十六

 おかんによると、一年前、ハルカの母親が事故で危篤になったそうだ。そして母親はそのまま亡くなったそうだが、知らせを受けたハルカは、母親に会いに大阪へ戻ってきた。

 ハルカはすぐに母親が入院する病院へ向かった。そして、母親の病室の前まで行った。久しぶりの母親との対面に緊張するハルカ。しかし……。

 中には入れなかった。

 数え切れないほどの管につながれた母親のまわりを、新しい家族が取り囲んでいたからだ。夫らしき男性、そしてその両親。夫の腕の中には赤ちゃんが眠っていた。母親は、新しい家族に見守られていた。

 ハルカは病室に入らず、そのまま背中を向けた。

 その足で施設へ戻ろうとしたが、ふと、父親はどうしているのだろうと気になり、かつて暮らした家へ向かった。だが、そこには別の家族が住んでいた。途方に暮れたハルカは大阪の街をブラブラと彷徨った。そして、偶然、父親の姿を見つけた。父親は、かつて離婚をするきっかけとなった女性とは別の女性と腕を組み、笑いながら歩いていた。それだけでなく、確実にハルカの方を見たはずなのに、まるでハルカのことに気づかないフリで、そのまま行ってしまった。

 おそらく、元妻が生死の境を彷徨っていることも知らないのだろう。それはそれでいいのかもしれない。もう離婚しているのだから。だが、そんな理屈では自分を納得させられず、ハルカは衝動的にホームセンターへ走り、包丁を手にしていた。

 自分でも、それを購入した後、何をしようとしたのかわからない。父を、或いは母を殺そうとしたのか、はたまた自らの命を絶とうとしたのか……。

 しかし、ハルカはそれをレジに持っていくことはなかった。なぜなら、たまたまその時、買物に来ていたおれの叔母に声をかけられたからだ。

「あんた、それどうするん?」

「……」

「そんな安物の包丁じゃあ、魚も捌かれへんで」

「……」

 ハルカは包丁を売り場へ戻し、そのまま去ろうとした。叔母が再び声をかける。

「あんた、カズの試合を応援に来てた子とちがうか?」

「……」

 リトルリーグ時代、おれの試合を欠かさず観に来てくれていた叔母は、同じようにおれの試合を観戦していたハルカを覚えていたのだ。

「今から開店準備するねん。時間あるんやったら、うちの店おいで。冷たいもん飲ましたるから」

 叔母に誘われるまま、叔母についていったハルカは、事情を全て話した。誰かに聞いてもらいたかったのだ。ハルカは、なぜか叔母には全てを話したい、聞いてもらいたいと思ったそうだ。そしてハルカの方から、店で働かせてほしいと申し出た。

 叔母はおかんにも相談したようだが、結局、ハルカを預かることにした。もちろん、施設にも連絡して交渉し、ハルカの身元引受人になった。

 叔母の店はスナックだ。だからハルカには、買物や料理の仕込み、店の掃除等の仕事を与え、客前に出すようなことは一切しなかった。その一方で、ハルカに、何でもいいから目標を持てと、何度も言ったそうだ。

 しかし、ハルカは、両親のことは吹っ切れていたものの、夢や目標を持つことができず、毎日を漠然と過ごしていた。

 そんな時、叔母が突然倒れた。三ヶ月前のことだそうだ。

 いつものように、店の奥で仕込みをしていたハルカは、何かが落ちるような音を聞いた。慌てて音のした方へ行ってみると、叔母が倒れていた。叔母は意識がしっかりしており、「床が濡れていて滑っただけや」と言ったが、そうは思えなかったため、ハルカは救急車を呼んだ。運ばれた病院ですぐに検査が行われ、身内であるおかんが呼ばれた。

