三十五

 おかんがMRIなどの検査を終え、病室へ戻ってきた。

 おれはおかんが検査を受けている間、病院の風呂でシャワーを借りた。

「あんた、えらいサッパリした顔して」

 おかんが笑う。そして、その笑顔のままで、

「アカン、家帰られへん」

 と言った。

「え? 何でや? どっか悪かったんか? ていうか、もう結果出たんか?」

「転移してた」

「……」

 まるで、蚊に刺されたことを報告するような口調で言う。それも笑顔で。

「……どこに?」

 島田が入ってくる。

「もう、おかんには言うた。というか、見破られてた。カズ、おまえのおかんは凄いぞ! 強い。頭がええ。やさしい。ワシが言う前に、自分で自分に転移の宣告してまいよった」

「……」

 おかんが照れ臭そうに笑う。

「それで、どこに?」

「腎臓や。片方の腎臓に転移してる」

「……せやけど、昨日の時点では……」

 おかんが口を開く。

「そんなもんなんや、カズ。昨日の写真と今日の写真を見せてもらったけど、確かに昨日の腎臓はキレイやった。でも、今日の腎臓には、短くて細い線が入ってた」

「線?」

「うん。その線みたいなんが、癌細胞なんや」

「……」

 島田が言葉を引き継ぐ。

「血液に乗って転移したんや。膵臓から他の臓器に転移する一番多いパターンや」

「血液から……」

「そや。昨日の貧血も、低血圧が原因の脳貧血やった。一般的な貧血やなかった。だから、再検査したんや」

「……」

「手術してもらうで。腎臓一個取る。取っても、もう一個あるから大丈夫や」

 おかんがまるで盲腸の手術をするかのような口調で言う。

「取った腎臓、あんた食べるか?」

「……」

 おれは、おかんのジョークに笑うことができなかった。つっこむこともできない。これ以上おかんの体が切り刻まれるのがつらくなり、言葉が出なかった。この前、前回の手術の傷跡を見たが、体の中心と脇腹に、縦に二本縫った跡が残っており、痛々しかった。

 だが、おかんは闘おうとしている。決してあきらめず、逃げず、闘おうとしている。おれが逃げてどうする。

「何かお腹すいてきたわ。先生、流動食いっちょう!」

 おどけて言うおかんを見ていると、おれは涙が出そうになり、

「着替えやら何やら取りに帰ってくるわ」

 と言い残し、病室を出た。


 検査から三日後、左の腎臓の摘出手術が行われた。またもや異例の早さだ。約五時間の手術。おかんの腹部にまた傷跡が増えた。

 翌日には、おかんはパジャマの裾をめくり、手術したばかりの傷跡を覆っていたガーゼを剥がし、まだ生々しい縫合跡を見せた。

「ほら、見てみカズ。縦に傷跡が三本や。まるで川の字やな。おとうちゃんが生きている頃は、こないして親子三人で寝てたんや」

「……」

 おどけて言うおかんにおれは呆れ、同時に明るさに脱帽していた。

 だが、さすがにバカなおれも、もう気づいていた。もちろん天性の明るさもあるが、おれに余計な心配をさせないために、おかんは必要以上に明るく振る舞っているのだと。

 おれは、おかんの心の負担が心配だった。ただでさえ病気で気が滅入っているところに、おれの心のケアまでしないといけないおかん。性分と言ってしまえばそれまでだが、子なのだから、もっと心配させてくれというのが本音だった。

 だが、おれがそんなことを言っても、おかんは生き方を変えることはないだろう。おかんはおれが心配で仕方ないのだ。どうしようもなくバカで、弱くて、泣き虫で、ガキだから、おかんはいつまで経っても心配でおれを放っておけないのだ。

 もしかしたら、おかんは背中や腰に痛みを自覚した時、同時に発病にも気づいていたのではないか。おそらく気づいていただろう。そして、その重さにも気づいていた。しかし、病院へは行かなかった。それは、行けばもう普通の生活を送れないと考えたからではないか。つまり、馬鹿息子を見守れないと思ったからではないか。

 目的もなく、適当に就職を決め、自分というものを持たないまま生きていこうとするおれをおかんは放っておけなかった。かといって、それについて何か言葉をかけるわけではなく、おれの「気づき」を待った。だが、バカなおれは一向に気づかなかった。

 そうこうするうち、おかんの病状はますます悪化し、おれに気づかれるまでになってようやく病院で検査を受けた。

 結局おかんは手術を終えてから、ある意味覚悟を決めてから、おれにヒントらしきものを与えた。

 ようやく自分の「死んだような生き方」に気づいたおれは、その道を軌道修正し始めた。

 だが、おかんにとってみれば、それでもまだ心配なのだ。

 飽きっぽく、何においてもあきらめがちで、短気で、カッコばかりつけるおれのことが。

 ただ、おかんのおかげで、おれにはそういった「自覚」のようなものが生まれてきた。自分を客観的に見ることができるようになっていた。今さらだが……。

 だからこそおれは考えた末、決まっていた就職先に出向き、頭を下げた。入社辞退をしたのだ。退路を断ったわけだ。入社承諾書も提出していたし、先方の担当者からは厳しい声で叱責された。反論などできるはずもないおれは、頭を下げ続けた。理由を問われた。おれは正直に、野球でメシを食っていくためだと答えた。相手の怒りは蔑みに変わった。最後は苦笑しながら、おれを手で追い払った。

 おれは、社会人のチームのテストを受けるつもりだった。もちろんプロテストも受ける。

 今ではどの球団にも、育成枠というものがあるらしく、それは、今すぐプロとして通用しなくても、将来性ある選手を獲得し、育てるシステムだそうだ。独立リーグというものもある。

