九
おれとおかんの練習は第二段階に入った。おかんがキャッチャーになり、徹底的に投げ込んだ。基本的なフォームを教わり、あとは投げやすいように投げた。肩や肘を痛める投げ方をしていると、微調整してくれた。そうやって投げ込みをしながら、おれは自分のフォームを作っていった。コントロールはイマイチだったが、たまにストライクも入るようになった。そうなると野球が面白くなり、嫌になりかけた野球がどんどん好きになっていった。
少しずつだが、試合で投げるようになると、ますます野球が好きになっていった。
試合の度、おかんは仕事を抜け出して観に来てくれた。叔母も、店のお客たちと大応援団を結成し、ヤンヤヤンヤの大歓声を上げ、野次を飛ばし、おれが交代を告げられると、金網によじ登って監督に抗議した。映像で見たことがあるが、まるで古き良き時代の大阪球場の南海ファンを見ているようだった。
春も夏も秋も冬も野球漬けだった。学校の成績はどんどん下がった。でも、そんなおれにおかんは勉強しろとは言わず、
「何かに一生懸命になれるのは素晴らしいことや。野球バカでええ。バカにはバカぢからがある」
と言ってくれた。
その言葉に背中を押されるように、まさに野球漬けの毎日を送った。
おかんはおかんで、朝から晩まで仕事で忙しく、外食に行く暇もなかったが、おかんは、家で食べる食事が一番やと言い、毎日食事を作ってくれた。帰りが遅いとわかっている日は、作ってから仕事に行ってくれた。
年々、おれの食べる量は増えた。おかんも大食いだった。だから、食卓には二人前とは思えないほどの量のおかずが並んだ。米は一日一升炊いても追いつかなかった。
当時、某餃子チェーンでは、餃子十人前を三十分以内に食べると無料というキャンペーンをやっていた。もちろん挑戦に失敗すると、十人前分の料金を払わなければならない。料金にして約二千円。小学生にとっては大金だ。だが、失敗する気がしないおれは、金を持たずに店に行き、挑戦した。もちろん成功した。時には夕食を食べた後、小腹が空いたために挑戦することもあったが、軽く食べきれた。
成功した者は店に名前を貼り出され、その店では二度と挑戦できない。だからおれは、大阪中の店舗をまわった。交通費をかけたら意味がないので、もちろん徒歩かチャリンコでまわった。二ヵ月後には全チェーンを制覇し、おれは本社から表彰された。
ただ、それだけ食べても太らなかった。おかんはどんどん太っていったが……。野球のトレーニングをしていたし、食べた分以上のエネルギーを消費していたのだろう。
食べると言うと、こんなエピソードがある。
あれは小学校最後の運動会。それまでの五年間、おかんは観に来てくれてはいたが、仕事のため、途中で帰ることが常だった。だが、最後ということで、その年は最初から最後まで、叔母と二人で応援してくれた。
おれは百メートル走、そしてリレーで二冠を手にした。最後のプログラムである親との手つなぎ徒競争で勝てば三冠だ。もちろんおれは三冠を狙っていた。
しかし……おかんと叔母が大量に作ってきてくれた弁当にテンションが上がったおれは食べすぎてしまっていた。おまけに、おれの二冠に気をよくしたおかんと叔母がこっそり持ち込んだビールを飲み始め、酔っ払い状態。食べすぎで動けないおれと、酔っ払いのおかんが手をつないで走って勝てるわけなどなく、ダントツのビリだった。おまけにおかんはゴール目前でゲーゲー吐く始末。おれたちは学校中の顰蹙を買った。それでもおれは嬉しかった。おかんが最後まで運動会にいてくれて、手をつないで一緒に走ってくれて、本当に嬉しかった。
野球を始めて一年。六年生になった時、おれは五人抜きでチームのエースになった。相変わらずコントロールはイマイチだったが、小学生ばなれしたスピードボールで三振の山を築いた。
そして最後の夏の大会。府大会決勝。最終回まで〇対〇。だが、最後の最後にサヨナラ暴投をしてしまい、おれのリトルリーグ生活は終わりを告げた。
「やると思った」
おかんは負けたことを悔しがり、それでも笑って言ってくれた。
リトルを退団すると同時に、スカウトがおれの元を訪れるようになった。大阪だけでなく、四国や九州、関東の私立中学からも続々とスカウトがやってきた。どの中学も、高校までエスカレーターで入ることができ、それぞれ甲子園を狙える学校だった。
だが、おれは地元の公立中学を選択した。
おかんと離れるのが嫌だったのだ。寂しいというよりも、おかんとキャッチボールができなくなるのが嫌だったのだ。
おれは、おかんとのキャッチボールが原点だと思っていたし、そのおかげで各地からスカウトが来てくれるまでになったと自覚していた。だからおかんとのキャッチボールを続けたかったし、それが好きだったのだ。
もしかしたら、それこそがおれのマザコンの原点なのかもしれない。
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