十七

 ハルカと再会した翌日、叔母は逝った。

 まるで、おれが意識を取り戻し、そしてハルカが医者になるという目標を持つことを待っていたかのように、叔母はまるで眠るように逝った。

 当たり前のことだが、ショックだった。だが、おれよりショックだったのはおかんだろう。泣いて泣いて、そして泣いた。泣けば叔母が蘇生するのではないかと思っているかのような泣き方だった。

 あんなに泣くおかんを見たのは、はじめてだ。おかんは何度も何度も、「病気に気づいてやれんでゴメンな。一緒に暮らしていたら気づいてやれたかもなぁ。一緒に暮らせば良かったなぁ」と繰り返した。

 葬式の時は棺にしがみつき、「ありがとうな、お姉ちゃん。わたしを養うために、大好きなソフトボールをあきらめてくれたり、色々なことを犠牲にしてくれたやろ? ありがとうな、お姉ちゃん」と、また泣き崩れた。

 ハルカも泣いていた。

 おれは、なぜか泣けなかった。叔母には本当に世話になった。親父が亡くなってから小学校低学年くらいまで、おかんが仕事に行っている間、欠かさず面倒をみてくれた。大阪の文化や笑いについて教えてくれたのも叔母だ。大応援団を引き連れ、野球を観に来てくれたし、おかんが仕事でいない時は母親同然に叱ってくれた。

 だから叔母には感謝してもしきれない。それでもおれは泣けなかった。実感がなかったからだろうか。

 ヤクザが用心棒代を払えと脅してきても突っぱね、嫌がらせを受けても負けなかった叔母。人生に溺れそうな客を慰め、親身になって悩みを聞き、時には叱咤激励し、救ってきた叔母。叔母のおかげで死なずに済んだ人間がどれほどいるだろう。

 そんな叔母が呆気なく死んでしまうなんて、信じられなかった。冷たくなって、棺に入っているのを見ても、現実感がなかった。

 ただ、それでも、おれは叔母に向かって礼を言った。

 叔母が亡くなったため、店は畳むことになった。ただ、ハルカのたっての希望で、ハルカは叔母が住んでいた店舗上の住居に住むことになった。おかんの好意で家賃は無料。ハルカは早々にアルバイトを見つけ、勉強を始めた。

 おれは……叔母の葬式の日だけ特別に外出許可を貰い、すぐに入院生活に戻った。

 一緒に走っていた仲間や、街で暴れていた仲間たちは、誰一人として見舞いに来なかったし、何の連絡もしてこなかった。

 おれが転倒し、救急車が到着する前に、彼らは事故現場から立ち去っていたと、事故担当の警官から聞いた。

 警官は、彼らの連絡先をおれに訊いてきた。これを機会に、無謀運転等で彼らにも事情を訊きたいということだった。おれも病室で簡単な事情聴取を受けた。無謀運転に関してはお咎めなしだったが、中にはいくつか被害届が出ている案件もあり、その案件に、おれがつるんでいた奴らが絡んでおり、彼らを何とか逮捕したいので、行方を教えてくれと警官は言った。

 おれは、奴らの連絡先を教えなかった。それは、奴らを庇ったわけでも、警察に協力したくなかったからでもない。教えなかったというより、教えられなかったのだ。

 おれは奴らの連絡先を知らない。自宅はもちろん、携帯のナンバーさえ知らなかった。

 フラッとミナミあたりへ行き、自然に合流するという流れで奴らと会っていた。だから時には会えないこともあった。警察にはそう説明した。警官は、最初は半信半疑だったが、誰も見舞いに来ず、連絡もしてこない現実を目の当たりにすると、おれの話を信じたようだった。

 おれは改めて、奴らとは仲間じゃなかったんだなと実感した。奴らが、見舞いに来なかったり、連絡ひとつ寄越さないからそう思ったのではなく、考える時間がありすぎるほどある入院生活の中、奴らとの日々を思い返した時、「楽しくなかったなあ」とか、「好きなことではなかったなあ」という想いが込み上げてきたからだ。

 おかんの涙もおれの心を動かした。おれは、退院しても、もう奴らとはつるまないと誓った。

 おかんにそれを言うと、「そうか」とだけ答えた。

 そういえば、おかんは、「誰々と付き合うな」とか、「あの子と遊んだらアカン」などと言ったことがない。それはガキの頃からそうだった。小学生の時、おれが、同級生の父兄からそういう目で見られたことはあっても……。

 おれが夜毎街で暴れていても、おかんは何も言わなかった。世間の親のように、一緒にいた奴のせいにもしなかったし、いざとなったら息子の言動・行動の責任は自分が取るという腹の括り方をしていたように思う。

 ただ、おかんはある時、ひとつだけおれに言った。

「あんた、何してもええけど、ほんまに好きなことしてるか? 今してることは、好きなことか? そんなことしてる自分をあんたは好きか?」と。

 その時、おれは何も答えられなかった。答えられないことが悔しく、「うるさい!」と言い返し、答を求めるように夜の街へ繰り出した。

 おれ自身、わかっていなかったのだと思う。好きなことなのかどうなのか。いや、もしかしたら、好きなことだと思い込もうとしていたのかもしれない。

 ただ、事故を起こし、おかんの涙を見て気づいた。決して好きなことではなかったと。確かに街で暴れ、バイクで暴走すればスカッとしたし、何もかも忘れられた。だが、それは結局逃げだった。楽しくもなかったし、嬉しくもなかった。もちろん好きなことでもなかった。そして、そんな逃げる自分が、おれは実は好きではなかった。

 だからおれは、奴らと関係を断ち切ることにした。

 ほどなくおれは退院となり、松葉杖をついて通学した。退学にならなかったのが不思議だったが、あとで、おかんがおれを退学にしないでくれと校長と教頭に頭を下げていたと聞き、おれはまたおかんに助けられたことを知った。

 やがて、骨がくっつき、リハビリが始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る