 おかんに話してみると、おかんは、「今年は無理やろ。それだけブランクあるんやから。まあ、でも、あんたが決めたことやから、おかあちゃんは何も言わん」と言った。

 素っ気無い態度だったが、おれにとっては激励以外の何物でもなかった。おかんは最後まであきらめずにやれと言ってくれたのだ。そして、恐らく、おかんはおれの決断を喜んでいるはずだ。

 早速おれは投げ込みを開始した。団地の公園で、カマボコ板のピッチャーズプレートからレンガの的を目掛けて投げる。五メートルの距離からの肩ならしはやめ、十八メートルからの肩ならしをおれは選択した。

 あの日、おかんが杖をバット代わりにして構えたのは、おれにそういうメッセージを送ったのだと思ったからだ。そして病院での言葉。「ナナメもありや」。同じ肩ならしなら、五メートルの距離からチマチマやるのではなく、一気に本来の距離でするべきだという意味だ。おれはそちらを選択した。もちろん、その方がしんどくて茨の道なのは重々わかっていた。

 一日二百球の投げ込み。最初の三日間、一度も的を射ることはなかった。ただ、四日目になると、的の近く、つまりストライクゾーンには行くようになった。しかし、スピードが乗らない。ヘナチョコ球でコントロールも悪い。最悪だ。原因はわかっていた。下半身の弱さ。そして、古傷。全力で投げようとすると、どうしても無意識に右膝を庇ってしまう。そして、違和感も変わらずそこに鎮座していた。

 無意識とはいえ、心のどこかに右膝に対する不安があるのだ。島田に太鼓判を押されて数年が経っているというのに……。

 だが、いつまでもそんなことを言っていられない。一度冒涜した野球に向き合うためにも、克服しなければならない。

 それに、おれが野球ときちんと向き合うことができたら、おかんの病状も良くなるかもしれない。

「甘えたこと言ってると、おかんに怒られるな……」

 おれは自分の弱さを克服するために、あえて右膝を苛め抜いた。長年だらけて過ごした体に鞭を入れるように走り込みを開始し、課題の右膝の不安を取り除くために、スクワット、階段ダッシュを取り入れた。

 最初は気が狂ったように大声を上げながら走った。そうしないと恐怖心に対抗できなかったからだ。それでも、公園で少年にボールを投げた時のように、最初は右足がついてこず、力が入らず、カクカクとなり、その度に転んだ。おれは何度も何度も、「大丈夫。おれの膝は治っている」と自分に言い聞かせ、走った。震える膝にカツを入れ、スクワットをした。それでもしばらくは、おれに反抗するように、右膝は違和感を突きつけてきた。

 だが、やがて根負けしたのか、右膝は反抗的な態度を改めた。つまり、右膝に勝ったというより、おれの心が恐怖や不安を克服したのだ。もっと言えば、ようやく野球に向き合えたということだろう。

 下半身だけでなく、腹筋と背筋も鍛えている。上半身は鉄棒での懸垂運動だ。

 そして、おれは今日も団地内をランニングし、団地の階段をダッシュし、公園でスクワットをした後、投げ込みをしている。

 おかんは、今日は点滴での抗癌剤の投与を受けている。術後の経過は順調で、一週間もすれば退院できるとのことだった。おれはおかんに言った、「杖は持って帰るぞ」と。理由を説明する必要はなかった。おかんが、「わかった。自分の足で歩けるように元気になるわ!」と即座に返したからだ。

 島田に言われていた。これからどんどん治療が進むにつれ、副作用とは別に、様々な心の問題が表面化する可能性があると。怒りっぽくなったり、わがままになったり、苛々したり……。それは、一進一退を繰り返す病状に対するものであったり、なぜ自分がこんな病気になって苦しまなければならないのかという気持ちからであったり、自由が利かない自分自身の体に対するものであったりと、原因は色々だが、時に理不尽な要求をすることもあると。

 もちろん、相手は病人だが、いや病人だからこそ、できるだけ本人がやりたいことをさせてやるのが一番だが、何でもかんでも要求を受け入れるのは間違いだと島田は言った。ストレスを回避するためや、病気の回復へ向けてプラスになることなら、どんどん要求を受け入れればいいが、それ以外のことでは、本人にとってマイナスにこそなれ、プラスには決してならないからと。

 それと、決して突き放すという意味ではなく、病人だからと甘やかすのもやめた方がいいと言われていた。病人と意識させることで、人間の中にある自然治癒力を弱めることになるからだそうだ。

 島田は、一番は病人として接しないことだと言った。それは難しいことだがと付け加えたが……。

 おれは、バカなりに考え、現状維持を目指していては、いつまで経っても病気は治らないと思っていた。現状維持ならずっとおかんの膵臓には癌があり、ビクビクと転移を怖れていなければならない。そうではなく、少しでも前を向き、上を向き、治そうと、治るという「暗示」にかけるのも大切だと考えていた。だから、薬を飲む時や、抗癌剤の投与を受ける時は、体に、患部に薬が沁み渡り、治癒していく様を想像するようおかんに進言した。イメージトレーニングのようなものだ。

 だが、おかんはすでにそれをしており、逆に、「あんたこそ、速い球を投げている姿をイメージしながらトレーニングせなアカンで!」と言われる始末だった。

 おれは何も言っていないのに、おかんはおれがトレーニングを積んでいることを察知していた。

 そんなおれたち親子を見た島田は、

「もう心配ないな。二人とも前向きや! 家族環境が一番大切やから、その調子でこれからも頼むで!」

 と笑った。

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