四十一
入院での治療が施されることになった。
抗癌剤、放射線、温熱療法……まるで日替わりメニューのように、おかんは次々に治療を受けた。
島田の計らいで、島田が以前研究室として使っていた部屋を提供してくれた。
おれは思う存分おかんの看病ができた。だが、人間の体は、こうも極端に変化するのかと痛感するほど、おかんの体力はどんどん落ちていった。腹水が溜まり、熱が上がったり下がったりを繰り返した。
一日中、意識を失ったように眠り続けることもあったし、モルヒネが切れる度、目を覚まし、痛みを訴える日もあった。そして、痛みで意識を失うこともあり、おれはそんなおかんを見ていられなかった。壮絶だった。だが、見た。闘うおかんを見続けた。
調子がいい日ももちろんあった。そんな時は、散歩に行きたいと言った。だが、もはや自分の足で歩くことはできなかった。車椅子。車椅子に乗せる時に抱えたおかんの体は軽く、おれにしがみつくおかんの腕は細く、点滴の針が刺さったままの散歩は、おれを多少憂鬱にさせたが、おかんは嬉しそうだった。空を見上げ、タイヤに土を感じながら、冷たくなった風に目を細める。もちろん全身で喜びを表現することはないが、心全体ではしゃいでいるように見えた。そんな時、おれは、車椅子ではなく、ベビーカーを押しているような錯覚に陥った。
これも親孝行なのかなと思ったが、どうせならもっと別のかたちで親孝行したいと思うのだった。
おかんが眠っている時、おれはベッドの横でシャドーピッチングをした。タオルを握った右手を遥か前方へ放り投げるようにシャドーを繰り返す。前へ。明日へ。未来へ。親父とそっくりのピッチングフォームでおかんを応援した。いや、おかんに完成したフォームを披露した。眠り続けるおかんは何も言ってはくれなかったが、穏やかな寝顔がおれには救いだった。
病人は、眠っている時が一番幸せだと言った人がいた。痛みや苦しみ、病気自体のことを忘れられる時間だからだそうだ。おかんもそうなのだろうか。すべてを忘れて眠っているのだろうか。夢の中でまで、病気で苦しんでいないだろうか。
仮に病気のことを忘れていても、おれのことが心配で、眠りながらも頭を悩ませているかもしれない。
夜になると、おれは灯りのともらない、寒々とした自宅へ戻らなければならない。ずっと鍵っ子だったから、灯りのともらない家に帰るのは慣れている。ただ、それは、おれが灯りをつけ、おれが部屋をあったかくして仕事から帰るおかんを待つという事実があったし、そういった使命感のようなものに燃えていたから、寂しかったが寂しくはなかった。おかんが必ず帰ってくるという安心感もあったから……。
だが、今は違う。おかんは帰ってこない。島田からも、しばらく家には帰れないとハッキリ言われている。
おれは寂しさを紛らわせるため、公園へ行き、投げ続けた。まるでおれが投げ続けることで、おかんが元気になると信じ込んでいるかのように……。
おかんは痛みをハッキリ口にするようになった。
背中が痛い。
腰が痛い。
足が痛い。
まだ病気が発覚する前にも、おかんはよくそんな痛みを訴えた。その度、おれは心配しつつも、長年働きづめの疲れが出ているのだと思っていた。おかんも多分、最初の頃は疲れが出ているのだと思い込んでいたのだろう、「痛い」とか「しんどい」などといった弱音を吐かない人なのに、それを口にしていた。軽い気持ちで口にしていた。立ち上がる時に、ついつい「よっこいしょ」と言ってしまうのと同じように。
だが、今はその時とは違う。自分が大きな病気だと理解していて、おかんは痛みを口にしている。あれほど弱音を口にしなかったおかんが……。
それだけ痛いのだ。つらいのだ。
おかんは、目を覚ましている間は常に痛みを訴えるようになった。その度おれは、おかんが痛みを訴える箇所をさすり、声をかけ続けた。
