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 けたけたと笑いながら天青を煽るようなことを言うランと、黙ったまま沈黙を貫くホウ――どちらも不気味な気配を漂わせていた。

 ばさばさ、と背中から生えた巨大な翼で二対の女妖が紅の宮の空を飛行している。


 両者ともに鳥の妖人であるが、領域戦における戦力としては蛟に勝るとも劣らないといったところだろう。

 実際、蜥蜴の妖人である紫水などはコテンパンにのされてしまったわけであるし――まあ、あいつは妖力が弱いのであまり参考にはならないが。


 妖力とは、妖人たちの強さをはかる目安のひとつであり、人々からの信仰によってその強度が変わる。瑞鳥、と呼ばれ幸運の象徴として愛される「鸞」と「鳳」は、長年にわたって供物を得て力をつけていた。


 彼女たちは人間ばかりではなく妖人たちからもその妖力で一目置かれているため、会合などでは「まとめ役」として指名されることが多い。


 今回持ち掛けられた【領域戦】というのは、瑞鳥族が作ったルールのひとつである。

 喧嘩っ早いものが多い妖人の連中が納得いく形で喧嘩をするためにはよいだろう。そう考えられて長年活用されては来たものの、まさか鳳たちのような比較的、理性がある妖人が仕掛けてくるとは天青も思ってもみなかった。


「おい、いつまでぼうっとしているつもりだ? やるのだろう。お前たちの決めた領域戦とやらを」


 目を眇め、息を吐くようにして天青は笑った。


「怖気づいたのなら帰れ」


 向かい合うようにして立っていた天青がふたりを睨みつけると「そう急くな」と鳳がゆったりとした声音で応じた。いっぽうで鸞が「なにおう!」と怒り狂った。


 それにしても対照的な二対である、と呆れて見遣っていたときだった。

 はじめは蝋燭の焔のようだった小さな火の玉が、鸞が水天にかざした手の中で大きく膨らむのが見えた。


焔華爆楽撃エンカバクラクゲキ。爆ぜろ――蛟!」


 いきなり巨大な光球が天青に向かって急降下してくる。

 避ければ紅の宮――もとい、そこにいる玉藻たちにぶつかってしまうだろう。

 となれば、受けるかもしくは。


凍氷蝶演斬トウヒョウチョウエンザン。あれを粉砕せよ」


 すみやかに別の手段を選び、天青は光球に手をかざした。

 天青の指先から放たれた冷気が、ぐんぐん近づいて来る巨大な球体に向かって草花の蔓のように伸びていく。

 球体に到達した途端、ぴし、と高い音と共に凍り付き――爆炎は粉々に砕け散った。

「むうっ、妾の咄嗟に考えた必殺技を砕くじゃと! まったく腹が立つやつよのう」


 咄嗟に考えたのか――道理で稚拙な名づけだと思った。

 しかしそれにつられて自分も似たような名づけをして氷撃を放ってしまったことを、天青は内心恥じた。


 そんな内心に気付いているのだろう女童たちが「ひゅうひゅう、天青さまのかっこつけ!」と囃し立てる声を、片手で耳を塞いで聞かなかったことにする。


「……のう鸞よ。もう少し考えよ――玉藻アレに傷をつけたらどうする。もし天青が避けたら儂が砕いておったところだ」

「あ。あはは、妾ちょっと考えなしじゃったな! すまぬ鳳っ、そう怒るなよ、わらわとおぬしの仲じゃろう?」


 気が抜けるようなやりとりをしているが、紫水はこのふたりにやられているのである。油断は禁物だ、と天青は息を吐いた。


 妖人同士の【領域戦ケンカ】の掟において、防衛側の妖人は侵入者の領域破壊への対抗、以外の目的での妖力の行使が禁じられている。


 すなわちこちらから仕掛けて撃退することも、自発的な攻撃行為とみなされ規則に反することと解されるとのことだ。触書ふれがきを読んだときのおぼろげな記憶だが、その認識でおそらく間違いはないだろう。


 圧倒的に、防衛側――つまりは天青が不利な状況なのだった。

 ちなみにこの細かい規則を考えたのも妖人たちのまとめ役である鳳たちだ。


 忌々しいこの鳥どもは実際、蛟よりも長寿で力も強いし人間たちからの信仰も集めている。仮に、【領域戦】を仕掛けようものなら向かうところ敵なしだというのも納得だと言えた。こないだ会合に集まった妖人たちの顔ぶれを考えてみても、歯向かえる者はいなかろう。

 そんな彼女たちから侵入を受け、蛟が無傷で勝利できるとは思ってはいなかった。


 ただ彼女たちはべつに好戦的というわけではない。

 そうはいっても妖人というのは結局のところ、力ある者に力ない者が従うというわかりやすい支配の構図だ。【領域戦】において防衛側の立場が弱いのも強者が弱者を喰らうことを肯定する理念に基づいている。

