02

 幸久が帰った後、分けてもらった食料を処理していると戸口でどん、と大きな音が聞こえた。慌てて玉藻が外に出ると置いていた井戸水の入った桶が横倒しになり、汲んだ水が勢いよく流れ出ているのが目に入った。


 息を呑んでいると、いきなり肩を強く押されてしりもちをついた。

 痛みを堪えながら見上げると、数人の女たちがくすくす笑いながら玉藻を見下ろしていた。


「まあ睨まれてしまったわ」

「下品な女のくせに」

「化物だもの仕方がないわよ」


 女たちは皆、清潔で愛らしい花柄の衣を纏っている。玉藻の着物は義母のおさがりに布をあてて着ているせいで何の柄なのかもわからない。みじめな気分に追い打ちをかけるように女のうちのひとりが転がっていた空の桶を蹴り飛ばした。


「さっき、この襤褸屋から幸久様が出て来たわね」


 里長の娘である紗代子が意地悪く眉を吊り上げて言った。びくっと肩を揺らした玉藻に「身の程を知りなさい」と冷たく言い放つ。


「そうよ、幸久様は紗代子様の夫になると幼い時から決まっているの。里長と組頭との間の約束なのだから違えることは絶対にないわ」

「出自もわからないふしだらな女を幸久様は不憫に思っているだけなの。哀れぶって同情を買って恥ずかしくないのかしら」


 くすくす笑いながら縮こまり背中を丸めて蹲った玉藻の髪を思い切り引っ張った。


「あんたたちも見てごらん、この女の髪。まあなんて臭いの、糞尿で髪を洗っているのかしら」

「それにしても不気味な髪の色ね! 黄色よ、化物の髪だわ」


 髪が引きつれてひどく痛んだが、悲鳴を上げることさえ疎まれている。紗代子たちはしばしば玉藻のもとを訪れては、やれ気分が悪いのは「異形」のあんたのせいだのなんだの適当な言いがかりをつけては暴力を振るっていた。


 紗代子たちにとって玉藻を虐げるのはそういう「遊び」なのだ。

 いままでは老親の目があるところではそのような真似はしなかったが、玉藻がひとりになった途端、やりたい放題だった。そのおかげで身体には生傷や痣が絶えなかった。


 ようやく気が済んだのか、蹴りつけていた脚が離れ、ふんと鼻を鳴らすと足音が遠ざかっていく。ひりつく身体を撫でさすりながら玉藻は息を吐いた。


 また水を汲みに行かなくてはならないし、そのためにはあの玉藻を詰る子供たちが遊んでいる前を通らなければならない。何もかも億劫で、その場に蹲ったまま玉藻は涙をひとつ零した。

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