腰をさすっている時、パジャマの裾がはだけて腹水でパンパンに張った腹が露わになることがある。そんな時、おかんはおれの手を払いのけ、「見るな!」と怒鳴り、布団を被ってしまうこともあれば、同じ状況でも、「ほら、見てみ、カズ、カエルのお腹みたいやろ? それともタヌキか? えらい太ってしもたわ」とおどけることもある。その時その時、一瞬一瞬によって、おかんの精神状態は著しく変化した。
また、「切ってくれ、カズ、頼むから切ってくれ。どうせ歩かれへんのやから、こんなに痛い足切断してくれ!」と言ったかと思うと、「痛いということは生きてる証拠やな。でも、こんな痛い想いまでして生きなアカンのか? なあ、人間って一体なんや!」と涙を流すこともあった。
体をさすっている時、抗癌剤の副作用で吐くこともあった。流動食も口にしていないため、水しか出ない。胃液すら満足に出ない。おれはそれを咄嗟に手で受ける。時々、胃からの出血なのか、吐きすぎたせいで喉が切れたのか、手が鮮血に染まることがあった。
やがて、トイレにも立てなくなり、膀胱に管を通すという話になったが、おれはそれを拒否した。ただでさえ管だらけになった体に、また新たな管が増えるのが嫌だったし、おれ自身、おかんの下の世話をしたいと思ったのだ。
おかんはどんどん子供になっていった。
突然泣き出すこともあった。意味不明のことを口走ることもあった。殺してくれと言うこともあった。おれを親父と間違うこともあった。そして、おれに向かって、「あんた誰や?」ということもあった。
島田は言った。「抗癌剤や放射線の影響で、一時的にそうなっているだけや。気にするな」と。
おれは逃げ出したくなった。
薬のせいで、意識が朦朧とした状態であったにせよ、息子のおれを認識できないなんてあんまりだと。
でも、おれは逃げなかった。今まで、すぐに投げ出し、放り出し、逃げ出してきた人生だったことに気づいたのだ。ここで逃げ出したら一生逃げるだけの人生になってしまうという想いがあった。それに、自分のおかんから逃げ出してどうするという気持ちがあった。
おれを認識できなくても、一緒にいれば、心は必ず繋がっていると信じていた。
おれは、おかんは一時的に子供に戻ったんだと考えるようにした。だから、痛みや苦しみ、悲しみを隠さず表現するし、おれが誰かもわからないんだと。
人間は子供から大人になり、そしてまた子供に戻るのだ。
おれは、おかんが痛いと言う部分をさすり、おれはあんたの息子のカズだと根気強く説明した。そんな時に限っておかんは、「わかってるわ! あんた、おかあちゃんをバカにしてるんか!」と怒り、そっぽを向くのだった。
そっぽを向きながらも、おかんは涙を流していた。自分が情けないのだろうか。悔しさもあるだろう。おかんは子供のおれから見ても、一生懸命生きてきた人だと思う。
幼い頃に両親を相次いで亡くし、姉と二人で生きてきた。ようやく見つけた幸せも、夫の死で影が射す。それでもおかんは、おれを守るため、必死で働いた。父親がいないから……そう言われたくない一心で、歯を食いしばってがんばってきた。親代わりであった姉の死を乗り越え、おれを大学に行かせ、これからという時の発病。なんで私が? 口にこそしないが、そういう想いに包まれたはずだ。
涙を流しながら、「足が痛い。ちぎれそうに痛い。いっそのこと切断してほしい」と言う。おれは、あまりに細くなったおかんの足をさする。直に骨をさすっているような錯覚に見舞われるほど、それは細く冷たかった。
いつの間にかおかんは眠る。まるで、子供が親に頭や背中をさすられて眠るように、おかんは静かに眠る。
おれはホッとする。
痛みで目を覚ますおかんを見るのはつらいが、痛みで気絶するように眠るおかんを見るのもつらいからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます