31

 強い力で室内に引き戻された玉藻は、畳に転がり腰を打ち付けた。


「だーめだって玉藻ちゃんっ! いまは大怪獣戦争状態なんだからっ。あんたみたいな弱っちいのがあんなののそばに行ったら死んじまうからね⁉」


 それでも天青のそばに行こうとする玉藻を、紫水が後ろから羽交い絞めにしているのを見て女童たちが声をそろえて「「すごーい」」と叫んだ。


「あら、もう紫水さまってば動けるようになったんですねえ。よかったです」

「ねー、まだ血も止まってないってのにねえ」

「ぐはっ、いだだだっ、そうだった俺、大怪我してんだった、いてててて……」


 ぱっと玉藻から手を離し、紫水はもんどりうってのたうち回る。どうやら一瞬ではあったが痛みを忘れていたらしい。

 涼音が「いけません、玉藻さま」と平坦な声音で言った。


「いまの状況で天青さまに近づくのは危険です。あなた自身を守るように、天青さまは私に命じたのです」

「そーよそーよ、危ないわよ玉藻さまっ。蛟本来の姿になった天青さまって、ものすごーくおっかないんだから――機嫌でも損ねたらぺろっと食べられちゃうよ?」


 開け放たれた障子の向こう、庭では一匹の大蛇と二羽の巨鳥との争いが繰り広げられていた。

 目を疑うような光景ではあるが、青銀の鱗を持つあの蛇が「天青」であることは玉藻の目にも明らかだった。

 なんて。

 

 なんて、美しい――。

 

 恐怖よりも何よりも先に浮かんだ鮮烈な感情が玉藻の胸を貫いている。


 水天から陽光が降り注ぎ、天青の身体に当たることで鱗がきらきらと目が眩むほどに輝くのだ。思わず見とれていると「玉藻さま」と涼音が静かに呼びかけてきた。


「天青さまより命が下りました――ひとまず此の宮もいつ危険が及ぶかわからないから『玉藻を逃がすように』、とのことです」

「逃がすっつってもだ、俺んとこは鳳と鸞が侵略してきたせいで焼野原状態だしなぁ……」


 紫水ががっくりと肩を落としながら言い終える前に「ええ。ですので玉藻さまは、彼方あちらからお逃げください」と涼音は指さした――庭の隅に据えられた小さな祠を。


 そういえば、玉藻はハッとした。

 あの祠は現世の【風花の里】の水津ヶ淵にある社と繋がっていると天青が話していたのを思い出す。


 確かにそうすれば、玉藻はこの【領域戦】に巻き込まれることはないだろう。

 だが。


「いやです」

「ほに、玉藻さま?」


 紺がこてんと可愛らしく首を傾げた。


「私はこの宮に残ります。天青さまのおそばを離れたくありません」

「ですから――此処が危険なのです、だから天青さまも玉藻さまに逃げるように、と……!」


 危険であるというのならなおさら離れがたかった。

 天青がもしひどい怪我を負ったら――死んでしまったら。恐ろしい想像がむくむくと胸の中で育っていまにも吐きだしてしまいそうになる。

 それにこの場所は玉藻がはじめて、此処にいて良いのかもしれないと思えた場所なのだ。そこから離れるなんて。


「死んでも嫌……」


 思い詰めた表情で言った玉藻の手を藍がぎゅっと掴んだ。


「玉藻さま、駄目ですからね? 落ち着いてください!」

「死んじゃダメだよっ」


 紺がそのうえから小さな手を重ねる。


「玉藻さまは天青さまの大切な方なのですから、絶対に生きていてもらわないとあたし―アタシ―たちが困ります」

「そーだよ――天くんだって玉藻ちゃんに元気でいてほしいから、いまは逃げてほしいって言ってるんだ」


 紫水が玉藻の肩を叩き、にかっと晴れやかな笑みを見せた。


「玉藻さま、どうかご理解ください」


 涼音のまっすぐなまなざしが向けられ、胸がぎゅうっと痛んだ。

 此処にいる皆はなんとかして弱い玉藻を生かそうとしてくれているのに、必死に考えていてくれるのに。


 思わずとはいえ「死ぬ」なんて口にしたことを玉藻は申し訳なく思った。


「ごめんなさい……」

「いえ――天青さまよりまた命が下りました。これから鳳たちを庭から引き離して隙を作るから、玉藻さまを祠へお連れするようにと」


 ずうん、と地響きが轟いた。

 いまです、と涼音が玉藻の手を引く。

 広縁から庭に飛び出て転がるように玉藻は駆けだした。涼音の足が速いおかげでぐんぐん社殿が離れていく。

 真っ白な祠の前までたどり着くと、涼音が玉藻を隠すように背で庇った。


『……玉藻、どこにおるのじゃ……』


 結界が張られていた社殿の部屋を出たことを察知したのだろう。


 地を這うような鸞の声が聞こえた。

 美しく囀るだった声音が潰れたようになっている。「玉藻さま、早く」と促されるままに白い石の祠に据えられた小さな扉を開いた。四つん這いになればなんとか潜り抜けられるはずだ。


 暗い。

 何も見えない。


 隘路は進めば進むほどに狭くなり息苦しさすら覚えた。奥深く潜り込んだあとで涼音の「ぐぅっ」という押し殺したような悲鳴が聞こえた。

 振り返ることも出来なかった。ひたすら前へ、前へと這いつくばって進んでいく。

 

 ――天青さま……! 涼音、藍、紺、紫水さま!

 どうかご無事で。


 強く願いながらあ遠くに小さく見える淡い光に向かって玉藻は進み続けた。

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