06

 義父母に拾われてこのかた、着飾ったことなど一度もなかった。

 それ以前の記憶のない玉藻にとっては今回の花嫁装束は初めての身綺麗な格好だった。


 玉藻は知らなかったが十五年ほど前にも同様に、里神様――蛟様に娘が捧げられたらしい。ただそのときは里の娘たちの中から籤で決められたとのことだった。玉藻のように最初から決めうちされたわけではない。


 でも仕方がないことだとは自分でも思う。玉藻はこの里のために何も為していない。ひとりで生きていくことに精いっぱいだったし、課された税を納めることさえ出来ていなかった。存在するための価値がない娘なのだ。


 ただ玉藻がそこにいるだけでいい、と言う者など――この世にいるわけがない。

 このように薄気味の悪い髪と目では誰からも見向きもされないのだ。おなじ異形の外見の赤子が生まれたらと思えば、嫁として子を成すことも期待されないだろう。

 言葉を交わすことさえ疎み、手が触れることさえ恐れた。

 幸久を除いては。


 花嫁衣装にしては質素ではあったが美しい白無垢は玉藻の透き通るように色白な肌によく合った。不気味な髪も双眸も角隠しをかぶって、目を伏せてしまえばそれなりに恰好はつくものだ、と支度を担当した下女たちは噂した。


 初めて引いた紅は鮮やかに玉藻の荒れた唇を彩った。

 逃げないように何人もの下男下女で周囲を囲んで、里長の待つ玄関へと向かう。

 新調された草履を履いて歩み寄ると、里長は検分するように目を眇めた。「おい」と控えていた下女に声を掛ける。


「どうせすべて水に沈むのにこれほど贅沢なものを揃える必要はあったのか?」

「で、ですが……」

「花嫁など形ばかりだ、こんな上等なものを持ち出すことはなかっただろう。紗代子が着なくなったものをそれらしく用意すればよかったのに」


 ぶつぶつと文句を言いながら背を向けた里長の服装は今日の儀式のために新調したものであったため、下女は不満げに鼻を鳴らした。そして玉藻にわずかに憐れみの視線を向けた後、すいっと目を伏せてしまった。


 陽が傾きかけた薄暮の頃合いに、行列はしずしずと歩みを始めた。

 先頭は着飾った里長で、その次が白く染め抜かれたような花嫁が続く。

 里長の屋敷の前には長男夫妻と紗代子が立ち、行列のようすを見守っていた。紗代子は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた――婚約者である幸久が、玉藻に親切にしているのがずっと気に食わなかったのだろう。これで厄介ごとからも離れられてせいせいするわ、と顔に書いてある。


 玉藻は紗代子に向かって一礼し、背を向けた。

 だからそのとき紗代子がどんな顔をしていたのか玉藻にはわからなかった。

 この行列は淵を臨む断崖まで続く。道沿いにはひそひそと噂話をする里人たちがずらりと並んでこの見世物を愉しんでいた。


「うちの子じゃなくてよかったよ」

「ああ、あの異形なら仕方ないさ。最期くらい里の役に立ったと思えば……」


 里の役に立つ、その言葉がひどく玉藻の心に響いた。

 拾われて厄介者だと疎まれ続けた自分でも、こうして里の役に立てるのか。


 それなら、玉藻がこの【風花の里】にいる意味にもなるのかもしれない。ほのかな期待を胸に抱いて、花嫁は自らの墓所に向かって赴いた。


「―――――」


 そのとき背後から、鋭く刺すような視線を感じて振り返る。

 行列には組頭も加わっており、その子である幸久もいた。


 食い入るように玉藻を見る幸久と視線がかち合った。数拍見つめ合ったが「足を止めるな」とぼそりと呟いた下男に促されふたたび歩き始めた。


 玉藻が行列の最中に逃げ出さないように左右には里長の家で働く下男が配置されていた。時折、玉藻が閉じ込められている座敷の前にやってきては薄く襖を開けて覗き見をしていた男たちだった。


「神への捧げモノだから、とかたく禁じられていたが一度ぐらい遊ばせてもらえばよかったなァ」

「なに、バレなければよかったのだ。あぁ惜しいことをした……」


 玉藻にしか聞こえぬようにぼそりと言ったその声が耳に張り付いて気色が悪かった。

 しずしずと歩き続けるうちに、暮らしていた襤褸屋に通じる小径にさしかかった。


 このまま右に曲がれば家に帰れる、帰りたいかどうかはさておき。そんな考えが頭をよぎったがすぐに散っていった。


 それすらも素通りして先へ先へと行列は進んでいくからだ。燃えさかる夕陽が追い立てるように行列を赤く染めていった――そのさまはまるで血に濡れたようにも見えたかもしれない。


 水津ヶ淵を正面に臨む崖にたどり着くと、古びた巻物を取り出した里長が淵神……蛟様への貢物をする旨のまじないことばを詠み始めた。


 ――我が風花の守り神よ どうか願いを聞き届けたまへ

 ――遥かなる時を越え 捧げる供物をどうぞ受け取りたまへ


 果たして蛟様は私などを喜んでくれるのだろうか。

 そんなことを考えながら玉藻はぼうっとのっぺりとした里長の声を聞いていた。秋の淵はぐるりと取り囲む木々の枝から舞い落ちた葉で、いちめん赤く染まっている。まるで絵巻物のように見事な図案を描いていた。


「綺麗……」


 ぽつりとつぶやいた玉藻の声は吹きすさぶ風の音に掻き消され、此処にいる身勝手な人間たちの耳には届かなかった。

 そのとき吹きすさぶ風が、玉藻の角隠しをさらっていった。

 ひらりひらりと舞い落ちて、一足先に淵へと落ちる。わ、と集っていた里人たちから悲鳴が上がった。


「なんとおぞましい化物の娘……いくら着飾っても見るに堪えぬ」

「なんと不気味な髪の色か……呪われているとしか思えぬ」


 里長のまじないの詞に入り混じる、呆れと恐れの声に耳を塞ぎたくなったが、玉藻は震える手を動かすことも出来なかった。


 いよいよ詞も終わる。

 里長は読み上げていた巻物をたたむと、ちら、と玉藻に視線を向けてきた。促されるままに断崖に立てば、臨んだ眼下の光景に眼が眩みそうになる。


 高い。

 怖い。

 高い。


 ふとよろけた瞬間に、真っ逆さまに落ちていくだろう。思わず後退ってしまった。

 此処から飛んだら、きっと水面に叩きつけられた瞬間に死んでしまうでしょうね。もし生きていたとしても、こんな重たい花嫁衣裳を着ていたら泳ぐことも出来ない……。


 そんなことを考えていたときだった。

 どん、と背中に強い衝撃をおぼえた。


 がくりと膝が折れ、よろけた身体が崖から宙に踊る。


「あ……」


 落ちる――落ちていく。ひゅるひゅると風を切る音を聞きながらたったいま落ちてきた崖の上を玉藻は見た。そしてそこには。


「幸久、さま……?」


 何が起きたのかもわからないまま、崖上で恐怖の表情を浮かべていた幸久と目が合った。

 ではたったいま、私の背中を押したのは――考える間もなく、玉藻の身体は紅き淵に叩きつけられた。

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