 だが――強者は弱者を庇護する責務があるのだった。天青が女童たちや涼音を庇護しているように。


 だからこそ基本的に紛争は話し合いで解決し、それでもダメなら【領域戦】。

 それが妖人たちの共通認識だった。


 だから【領域戦】など頻繁に起こるようなものではない。

 唐突な【領域戦】の開戦は卑怯者のそしりを免れない行為だ。


 その「基本」から逸脱することはないはずだ、いつだって。


「鸞、鳳!」


 天青が呼びかけると、両者はじろりと此方を見てくる。


「何故、お前たちは玉藻を欲する!」

「何故って。欲しいものは欲しいからじゃ。他に理由は要らなかろう?」


 言いながらふたたび火焔弾が放たれたので消滅させる。

 これでは堂々巡りだ、と考えていたときだった。


 眩い輝きを放ち――鳳の姿が掻き消えたかと思うと、次の瞬間、彼女の身体は変異していた。


『蛟よ、ヒト型のままでは埒が明かぬ――本気で決着をつけるとしよう』

 

 大きな翼を持つ巨大な鳥、煌々と燃える焔の翼が激しく羽搏くと鋭い炎熱風が放たれた。


「――っ、くそ!」


 妖人はヒトに似せた姿で顕現していることが多いのだが、本来の姿に戻った方が当然のように力は増す。このままでは天青が圧し負けてしまうに決まっている。ちら、と振り返り玉藻を見遣る。


 あの子は私の姿を見れば幻滅するだろう――だが。


『おまえたちの思い通りには……させぬ』

 

 黒雲が天青の身体に巻き付いたかと思うと、ゆるり、ぬるりと身体を変質させる。

 天青の身体を渦巻いた黒雲が取り込んだ刹那、天青さま、と悲鳴のような玉藻の声が聞こえた。

 本来の天青は別の場所に在り、ここに顕現している天青はその現身のようなものだ。

 遥か遠くに或る元の姿と現身を重ね合わせ、実体と影を統合する。


『何人たりとも、我が宮を傷つけさせぬ。我が妻を奪うことは許さぬ――たとえ神鳥が相手だとしても』

 

 蛟――大蛇へと変質した身体で天青は吠えた。

 鸞も、鳳に倣うように元の巨鳥に姿を変化させる。

 きらきらと輝く虹色の翼ではばたいて、激しい突風を巻き起こした。社殿の一部が、がらがらと音を立てて崩れ落ちた。


『――おぬし、その娘が何者なのかも知らぬくせに、どうしてそうまでして守ろうとする!』

 

 硬質化した鱗で風の刃を防ぎながら天青は鸞を鋭い双眸で睨んだ。

 理由など言うまでもないことだ。


『どこのなにものであろうと玉藻が私の妻であることには変わるまい。妻を奪われてたまるものか。守って何がおかしい』

 

 そのとき「天青さまー、かっこいいー!」、「ここで負けたらかっこ悪いですよぉ〜」と気が抜けるような掛け声が背後から聞こえた気がしたが天青は無視をすることにした。まったくあの白蛇たちは懲りない。


 鸞と鳳も、妖人ではない通常の猛禽よりもはるかにおおきな身体を有する。

 蛟と比較しても体長に差はないが、あのくらいの大きさであればひとのみすることはさほど難しいことではなかった。隙さえあればいくらでも。


『――邪魔をするな天青』

 

 冷えた声音で鳳が言う。


『あの娘を傷つけようとは思ってはいない。ただ確かめたいだけだ』

『……確かめた後はどうするつもりだ』

 

 数拍の間の後に、鳳は淡々とした口調で言い放った。


『さてな。思うたとおりであれば愛でるが――そうでなければ、捨て置くことになろうな。我が一族には人間の肉を好むものも多い』

 

 ふつ、と腹の底から湧き出てくる感情が天青を焦がした。

 もとより玉藻を引き渡すつもりはなかった。


 傷ついて、傷つけられて生きてきた娘――それがなんだ、という気持ちもあった。


 勝手に送り込まれてきた花嫁は、勝手に出て行く。

 今回もおなじだとそう考えていたのに。


 ――天青さま、ありがとうございます。大切にします。


 ただの気まぐれで贈った簪に、玉藻はじっくりと噛みしめるような喜びを示した。

 申し訳なさの入り混じる表情ではあっても抑えきれなかったのだろう、花がほころぶような笑みがあまりにも可憐で思わず息を呑んだほどだった。


 こんな気持ちは初めてだった。

 妻――花嫁。


 そのようなものは不要だと、ずっと捨て置いてきたくせにいまさら――玉藻だけは、と。これほどまでに手放しがたく感じているとは。

 身体が焼き切れるような痛みも、心が擦り切れるような苦しみも。

 もう二度と、玉藻がそのような責め苦を味わう必要はない。


『あの娘を寄越すがいい、蛟よ。いまならこの宮を焼き尽くすことはない』

 

 鳳が巨大な嘴の奥に熱を溜め始める。

 あれを放ってしまえばこの紅の宮はその名のとおり紅蓮の焔華に包まれるだろう。蜥蜴の領域が焼けただれ、紫水自身も深い損傷を負ったように。

 焔華が放出される前に、天青は鳳に飛び掛かるとその長い尾で鳳にぐるぐると巻き付いた。そのままぎゅうぎゅうと締め上げる。


『捨て身か――そこまでする価値など何処にある』

『それはおまえも同じだろう』

『鳳!』

 

 鳳の身体がじわりと熱を帯び始め、そのまま全身が灼熱の炎に包まれた。

 身体を巻き付けている天青ごと、鳳は激しく燃え上がる。


「天青さま――!」


 玉藻が涼音を押しのけ、庭に降りようとしていた。ああ――この姿を見てもおまえは私を「天青」と呼んでくれるのか。


 じわ、と胸に滲む感情は身を包む炎よりも温かく清らかで、美しかった。

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