十八
学校が終わると、自宅から徒歩十分、退院したばかりの島田病院へ通った。
島田は五十過ぎの、ロマンスグレーのよく似合う、男のおれから見ても男前のドクターだった。
昔、ラグビーをやっていたとかで、長身のガッチリした体型をしていた。白衣は腰までの短いタイプのものを着用していた。だから体型がよくわかる。
「椅子にふんぞり返ってるタイプの医者はロングタイプの白衣で充分やろうけど、ワシはそんな医者にはなられへん。常に動いていたい。だから、こんな白衣着てるんや」と島田は言った。
その言葉通り、島田は精力的に動きまわるドクターだった。おれのリハビリに付き合っていたかと思うと、受け入れ先のなかった救急患者を受け入れ、緊急オペを敢行するや、今度は診察の合間を縫って往診に向かった。
内科、外科、整形外科、そして脳神経外科にも精通した、まさにスーパードクターだった。
叔母も島田に全幅の信頼を置いていた。逝くその直前まで、島田に礼を言っていた。
おれはすぐに島田に心を開くことができた。体育会系ともいうべきノリと、その若々しさに惹かれ、そして年齢的な部分からも、父親のような感覚を抱いていたのかもしれない。
島田も、おれを患者というより、身内のような感覚で接してくれた。それは、どの患者に対しても同じだったが、おれは嬉しかった。機械的な、マニュアル的な仕事しかしないドクターが多い中、島田の態度は新鮮だった。島田が厳しくなれば厳しくなるほど、親身になってくれていると思え、おれは嬉しかった。不思議だった。以前は反発していたはずだ。やはりどこかで父性を求めていたのだろうか。
リハビリは想像を絶するものだった。膝の骨は完全にくっついているものの、まわりの筋肉は衰えていたし、手術によって繋ぎ合わされた膝靭帯は、まさにかろうじてくっついているといった状態で、リハビリによって強固なものにしていかなくてはならなかったのだ。
また、入院している時に、損傷していた半月版の縫合手術を終えていたものの、痛みや腫れがあり、動かすことが怖かった。爪先を自力で持ち上げることができないため、歩くことすらままならなかった。
だが、島田は容赦なかった。動かさなければそのまま動かなくなると言い、まるで運動部のトレーニングのような激しいリハビリをおれに課した。ストレッチに始まり、ハーフスクワット、片足立ち、階段の昇り降り、片足ダッシュ、エアロバイク……。そして、リハビリ後のマッサージもなかなかきついものがあった。
マッサージは、リハビリで疲労した筋肉を和らげる役目と、長い間ギブスで膝を固定していたことで、変な方向に凝り固まってしまった筋繊維の矯正を兼ねているため、かなりの痛みを伴うものだった。
時に逃げ出したくなった。そして実際、サボったのは一度や二度ではなかった。その度、おれは島田にどやされた。それは、医師と患者というより、まさに身内、父と息子の関係のようだった。あくまでおれが想像する親子像だが。
リハビリをサボると、リハビリのことが気になり、リハビリを受けると、今度はかつての仲間……実際は仲間などではなかったのだが、彼らのことが気になった。
彼らは、おれが入院中、一度も見舞いに来なかったし、退院して、復学してからも、誘いには来なかった。おれはもう、彼らとは付き合う気がなかったため、それはそれでよかったのだが、キッチリ終わらせたいという想いもあった。そして、おれのような大怪我をする前に、バカなことはやめろと言いたかった。そういう意味で気になっていたのだ。
日が経つにつれ、彼らのことがどんどん気になってきたおれは、ある日、リハビリをサボり、ミナミへ向かった。彼らに会うために。中一の時に着ていた派手なアロハはサイズ的に小さくなっており、おれはそれを羽織るようにして、ミナミの街を歩いた。
アロハを羽織ったのは、荒れた過去と完全に決別するためであり、また、派手な格好をしていると、相手の方が見つけてくれるかもしれないと思ったからだ。
