第四章 襲撃の花嫁

27

 涼音が作った朝餉を自室で食べていたときだった。

 そばに控えていた藍が「玉藻さま、玉藻さま」と興奮したように声を掛けてきた。


「その簪きれいですねえ」


 玉藻の金砂の髪に天青から贈られた白百合の簪はよく映えた。

 あまりにも綺麗でもったいないような気がして、仕舞っておこうかとも考えたのだが――つい、髪を結わえるときに使ってしまっていたのだ。

 すぐに指摘されてしまったことに気恥ずかしさをおぼえながら、玉藻は会合の帰り道に天青に買ってもらったのだと説明する。


「て、天青さまが……きゃあ、本当ですかっ! それはそれは……」

「どしたの。それってすごいの藍?」


 玉藻の膳から漬物をひょいとつまんだ紺が首を傾げた。


「すごいわよ! あの天青さまが女性に贈り物をなさるなんてっ。天と地がひっくり返っても有り得ないと思っていたもの……玉藻さまをそれだけ大事になさっているのね」


 興奮気味に語る藍の言葉を聞きながら、玉藻の胸にじわりと温かなものが滲むのを感じた。ほわ、とあふれてくるやわらかで名前の知らないこの感情が抜け出てしまわないよう、ぎゅっと両の手で胸を押さえた。

 紺に「どうかした、気分でも悪い?」と顔を覗き込まれて、勢いよく首を横に振った。


 と、そのとき「少しいいか」と雪の冷ややかでよく通る声音が耳朶を打った。

 玉藻が口を開く前に「いいよー」と紺が勝手に応えてしまう。

 襖が開いて姿を見せた天青は玉藻に目を留め――白百合の簪を見て、かすかに口元をほころばせた。


「あらぁ、藍さん見ましたいまの?」

「ええ、もちろんですわっ紺さん♪」


 藍と紺がくすくす愛らしく笑いながら口元を隠す。


「ふふ、あの朴念仁、天青さまを骨抜きにするとはさすが玉藻さま」

「玉藻さま、さすがです、すごいです!」


 ぱちぱちと拍手して囃し立てた女童たちをじろりと睨んでから、天青は「玉藻」と呼びかける。

 その声音が思いのほかやわらかく、甘やかに響いたように感じたのは気のせいだろうか。


「……よく眠れたか」

「はい、あの天青さまも……眠れましたか?」

「ああ」


 ただしそれきり、ふつりと会話が途切れてしまった。

 さらさらと庭を流れる小川の音さえも室内に届くほどの静寂に包まれる。

 そんな長い沈黙に耐えかねたかのように紺が「うがあ!」と唸った。


「もっと喋りなよ! 新婚でしょ⁉」

「そうですわ、もっとこう『玉藻は可愛いな』とか『今日も綺麗だ』とかあるでしょう天青さまっ」

「――うるさい。おまえたち、白蛇に戻して領域外まで放り投げてやろうか?」


 氷のように凍てついた眸で睨まれると「やだなぁ冗談ですよ」なんてわざとらしく笑いながら玉藻の背にいそいそと隠れてしまった。


「……随分なつかれたものだな」

「もし、そうだとしたら嬉しいです」


 ぎゅうっと着物の袖を掴まれた状態で笑うと「あたしたち玉藻さま大好きです」、「だって玉藻さまはおいしそうだけど食べないもん」と肯定らしきものが返って来た。喜んでいいのか少し悩んだが、好かれていることは間違いないようだ。


 そのとき「天青さま、そちらにいらっしゃいますか⁉」と涼音の声が広縁から聞こえてきた。

 いつにない切羽詰まった声音に視線を向ければ、彼は蜥蜴の妖人である紫水を伴っていた。


「紫水さまっ!」


 涼音に肩を貸された状態で眼前に現れた紫水は、血まみれの顔で「よお」とひょうきんに片手を上げた。

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