 検査結果は癌。肝細胞癌。転移はなかったが、末期状態だった。余命一ヶ月。病院側は入院を勧めたが、余命一ヶ月なら自宅で過ごしたいと言い、無理やり病院を飛び出た。

 おかんは叔母を、懇意にしている島田病院へ連れて行き、院長の島田に相談した。島田は、正直劇的な回復は見込めないが、入院するより自宅で過ごす方が余命は延びると言い切り、通院による抗癌剤治療を勧めてくれた。

 結果、宣告された一ヶ月という余命を延ばしていた。

 おれは、色々なことを一気に聞かされ、頭が混乱していた。

「せやけど……なんでおれには……ハルカのこととか、おばちゃんのこととか……教えてくれへんかったんや!」

 おかんが答える。

「あんたな……この何ヶ月かのあんた見てたら言えるわけないやろ! 自分を見失ってる人間に他の人間のこと考える余裕なんてないやろ」

「……」

 確かにその通りだ。それに加え、おかんと顔を合わせるのも久しぶりなのだから……。

 叔母は、おれが病院に運ばれたから、慌ててパジャマで駆けつけたわけではなかったのだ。そりゃそうだ。おれは丸二日間眠っていたのだから……。おそらく、抗癌剤投与の日なのだろう。よく見ると、顔色が良くない。そして、久しぶりに会うから余計に痩せていることがわかった。

「おばちゃん、大丈夫なんか? あ、病気なんやから、大丈夫というわけはないやろうけど……」

「うん、大丈夫や。ここの先生のおかげで、余命が延びてる」

 叔母は笑顔で言った。だが、どこかその笑顔は寂しげだった。

「ハルカ……元気か?」

「……何それ!」

 ハルカが笑顔になる。おれは久方ぶりの再会に照れていた。

 癌からくる貧血なのか、叔母がよろめく。咄嗟にハルカが支える。おかんがハルカからバトンタッチされ、叔母を連れて行く。おかんなりに気をきかせてくれたのだろう。

 だが、二人にされても、何から話していいのかわからない。

 ハルカが先に口を開いた。

「色々あったみたいやね」

「……うん……まあな……」

 おれは、自分がやってきたことが恥ずかしく、言葉を濁した。

「そっちも……色々あったみたいやん」

「うん……お母さんも亡くなったし、お父さんも完全に過去を捨てたみたいやし……ほんまに一人ぼっちになってしもた」

「……でも、精神的には一人やないやろ?」

「……うん……でも……」

「おばちゃんのことか?」

 ハルカが頷く。

「相当悪いみたいやな」

「うん……実際、生きているのが不思議なくらいやって先生が言うてた」

「そうなんか……」

 ハルカが再び頷く。

「実は昨日から入院してるねん」

「……」

「もう自宅では無理やって……」

「そうか……」

「……これからどうするん?」

「……おまえは?」

 答えられず、質問に質問で返していた。

「わたし、高校へ行ってないから、だから、高等学校卒業程度認定試験を受けようかと思って」

「ん? こうとうがっこうしけんにんてい?」

「ちゃうわ。高等学校卒業程度認定試験や」

「だから、何やそれ!」

「簡単に言えば、その試験に受かれば、高校を卒業したのと同等の資格が得られて、大学受験できるねん」

「そうか……で、大学へ行くんか?」

「うん、医者になろうと思って」

「医者!?」

「うん!」

 ハルカの顔は晴れやかだった。誇らしげにも見えた。

「なんで医者なんや?」

「……おばさんが病気になって……でも、何もできない自分がいて……それが悔しくて。それに、医者になれば、多くの人を助けられるかなって」

「……そうか……夢というか、目標見つけたんやな」

「うん」

 その時のハルカがやけに眩しかったのを覚えている。

「それ、おばちゃんに言うたんか?」

「ううん、まだ」

「ほな、早く教えたれよ。絶対、喜ぶぞ!」

 一人になりたくて言った。

「うん」

 ハルカが病室を出て行く。その背中を見送りながら、おれはこれからどうなるのだろう、それを思うと不安に襲われた。

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