道頓堀に架かる橋の上に彼らはいた。以前と同じように、派手な色の髪をし、派手な服装に身を包み、橋の上を行く人を意味もなく睨みつけていた。いや、意味はある。「狩り」をする相手を物色しているのだ。
おれは彼らの元へ向かった。派手なアロハが視界に入ったのだろう、彼らが一斉におれを睨んだ。
だが、派手な格好の主がおれだとわかると、にこやかに、いや、馴れ馴れしい笑顔を向けてきた。
「おう、退院したんか?」
「誰だかわからんかったぞ、髪が黒くなってるしな」
「また暴れようぜ!」
彼らは口々に言い、まるで親友にするように、おれの肩に腕をまわしてきたり、ボディにパンチを入れる真似をしたり、頭に手をやってきたりした。
おれは、彼らの手荒い歓迎から逃れるように距離をとると、言った。
「悪いけど、もうおまえらとは付き合わん」
彼らは皆、一瞬凍りついたような表情になったが、すぐに、
「冗談言うなや!」
「シャレきついで、ジブン!」
「アホなこと言うてんと、遊びに行こうぜ!」
と薄ら笑いを浮かべながら口々に言った。
それはまるで、現実と向き合うことから逃げ出そうとしているかのような態度だった。
気づけば、リーダー格だったシンヤの姿がない。
「シンヤは?」
おれの問いに、彼らはまた薄ら笑いを浮かべるだけだった。
「捕まったんか?」
おれは、入院中、訪ねてきた警官のことを思い出した。警官は、彼らを捜していた。その中でも、特にシンヤを捜していたのだ。
「まあ、ええがな、その話は。行こうぜ、カズ!」
「……」
「早よ行こや、カズ!」
一人がおれの腕を引っ張る。
「離せや!」
おれは腕を振り払い、
「気安く名前呼ぶな!」
と叫んでいた。
おれの名前はカズナリだ。一成と書く。両親がつけてくれた。どんなことでもいい、一番になってほしい、あるいは一番になれるようがんばってほしいという願いを込め、つけたそうだ。
おれはこの名前が気に入っている。好きだ。おかんも島田もおれを「カズ」と呼ぶ。親父もそうだったらしい。叔母もそうだ。だが、こいつらには気安く呼んでほしくない、そう思った。
「なんやねん!」
腕を振りほどかれたロン毛が胸倉を掴んでくる。肩からアロハが落ちる。それを機に、全員がおれを取り囲んだ。全部で七人。
「おれが入院して、シンヤが捕まって……それでもおまえらは……さっきも狩りをしようとしてたやろ!」
「じゃかましい、悪いんかい!」
「……おまえら、好きか?」
「あ?」
「こんなことするの、好きか?」
「……」
彼らが一瞬ハッとした表情になり、黙り込む。だが、すぐに現実から目を背けるように、おれに殴りかかってきた。
あっという間にフクロにされた。多勢に無勢。だが、おれは無意識のうちに右腕を庇っていたらしい。止めに入ってくれた通行人の一人があとで教えてくれた。
やがて警官が駆けつけた。奴らは散り散りに逃げていった。おれだけが交番に連れていかれたが、騒ぎを知った島田が来てくれ、そのまま病院へ運んでくれた。
怪我はたいしたことはなく、簡単に治療を終えると、おかんが仕事を抜け出して来てくれた。怒られるかなと思ったが、おかんは笑っていた。事情は全て島田から聞いたようだった。
おかんは、
「心配したがな、アホ」
と泣いた。そして、
「男やな、あんた」
と言ってくれた。
「……」
おれも泣けてきた。
感動的な親子のシーンだったが、島田が水をさす。
「さあ、カズ、リハビリ始めるぞ!」
「ええっ!」
「なにが『ええっ!』や。昨日も一昨日もサボりやがって!」
それを聞いたおかんは、
「え! サボったんか、あんた!」
と怒り出し、おれの頭を張った。
「痛っ! あいつらより強く殴るな!」
病室に笑い声が広がった。
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