04
夢を見ていた。
大きな鳥が、真っ赤な淵で羽搏く夢――まるで数日前に目にした風景によく似た世界の真ん中に玉藻は立っている。
思い切って、淵の中に足を踏み入れると冷ややかな水の感触が爪先に伝わって来た。それにも構わずざぶざぶと水の中に入って行き、淵の中央にいる鳥の方に玉藻は歩みを進めていく。
近づいて来る玉藻に警戒することなく、巨鳥は大きなくちばしで体毛を梳いていた。じゃぶじゃぶと足がつくはずがない場所なのに、浅瀬にいるかの如く進んでいけるからこれは間違いなく夢に違いない。
近づくにつれて鳥の大きさが際立った。
こないだ淵で見た鳥とよく似ているが、どうやら翼の色が違っているようだ。
懐から黄金色の羽根を取り出して見比べてみた。
そこにいる大きな鳥の翼は光の当たる角度によって橙になり、黄色になり、薄緑にも、浅葱にもなる。
少し派手、というか不思議な色味をしている。
「綺麗……」
鳥は逃げるようすもなくじっと玉藻を見つめていた。
あのときの鳥のように「玉藻」と呼ぶことはなかったのだけれど、ずっと待っていたのだと言いたげな、ほんのちょっぴり不満そうな視線をこちらに向けている。
『
鋭い氷のような男の声音が背後から聞こえ、玉藻はびくっと肩をすくめた。きょろきょろとあたりを見回したがどこにも姿は見えない。
『この凶ツ鳥め……貴様、私の領域に踏み込むとはいい度胸だな』
『うるさいのう、蛟は小さいことをねちねちと……性悪よの。大体、
甲高い女の声だ。
まさか鳥が喋っているわけがあるまい――が、他に誰もいないことは既に確かめていた。ただ自分に向けられたと思しき言葉は、ごう、と吹きすさぶ風の音に紛れて聞き取れなかった。
『……娘だと?』
それに応える低い声音が淵全体に轟いた。
こちらの声の主はどこにも見えない。それなのに淵全体にあまねくその声音は響き渡る。
『おまえ、そこの小娘! 早くこの淵から出るんだ』
「え……」
『無礼なことを言うでない。蛟よ、この子は大切な……』
『貴様は……だからダメだと言っているんだ……』
言い合う声が遠くなると同時に、どんどんと戸を激しく叩く音で玉藻は目が醒めた。
妙な夢をみたものだ、と思う。みている最中もこれは現実ではないと薄々感づいていたくらいだ。
平ぺったい布団から這い出て、戸口に向かえば里長が立っていた。
この家を訪ねるのは施しに来た幸久と、嫌がらせ目的で訪れる里人ぐらいだった。
めずらしい客人に咄嗟に挨拶の言葉さえ出てこなかったが、ぼうっと突っ立っていた玉藻を脇に退けて勝手に上がり込んで来た。恰幅の良い里長に隠れて見えなかったが、幸久の父である組頭も続いて入って来る。
「玉藻、おまえは今年、税を収めていないな。昨年も婆さんが腰を悪くしたから、などとさかしらに間に合わなかった言い訳を言うておったが」
「も、申し訳ございません……ひどい不作が続いて、しかも人手が足りないものですから」
玉藻が住むあばら家の裏には老父母が借りていた狭く水はけの悪い農地があり、そこで生育していた稲がことごとく虫害でやられてしまった。夫婦の死後は玉藻に貸し付けられた土地だが、納税どころか自分が食べる米すら収穫できない状態が続いている。いまは森の中で木の実や野草を採取して飢えを凌いでいた。
「それは里のどの家も同じだ! 虫に喰われて何もないと皆が言うておる。おまえだけが苦しいわけではないのだぞ」
でっぷりと太った腹を撫でさすりながら里長は玉藻に怒声を浴びせた。隣で黙って何かを帳面に書きつけていた組頭が冷淡な声で言う。
「税を収められないということでしたら、里長――やはり決まりでしょう」
「……うむ。心苦しいが仕方あるまい」
ぼそぼそと値踏みするような視線を玉藻に向けながら、里長と組頭は話しあっているようだった。表情をこわばらせた玉藻に向かって申し訳なさそうな表情を作って浮かべると里長は言った。
「お前は知らないとは思うが、この【風花の里】には掟があるのだ」
掟――。
養父母は何か言っていただろうか――記憶を手繰っているあいだに、無反応だった玉藻を無視して話を続けた。
「今年のような不作が続いた場合には、里の守り神である淵神様――蛟様に貢物をして、ご機嫌を直してもらうこととなっている。昨年からこの里では雨が少なく、大地はからからに乾き――虫害にも苦しんだ」
「……はい」
去年も今年も作物の生育が極端に悪かった。その結果、病気になった義母にも滋養がつくものを満足に食べさせることが出来ずに死なせてしまったのだ。
素性の知れない自分を憐れみ慈しみ育ててくれた義父母のことを想うと、いまでも胸が張り裂けそうになる。
どうしておまえがのうのうと生きているの。そんなふうに、かつて里人にかけられた言葉が頭をよぎった。
あのふたりが死んだのは玉藻が災いを持ち込んだせいなのに、と。
「だからお前は、掟にのっとり
そう里長が言ったとき、反発する気力さえもわかなかった。
それどころか玉藻はその運命を受け容れることになんのためらいもなかった。
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