてや」
と言うのだった。
そう言われると、おれはそれ以上しつこくはできない。
おれは、一人でどこかへ行く気にはなれず、半年後から社会人になって仕事三昧になるので、もうアルバイトをする気にもなれず、おかん同様、団地の狭い部屋でゴロゴロすることが日課となっていった。
そんなある日、内定を貰ったデパートから封書が届いた。入社前健康診断の通知だった。それを見たおれは、おかんに言った。
「おかん、何か調子悪そうやから、一回病院で検査受けたらどうや? おれも受けるし、一緒に受けよや」
すると、おかんは答えた。
「今年の正月の検査でどこも異常なかったがな」
「……」
おかんの勤める生命保険会社では、年に一度、社員を人間ドックに入れ、検査させる。保険外交員が病気を抱えていては洒落にならないというのが会社の考え方だそうだ。おかんも毎年受けている。
そして今年も受けた。確かに異常はなかった。健康が自慢のおかんが、検査結果表をおれに誇らしげに見せたから覚えている。どこも悪くはなかった。
それでもおかんが仕事の内容を変え、出勤日数を減らし、食べる量が減っているのを見ると、心配になる。来年からおれに養ってもらうと言っているのも気がかりだ。
ただ、おれは、正月の検査結果のこともあり、長年の疲れが溜まっているのだと考えていた。いや、考えようと努めていた。女手ひとつ、こんなどうしようもないおれを育ててきたのだから、疲れが溜まりすぎるほど溜まっていて当然だと。
来年の春にはおれも社会人だ。今までがんばってきたことが報われたという想いもあるだろう。ホッとした途端、ドッと疲れが出たのかもしれない。
おれは多分、人より親孝行しなければならないという意識が強いと思う。おかんには苦労のかけ通しだったから……。
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