03

 玉藻は里の奥に向かって歩いていた。もちろん水も汲まなければならないが、なんとなく気分を変えたかったのだ。

 向かったのは里の奥にある淵だった。名を水津ヶ淵という。古くから妖が棲むと言われるこの淵は誰も寄り付かないため、しばしば玉藻はこの淵を訪れてはぼうっとその水の波紋を眺めて過ごすことが多かった。


 枝葉を水面に伸ばした木々からひらりはらりと落ち行く葉を眺めるのも好きだし、人が多い場所では見ないめずらしい鳥の鳴き声を聞いていると不思議と落ち着くのだ。


 秋が深まりつつあるため、いつもは碧い水面がするりと滑り落ちた紅葉の赤で染め抜かれている。そのさまは見事で、幸久にも教えて差し上げたい、と何気なく思ったが気軽に声をかけてはならない方だと戒める。


 そのとき、水面の上に一羽の鳥が舞い降りてきた。

 小鳥ではなく大きな両の翼を激しく羽搏かせているが、この鳥の名を玉藻は知らなかった。その羽搏きによって水が大きく揺らめき波打っている。


『玉藻』


 そのとき、声が聞こえた気がした。自分の名を呼ばれたような、そんな錯覚に陥る。だがこの淵には誰もいない――あの巨鳥を除いては。


 水面で羽搏く黄金色の翼が艶やかで美しい。

 何故自分の忌まわしい髪色とおなじだというのにあの金の鳥は美しく神々しいもののように感じるのか不思議に思った。

 まるで太陽の光のようにまばゆく、じっと見つめているのも恐れ多いと感じるほどなのに不思議と目が離せなかった。


『玉藻……』


 もう一度、声が聞こえた。今度は先ほどよりもはっきりと、自分を呼んでいるとわかるような声音だった。


「あなた……が、私を呼んでいるの?」


 この水津ヶ淵を訪れて随分になるが、鳥から話しかけられるなんて初めての経験だった。最後に甲高い声で鳴くと、鳥は勢いよく水面を蹴って飛び立った。その羽搏きはちょっとした風が巻き起こるほどの圧があり思わず目を瞑った。

 次に目を開いたときには鳥の姿はどこにも見えなかった。なんだか力が抜けてしまう。

 そのとき、黄金色の羽根がひらりと天から玉藻の掌の中に落ちてきた。おそらくは先ほど淵にいた鳥のものだろう。太陽に透かして見ればいっそうきらきらと輝く美しい品だ。


 なんとなく懐に仕舞って、玉藻は来た道を戻ったのだった。

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