二十
晴れて(?)大学生となったおれは、春の陽気もあって、多少浮かれながら大学の門をくぐった。キャンパスに入った途端、クラブやサークルから勧誘を受ける。テニスサークルやマリンスポーツサークル、スキー同好会にカラオケ倶楽部、お見合いサークルやコンパ愛好会、日本酒研究会というものもあった。
体育会系のクラブも熱心に勧誘活動をしており、野球部やサッカー部、ラグビー部などから声がかかるかなと思ったが、不思議と勧誘されなかった。そのかわり、相撲部や柔道部から激しい勧誘を受けた。最初不思議だったが、おれはその理由に思い当たった。
ブクブク太っていたからだ。おかんは入学式用にスーツを買ってくれたのだが、既製品では納まらず、オーダーする羽目になったほどだ。おかんは、おれが採寸してもらっている時、いつもの癖で、「大きめに作ってください」と言って店員の苦笑を買っていた。
おれは恥ずかしかったが、「逆やろ。もうこれ以上大きくはならん。店員さん、痩せるから小さめに作ってや」と言ってしまい、同じように苦笑された。
おれは、相撲部や柔道部の勧誘を丁重に断りながら、痩せなアカンなぁと呟いた。
その他、ナンパなサークルからも勧誘を受けたが、すべて断った。どれもこれもチャラチャラしていて性に合わないと思ったのだ。
ナンパといえば、チャラチャラした奴らが、同じくチャラチャラした女たちに声をかけていた。おれの学力で入れる大学だから、入学してくる奴らもたいした人間ではないようで、四年間遊ぶために大学へ来た奴らや、とりあえず四年の猶予をもらった奴らが大半だという印象を受けた。
かく言うおれも、四年間の猶予をもらった身なのだが……。それでも変なプライドのようなものがあり、おれはあいつらとは違うという気分だった。
だから、おれは誰ともつるまず、サークルにも入らず、文学部だったから女子大生に囲まれる大学生活だったが、コンパや飲み会に行くこともなかった。
かといって熱心に勉強したわけではないが、授業は休まずに出た。他に何をするわけではないが、授業くらいは真面目に出ないと、おかんを裏切ることになるような気がしたのだ。
学生の中には、おれが欠かさず授業に出ていることを知り、代返を頼んできたり、ノートを貸してくれと言ってくる者がいたが、全部断った。なんで、おまえらみたいに毎日遊んでいる奴らを助けなアカンねんという気持ちからだった。そのおかげで、おれは、融通の利かない奴、ケチな奴というイメージがつき、誰も近寄ってこなくなった。
そんなことにはもう慣れっこだったし、大学というところは、つるむ奴らが多い一方で、自分の世界を創り、一人で行動している者も結構多い。だから一人でいてもそんなに目立つことはなかった。
ある日、おかんが訊ねてきた。
「勉強がんばってるみたいやな。大学生活はどうや? 楽しいか?」
「そやな……まあまあや。文学を学んで、小説家にでもなるわ」
冗談で返すと、おかんは本気にし、
「ほんまか? そうか、ええがな、作家先生。がんばりや!」
と言ってくれ、おれが夢や目標を持ったと思ったおかんは、それがかなり嬉しかったのだろう、次の日には、昔の名作から流行りのものまで、数十冊の小説を買ってきてくれた。小説なんて、最後まで読んだことのないおれにとって、それらを読むのは苦痛だったが、数ヶ月かけておれはそれらを読破した。それを知ったおかんは大いに喜び、「小説書くには、やっぱり文学に馴染むのが一番やからなぁ」と言い、本屋へ行こうとした。慌てておれはおかんを止めた。
もうこれ以上、小説は読めないし、何よりも、おかんを騙しているのが辛かった。だからおかんに言った。
「おかん、ごめん。ほんまは、小説家になんてなりたくないんや。ごめん、冗談で言うただけなんや」
「……」
おかんは絶句していた。だが、気を取り直すや、
「なんや、残念やわ。印税で楽できると思ったのに!」
と笑った。笑ってはいたが、少し寂しそうだった。だが、どこかホッとしたような表情にも見えた。
おれは、おかんがおれに与えてくれた四年間で、何かを見つけなければと改めて思った。しかし、おれは何も見つけられず、学校に通って、アルバイトをするだけの毎日だった。
一回生と二回生の時は授業が一日びっしりあり、夜に二十四時間営業のスーパーの品出しのバイトをした。大学というところは夏と春に二ヶ月も休みがあり、その夏休みと春休みには、京都の旅館で住み込みのアルバイトをした。旅館といっても、おれの仕事は完全な裏方で、宴会の席にビールを運んだり、風呂を掃除したり、リネン類をトラックに積み込んだりする力仕事だった。食事は三食ついており、そこそこのものを食べさせてもらえたが、消費するエネルギーの方が多く、一回生の夏休みが終わる頃には、ベストの体重まで落ちていた。
