十五
野球部が無期限活動休止となり、おれは完全に目標を見失った。それでも、停学処分が解けてからは、放課後、誰もいないグラウンドへ出て、バックネットへ向かってボールを投げ続けた。
だが、虚しさだけが募った。
それでも、おれはおかんとのキャッチボールを続けた。
おかんは、停学に関しては何も言わなかった。いつものことだ。おれが自分の意思で取った行動に対しては何も言わない。ただ、おれの知らないところで、おれが殴った二年と三年の家へ行き、謝罪したようだ。後で知った。
おかんに申し訳ない気持ちと、なんで謝らなアカンねんという想いに包まれた。聞いたところによると、相手は自分たちの悪い部分は棚に上げ、おかんを罵倒したらしい。
おれは、相手のところに乗り込んでやろうかと思ったが、また同じことの繰り返しになるので、自重した。そのかわりと言っては何だが、おれはおかんに反発した。全くもって情けないガキだ。
二度目の反抗期。それも高校生にもなって。おれはおかんとほとんど会話をしなくなった。おかんはおれがどんな態度を取っていても、全くぶれることなく、態度を変えることはなかった。色々と世話を焼き、話しかけてきた。おれはそんなおかんを無視した。おかんの作った食事を食べ、洗濯や自室の掃除をしてもらい、何もかも依存しているというのに……。
情けないことに、中学時代の反抗期の繰り返しだった。
学校でのたった一人のピッチングもやめた。事実上、部が存在していないのだからやる意味がないと思ったのだ。その頃は、転校して野球を続けようとか、部の活動再開を学校側に交渉しようという発想は浮かばなかったし、そんなエネルギーもなかった。
このまま野球をやめるんだろうなと、漠然と考えていた。一方で、おかんや、死んだ親父に申し訳ないという気持ちも湧き上がってきたが、別に二人を喜ばせるために野球をやるのではないという反発心もあった。
ただ、野球をやめるのは、それが嫌いになった時だと決めていたので、別に嫌いになっていないことを考えれば、続けるべきだという想いもあった。だが、続けられない環境に、おれは苛立っていた。
苛立ちを鎮めるため、おれはまた街に出た。中学の時と違うのは、夜の街に出たという点だ。
おれは街でケンカを繰り返し、盗んだバイクを乗り回し、酒を飲んだ。朝方家へ帰ると、おかんはすでに出勤している。テーブルには朝ごはんと弁当が用意されている。時には夕飯も。おれはそれらを貪り食い、泥のように眠った。学校は休みがちになり、次第に完全に行かなくなった。おかんと顔を合わせることも少なくなっていった。
おかんは何も言わなかった。おかんが何も言わないのはいつものことだった。おれが夜の街で暴れても、酒を飲んでも、バイクを乗り回しても、おかんは何も言わなかった。全部知っていたはずなのに……。
おれが自分の意思でやっていることだから、それを尊重していたのだ。悪いことをするのに、尊重というのは語弊があるかもしれないが、おれが自分の意思でやることには、何らかの理由や意味があると考え、何も言わない。おれがSOSを出せば別だが……。その結果、どんな答が出ようと、それをおれに噛み締めさせるためにも、おかんは口出ししてこないのだ。
内心は、悲しんでいただろうと思う。それはわかっていた。わかっていたがやめられなかった。情けないことに、野球に向けられなくなったエネルギーを燃焼させるには暴れるしかなかったのだ。
学校に友達はいなかったが、夜の街ではすぐに友達ができた。どいつもこいつも学校に行かず、働きもせず、引ったくりやカツアゲで遊ぶ金を作っているような奴ばかりだった。おれも坊主頭に剃り込みを入れ、おまけに色を抜き、いっぱしの格好をし、カツアゲの片棒を担いだ。バイクを盗み、ガソリンがなくなればガソリンを盗み、そのバイクに飽きると乗り捨て、またバイクを盗んだ。そんな生活が半年近く続いた。
その日もおれはバイクで夜の街を走らせていた。仲間たちと国道を南下する。おれたちは道いっぱいに広がり、スピードを上げ、走っていた。気持ちよかった。爽快だった。楽しかった。前を走る車が、まるでパトカーや救急車に道を譲るように左右に開く。
おれは益々調子に乗り、スピードを上げた。仲間の先頭に出る。前を行く車が眼前に迫る。おれはクラクションを鳴らした。運転しているのは若い女のようだった。女はパニックになったのか、ブレーキを踏んだ。避けきれなかった。咄嗟にブレーキをかけてしまった。タイヤがロックし、転倒した。
