24

 社殿から出て振り返れば、何度見ても眼が眩むほどの輝きを放つ建物がそこにはあった。屋根やら壁やらに埋め込まれた宝玉がこれでもかと存在感を放っている。


 中に入ってみればそこまで派手な印象はないのだが、外観はひどく豪奢で、いかにも派手好きな印象を与える。

 鸞の趣味だろうか、となんとはなしに考えていると天青が玉藻の手を取った。


「天青さま……?」

「少し寄り道して帰る。構わないか?」


 寄り道、その言葉にかすかに胸がざわめいた。


「私、寄り道はじめてです!」


 里にいた頃、玉藻は必要な場所に行っては戻るを繰り返すばかりだった。

 何をしていてもどこにいても責められ、疎まれていたからこそ――逃げるように必要なことだけを済ませるのが常だったのだ。

 心を出来る限り揺らさないように、桶いっぱいに満ちた感情という水を零さないように背を丸く縮こめて。


 すると意外そうに天青は眉を上げた。


「そんなに喜ぶとは思わなかった」

「だって嬉しいので……すごく、嬉しいです」


 ふ、とかすかに天青の目元が柔らかくなった。涼やかながらも確かな熱を帯びた眼差しに胸の奥がゆるやかにきゅうと締まる。それから、どくん、と鼓動がひとつ跳ねたのだ。

 その理由がわからずに、ただ口をぽかんと開けてしまっていたときだった。

 社殿の渡り廊下に夕陽にも似たあかがね色の髪が見えた――鳳だ。


「行こう」

「――はい」


 一瞬、目が合った気がしたので目礼をしてから背を向けたのだが――視線がいつまでも追いかけてくる。

 ずきんずきん、と先ほどとは違う胸の痛みに苛まれた。

 どうしてだかわからないのに離れがたいと玉藻の内側にいる「何か」が訴えている。

 ぎゅっと天青の手を強く握ると、玉藻のようすが妙だと気が付いたらしかった。立ち止まって顔を覗き込まれた。


「玉藻――大事ないか」

「だいじょうぶ、です」


 もう一度、強く天青の手を握りしめたとき、ぐいっと身体を引き寄せられた。


「遠慮せずなんでも言ってくれ。おまえを悲しませるものはすべて、俺がこの手で取り除いてやろう」

「い、いえ……悲しい、というわけでもなくてっ」


 天青に掛けられた言葉で、感情が上書きされてしまう。

 ただの花嫁イケニエにするにしては甘すぎる対応に胸の鼓動が加速した。

 私は生贄、いずれは食べられる存在。いまのままではあまり美味しくなさそうだから「妻」として愛でられているだけなのだろう、だってそうでも思わないと。


 ――おまえなど、何の役にも立たないのだから。


 里で繰り返し言われた言葉が頭の中で聞こえて、玉藻は身震いした。

 じっと食い入るようにこちらを見ていた天青に「大丈夫です」と精一杯の笑顔をうかべる。唇が引きつらないように注意しながら。

 ゆっくりと歩き始める前に、もう一度玉藻は渡り廊下の方を振り返った。

 もうそこには鳳の姿はなかった。




「まあ……!」


 確かに、寄り道、とは言われていた。

 蛟の社からこの領域まで来たときも不可思議な風景を多く目にしたが、天青に連れて来られたのはにぎやかな街の通りだった。多くの商店が軒を連ね、陽気な呼び込みの音が薄桃色の空へこだまする。


「安いよ安いよ! 今日は魂恋タマゴイの花が入荷したよ! 薬によし、料理に混ぜてよしの貴重な香草だよ」

「おーい、そこのおにいさん。雪熊ユキクマの皮はどうだい、あったかいしモフモフ! ふかふかの手触りはそりゃあもうやみつきだよ」


 飛び交う声は陽気に通りがかりの妖人を引き込み、商いへと持ち込んでいる。商人たちもくちばしや角があったり、背中に翼があったりといかにも妖人らしい風貌だった。

 【風花の里】にいたとき、山向こうの城下町に行ったと、楽しそうに語る娘の話を小耳にはさんだことはあるが、きっとそれよりもはるかに色鮮やかで賑々しい。


 どうやらまだ鳳と鸞の領域内にいるらしいが、その中にある門前町のようなもののようだった。


「天青さまは何か目当てのものがおありなのですか?」

「いや、特には」


 実にあっさりとした答えだったので、さすがに拍子抜けしてしまった。

 何か目的があっての寄り道、というわけではなかったのだろうか。考えを巡らせているときに、すっと髪に何かがあてがわれた。


「旦那、お目が高いですねえ」


 狐の耳と尾らしきものがある商人が両手をにぎにぎしながら言った。


「この百合の簪は金剛石で出来ているんですよ――美しいでしょう? どうぞ奥様も此方をご覧になってください」


 差し出された鏡に呆けたようすの玉藻が映り込む。

 しゃらりと散りばめられた真珠の鎖と、生花そっくりの百合の花に似た飾りが玉藻の金の髪によく映えていた。頬がじわりと赤く染まったのが自分でも見てとれた。

 こんな……高価そうな、でも。

 とても素敵な髪飾り……玉藻はぼうっと簪の白百合を身に着けた自分の姿に見入ってしまった。


「とってもよくお似合いです!」

「あ、ありがとうございます……外しますね」

「いや、いい。幾らだ店主」

「天青さまっ」


 聞いたことのない通貨を求められていたが、何のためらいもなく天青は支払っていた。金剛石と言っていたし、繊細な造りを見てもけして安くはない品だ。


「本当によろしいのでしょうか」

「もう遅い。この髪飾りもおまえを気に入ったようだしな」

「気に入る……?」

「ええ、ええ、そうでございましょうとも! 妖人の細工師による装飾品は持ち主を選ぶのです。気に入らなければ本人を引き立てず、輝きもしません。心があるのです」


 不思議な話だ、と思いながらも玉藻は鏡を眺める。鏡の中の百合の花は、きらきらと優しいながらも美しい煌めきを放っていた。


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