おかんと二ヶ月も会わないのは生まれてはじめての経験だったが、おかんはおかんで、同じく夏休みや春休みで帰阪していたハルカと一緒に過ごしており、娘ができたみたいで楽しいと言っていた。
ハルカとは会わなかった。ハルカと入れ違うように大阪へ戻った。あえてそうしていたのだが……。バイトしかすることがないおれにとって、ハルカはやはり眩しい存在だったからだ。
アルバイトで稼いだ金で、おかんを温泉にでも連れて行こうかと思ったが、断られた。「お金は邪魔にならへんから、貯金しとき」とおかんは言った。おれが、「ほな、稼いだバイト料を学費にまわそうか?」と言うと、おかんは本気で怒った。
「あんたはそんな心配せんでええねん。おかあちゃんに任しとき。おかあちゃんはそのためにおるんやから!」
それでもおれは、
「わかった。それやったら、メシでも奢らせてや。おれもたまには居酒屋でも行ってみたいし」
と食い下がった。
「わかった、わかった。ほな、今回だけな。息子に何度も奢られたない」
とおかんは言い、店は自分に選ばせろと続けた。
おかんはおれを、通天閣のお膝元である新世界の串カツ屋へ案内した。大衆的な、安い店だ。気を遣ってくれたのだろう。
おれはそこで生まれてはじめてビールを飲んだ。はじめてのビールはやけに苦いだけの飲み物だったが、おかんと杯を重ねることで、なぜか親孝行しているような気持ちになった。
「あーーー、おいしいわ。おとうちゃんが亡くなった時には、あんたとお酒を飲む時が来るんやろかと不安な毎日やったけど、あんたも大きなったなぁ」
おれは楽しくて、ビールをガンガン飲んだ。おかんは酒が強いし、親父も強かったそうだから、その血をひいたおれも強いのだろうが、初心者ということもあり、短時間で酔っ払った。
「あんた、ええ飲みっぷりやなぁ。あんたが生まれた時、おとうちゃんは言うてた。『こいつと肩並べて酒を飲むのが楽しみや』って」
「……」
不意に込み上げるものがあった。
「おかん……悪かったな。おれが道路に飛び出したばかりに……親父を失って……それだけやなく、ソフトボールもあきらめなアカンかったんやろ? おれを養うために、働かなアカンかったんやろ? ごめんな、おかん……。おかんはオリンピックも目指せたんやろ? 代表に入ってたんやろ? それをおれのせいで……おかん、ずっと働きずめやん。おれ、バイトやけど、二ヶ月間毎日働いて……働いて金を稼ぐことがどれだけ大変か、少しはわかってきてん。せやから、おかんにはほんまに申し訳なく思ってる……」
酔いも手伝ってか、おれは饒舌になっていた。自然に涙も出てくる。
「何やあんた、泣き上戸かいな。おとうちゃんと一緒やな」
「話、逸らすな!」
「別に逸らしてない。あんたと飲んでたら、おとうちゃんと飲んでるみたいで、一石二鳥やと思ったんや」
「……」
「それにな、おかあちゃんがソフトボールやめたのは、別にあんたのせいやない。おかあちゃんが決めたことなんや。おかあちゃんは、完全燃焼したから引退の道を選んだんや」
「嘘や!」
「アホ! おかあちゃんがあんたに嘘ついたことあるか!?」
「……」
ない。たったの一度もない。おかんは、おれがガキの頃から、嘘はもちろん、方便的なそれも言わなかったし、適当な答を返してくることもなかったし、お愛想で本心とは違うことを言うこともなかった。
「アメリカとの試合で、同じバッターに三打席続けてホームラン打たれた。二打席やったら、まあ、そんなこともあるやろう。でも、三打席やで。他のバッターは完璧に抑えてたのに、そのバッターにだけ打たれた。試合は日本がボロ勝ちやった。だから、おかあちゃんは、二打席連続でホームランを打たれた相手に、力勝負を挑んだ。で、結果はまたもやホームラン」
「……」
「気持ちよかった。ああいうのを完全燃焼って言うんやろな。あの瞬間だけは、日本のエースやなく、一人の人間として投げた。もしかしたら、抑えてても、完全燃焼を実感できたということで、引退してたかもしれへんな」
「……」
完全燃焼……おれが人生で未だ経験していないことだ。
「まぁ、そんな話はええがな。あーーー、お腹いっぱいや、帰ろか」
おかんが席を立ち、勘定に向かう。
おれは慌てておかんを追おうとした。だが、足がもつれる。
「お、おかん、おれが払うがな!」
「ええよ、ええよ。あんたのはじめてのお酒や、おかあちゃんが奢ったる」
結局、おかんに奢ることはできなかった。帰り道、ラーメンでも食べよかと誘ったが、
「無理に奢ってくれんでもええよ。お腹いっぱいや。串カツ何本食べたと思ってる? 二人で五十本やで。また太るわ」
「……多少太っても気づかんとこまで太ってるがな」
「アホ! これでも最近五百グラム痩せたんや」
「だから、誰も気づかんがな」
「そうか? おかしいなあ」
おれは丸々と太ったおかんを追いかけた。
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