そのあとのことは記憶にない。
気づけば病院のベッドの上だった。目を覚ましたおれの目に、ホッとしたおかんの顔が飛び込んできた。
「アホ!」
おかんの目に涙が浮かぶ。おかんは泣いていた。
「……アホて……」
「アホやがな!」
おかんの目から涙が零れ落ちる。その涙を見て、なぜか安心した。おれはまだ生きている、そして、おかんにまだ見捨てられていない。
「……アホやな……確かに」
点滴の針が両腕に刺さっていた。右膝が分厚い木で固定され、包帯がグルグル巻きになっている。天井から吊られていた。頭にも包帯が巻かれている。
頭の方は打撲と裂傷で、検査の結果、脳には異常が見られなかったが、足の方はかなりの重症だった。右膝骨折と右膝靭帯断裂。それを聞いた途端、患部が痛みだした。
完治するまでに、リハビリがうまくいって一年ということだった。
「アホ!」
「……何回言うねん」
体を起こそうとしたら頭が痛んだ。
「痛っ!」
思わず頭に触れた手も傷だらけだった。腕も腫れている。
「頭の骨や脳には異常なかったけど、でも、頭を打ったショックでそのまま意識取り戻せへんこともあるって言われて……アホ!」
おかんが涙を拭い、
「アホ!」
とまた言った。
「……ごめん」
まるで幼い子供のように、素直に謝ることができた。
丸二日間意識を失っていたらしい。おかんの顔を見るのは久しぶりだった。それこそ二日というレベルではなく、本当に久しぶりに会った。もちろん、会話をするのも久しぶりだ。
「ごめんな……おかん」
またまた素直に謝ることができた。何かに素直になるなんて、いつ以来だろう。
自分でも、自分のしたこと、してきたことの馬鹿さ加減に気づいていたからだろう。もちろん、おかんを心配させ、悲しませてきたことにも。
おかんの目からまた涙が溢れ出す。
「アホ! 人間はいつか死ぬもんやけど……でも……勝手に死んだら許さへんで!」
「……」
「人間なんてな……一人で生まれて一人で死んでいくもんや……でもな、そやからこそ、家族がおるんや!」
「!」
おかんがベッド脇に泣き崩れる。こんなに取り乱したおかんを見るのははじめてだった。視界が霞んだ。おれの目からも涙が溢れ出ていた。おれは、おかんにこんなに大切にされている。
「あんたのためなら死ねるなんて、カッコのええことよう言わん。でもな、私が死ぬことで、あんたの命が助かるんやったら、こんな命、いつでもくれてやる」
「……」
「母親とはそういう生き物や。よう覚えとき!」
「……うん」
おれは何度も頷き、号泣していた。
まるで赤子のように、大声で泣きじゃくっていた。
私が死ぬことで、あんたの命が助かるんやったら、こんな命、いつでもくれてやる。
おれに対するおかんのあたたかい愛、そして、今までのおかんの気持ちを想うと、涙が出て止まらなかった。
いつまでも泣くおれにおかんが言う。
「あんた……スキンヘッド似合うな」
「へっ?」
おれは涙でグシャグシャの顔のまま、ソロソロと頭に手を伸ばした。
「!」
包帯とガーゼのない部分に触れる。ツルツルだった。検査をするために全部剃られたのだ。
「ちょうどええわ。私、あんたの茶髪嫌いやってん。坊主のくせに色気づいて色抜いて」
「……」
「あのな、今やから言うたるけど、似合ってなかったで、茶髪!」
「……」
「というか、日本人に茶髪は似合わん。だから、似合わんのはあんただけやないから心配しいな!」
「……慰めてるつもりか!」
いつしか涙は止まっていた。
おれの母親がおかんでよかったと思うのは、こういう時だ。
と、そこへ笑い声が加わった。
「!」
叔母が病室の入口に立っていた。パジャマを着ている。
「ほんま……スキンヘッドがよう似合うわ」
「あ、おばちゃん、心配して飛んで来てくれたん? ありがとう。せやけど、パジャマて……あっ!」
おれは、叔母の後ろに立つ人影に気づき、そして驚いた。
「ハ、ハルカ……」
思わず頬をつねりそうになった。約三年ぶりに会うハルカは、あの頃に比べ、さらに大人びていて、ますます眩しかったが、まぎれもなくハルカだった。茶色く染めていた髪が黒に戻っている。やはりハルカには黒髪が似合う。
「な、なんでここに? おまえ……東京の施設におらんかって……ほんで手紙が返ってきて……で、それから……」
「カズ!」
「へっ?」
「あのな……」
おかんが語り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます