十二

 長かった夏休みも終わり、二学期が始まった。始業式の日、教室にハルカの姿はなかった。サボリかなと思ったが、ホームルームで担任から転校したと聞かされた。

 ショックだった。とにかくショックだった。あれから三日。おれは相変わらず街でブラブラしていたが、ハルカはあの日以降、繁華街に姿を見せなかった。もしかしたら立ち直ったと思っていたのだ。そして、立ち直ったのなら嬉しいと思っていた。自分のことは棚に上げて……。

 学校で再会したら、仲の良い友達になれそうな気がしていた。いや、もしかしたら、付き合えるかもしれないと淡い期待を抱いていた。それだけにショックだった。

 おれは練習をサボり、真っ直ぐ家へ帰った。すると手紙が来ていた。ハルカからだった。今のように携帯がない時代だ。固定電話以外で気持ちを伝える手段は手紙しかなかった。

 消印は関東のそれになっていた。慌てて封を切る。愛想も何もない無地の便箋だったが、丁寧な文字が大量に並んでいた。

 ハルカは関東の養護施設に入っていた。理由は両親の離婚。原因は、父親と母親がそれぞれ別の相手と付き合っていたそうだ。ダブル不倫とかいうやつだ。結果、離婚。ハルカはどちらにも見捨てられ、施設へ行くことになったそうだ。ハルカが荒れていたのは、勉強や塾でのオーバーワークのせいではなかったのだ。

 おれは、ハルカの気持ちを想い、胸が張り裂けそうになった。勉強や塾が理由だと勝手に決めつけ、おまえらしくないと訳知り顔で注意した。おれはとんだ馬鹿野郎だった。ハルカの話を少しでも聞こうとしなかったことが悔やまれた。聞いたところで何もできなかっただろうが……。

 ハルカは書いていた。「お母さんを大切にね」と。もう親孝行をできないハルカを想うと胸が痛んだ。

 それからこうも書いていた。「野球がんばれ!」と。

 ハルカは小学生の頃からおれのことを知っていたらしい。元々野球ファンで、幼馴染みが入っていたリトルリーグのチームを応援に行ったところ、相手チームのピッチャーがおれで、おれが相手をノーヒットに抑えたそうだ。それ以来、秘かにおれの追っかけをしていたらしい。だから、中学に入ってからのおれのやる気の無さが気に入らず、そして心配だったとも書いていた。

「なんやねん、あいつ……それならそう言えよ……」

 ハルカが応援してくれていたら、おれはもっと真剣に練習に取り組んでいたと、情けないことに自分に言い訳していた。

 ハルカは最後にこう結んでいた。

「野球続けてね。わたしも何か夢をみつけてがんばるから。友達って言ってくれて、好きって言ってくれて、うれしかったよ。ありがとう」


 

 それでもおれは野球をやる気にはなれなかった。学校には一応休まず通っていたが、練習はサボっていた。サボっても、監督や先輩は何も言わなかった。練習に来なくても、試合で勝ってくれればいいと考えているようだった。おれの頭の中にはハルカのことしかなかった。

 色ボケとは少し違う……虚しさのようなものに包まれていた。せつなさと言ってもいい。いや、それこそが色ボケなのだろうか。

 おかんも何も言わなかった。何も言わず、毎日朝早くから夜遅くまで働き、ごはんや弁当を作ってくれた。

 おれは腑抜けだった。四六時中ハルカのことばかりが頭に浮かび、一時は真剣に関東へ行こうかと考えたほどだ。

 やがて秋の大会の日がやってきた。相手は明らかに格下ということもあり、おれが投げなくても大丈夫だろうと監督に言ったが、却下された。軽くキャッチボールをしただけでマウンドに上がる。軽くひねってやろうと思っていた。

 だが……やられたのはおれの方だった。

 明らかに格下だった相手は、夏の猛練習で強く、逞しくなっていた。それに対し、練習不足で走らない真っ直ぐとヘナチョコカーブしかないおれのボールは、全く通用しなかった。クリーンアップはもちろん、下位打者にまでホームランを打たれる始末。練習不足からスタミナも落ちており、三イニング投げただけで、息が上がった。まるで悪夢だった。夢でも味わいたくない惨状だった。

 本来ならボロ勝ちする相手にボロ負けし、三年の先輩たちは引退した。

 翌日、涼しい顔で登校したおれは、引退した三年の先輩とその仲間の不良たちに体育館裏に呼び出され、フクロにされた。おれは一切抵抗しなかった。いつもなら反撃するのだが、殴られて当然だと思ったので、黙ってされるがままになった。

 おれの傷だらけの顔を見ても、おかんは何も言わなかった。

 おれは野球をやめようと思った。親父のグローブをそっと押入れに仕舞うおれを見て、はじめておかんが口を開いた。

「野球が嫌いになったんやったら、やめたらええ。嫌いなことを続けてもしゃあないからな」

 反抗期のおれは反論した。

「ああ、嫌いになったからやめるわ。一時のスランプで打たれたからってどいつもこいつも……そら、野球も嫌いになるやろ」

「アホか、あんた!」

 おかんが言い返してくる。こういう時、本気になって喧嘩してくれるのがおかんだった。

「何がスランプや。下手くそにスランプもクソもあるかいな! 生意気言いな! 打たれたのは実力や。あんたの力がそれっぽっちしかないっちゅうだけの話や」

「……打たれるの、わかってたんか?」

「当たり前や。おかあちゃんは親バカやない。我が子の力くらいわかってるわ」

「……」

「特に中学へ上がってからのあんた見てたら、すぐに壁にぶつかるって思ってた」

「……」

「一番手になったくらいで有頂天になって、あんた、まともに練習してたか? してないやろ?」

「……」

 図星だった。

「夏休みも毎日遊び呆けて」

「知ってたんか?」

「当たり前やろ、親やで! そんな真っ白けの肌して。グローブはグローブでほったらかしやったやないの!」

「……うん」

「おとうちゃんに貰った素質だけじゃあ、ある一定のところで成長は止まってしまうんや」

「……なんで、怒れへんかったんや? なんで、今も怒れへんのや?」

「怒っても仕方ないやろ。やる気のないもん、無理やり尻叩いてもしゃあない。そんなことするより、試合で打たれた方がこたえるやろ?」

「……うん」

 これまた図星だった。

 おれは、親父とおかんから授かった才能を信じ、過信し、それさえあれば練習など必要ないと思っていたのだ。

 それに、中学に上がってからのおれは、おかんとのキャッチボールをしなくなっていた。照れ臭かったのだ。反抗期だったのだ。おかんと一緒に歩くことすら恥ずかしかった。

 おれは自分の練習不足を認めていた。認めてはいたが、完全に自信を打ち砕かれていただけに、復活できるかどうか不安だった。

 おれは久しぶりにおかんに甘えていた。

「練習しても練習しても、打たれるような気がする……」

「アホ!」

「……」

「同じ人間やろ!」

「……」

 同じ人間……そう言われて、おれはなぜかドキリとした。そうなのだ、相手は同じ人間、それも同じ中学生なのだ。

 ただ、そう思ったからこそ、一層拗ねたように反発した。甘えた。

「……打たれて恥かいた。しばらく立ち直られへん」

「アホか! 恥かいてナンボや。恥も積もれば力になるんや!」

「……」

 またまたおれはドキリとした。

 おかんの言うことはすべて正しい。正論と言うより、正義だ。

 それでもおれは反発心を隠さず、ブツブツと誰に対するものかわからない文句を言い続けた。

 自分の練習不足が原因なのに、いつまでも拗ねたように言い訳をするおれを、おかんは、今度は根気よく諭してくれた。

「さっきも言うたけど、野球が嫌になったんやったらやめたらええ。たかが野球や。たかがクラブ活動や。せやけど、されど勝負や」

「……」

「負けたらええがな。負けても次に勝ったらええんや」

「……」

「逃げるのが一番アカン」

「!」

「逃げるくらいなら負けといで!」

「!」

 その日、おれはおかんと約半年ぶりにキャッチボールをした。

 身長が伸び、いつの間にかおかんの身長を追い越していたが、おかんが小さくなったとは感じなかった。投げ返してくるボールも速く、重い。ボールの回転も最高だ。野球部のチームメイトとキャッチボールをするより練習になった。 

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