四十七
おかんが息を引き取るまでの間、おれの耳には、いや、おれの心には、ガキの頃からおかんに言われてきた、いわゆる「おかんのことば」が次々に沁み込んできた。おれはそれらを、ベッド脇に跪きながら聞いていた。
静かに涙を流しながら……。
『生きてるから痛いんや!』
『逃げるくらいなら負けといで!』
『負けてもええ。負けても次に勝ったらええんや!』
『常に腹減らしてる者が勝つんや。ハングリーや!』
『泣きたい時には我慢せず泣いたらええんや。なんぼでも泣いたらええ。そのかわり、泣いた分だけ強くなりや!』
『ほんまにしんどい人間は、しんどいなんて言われへんわ!』
『好きなことしい。好きなことなら勝てるやろ!』
『相手も同じ人間やろ!』
『恥かいてナンボや。恥も積もれば力になるんや!』
『ごはんとおかず交互に食べ!』
『人生は一度きりや。でも、生きてさえいれば、何回でもやり直せる』
『何でも大きめ買いや!』
『崖っぷちなら、いっそ跳んでしもたらええがな』
『人生ナナメもありや。曲線もな。でも、ナナメに行く分、真っ直ぐ行く者の何倍もの努力が必要やけどな』
『あんたのためなら死ねるなんて、そんなカッコのええことよう言わん。でもな、おかあちゃんが死ぬことで、あんたが助かるというケースがあるのなら、おかあちゃんは喜んで死ぬ。それが母親いうもんや!』
『人生、全部あそびや』
『……』
突然、おかんの声が心に届かなくなった。
「……おかん?」
おかんを見る。
酸素マスクがクリアになっている。心電図モニターの波線が直線になり、その線が消え、やがてモニターの電源が自動的に落ちた。
「……おかん……」
おかんが……逝った。
島田は、何の蘇生法も施さなかった。
でも、それでよかった。
おかんと二人きりにしてくれるつもりなのか、看護師を促し、部屋を出ていく。
おれはゆっくり立ち上がり、酸素マスクを外してやった。おかんの口元に目をやる。
『思いっきり泣いたらええ。でも、泣きやんだら強くなりや』
そんな声が聞こえた気がした。
「!」
おかんがおれに贈ってくれた数々のことば。
おかんは、叱咤激励の意味だけでなく、おれに強くなってもらいたくて、「ことばのボール」を放ってくれていたのだ。
おれは今まで、それらをすべて受け止めることができていなかったのだろう。おかんは親父の墓に向かってお願いしていた。「カズを強い男にしてください」と。最後に行った墓参りでも、こっちへ来いという親父に、「カズが心配やから、もうちょっとこっちの世界にいさせてください」とお願いしたと言っていた。
そのおかんが旅立った。
おれはすべて受け止めることができたのだろうか。
強くなれたのだろうか。
わからない。
今もこうしてメソメソ泣いている。
ただ……涙が止まれば少しは強くなれるような気がする。
「おかん……」
ボールを握るおかんの手から力が抜け、ボールが零れ落ちる。
おれはしっかりそれを受け止めた。涙を拭い、強くなるために受け取った。
キャッチボール。おかんからの最後のボール。
「生き!」
どこからか、そんな声が聞こえた気がした。
おれはその声に笑顔を返した。
「おかん……おおきにな」
(了)
おれのおかん 登美丘 丈 @tommyjoe
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