第五章 囚われの花嫁

33


『玉藻』


 ぴちゃりと水音が跳ねる。

 暗闇の中で聞こえたのはひんやりとしているのに温かな声音だった。


 ――天青さま、ご無事だったのですね。


 そう声を掛けたつもりだったのに自分の声は聞こえなかった。


『どこにいる、玉藻』


 ぴちゃりと水音が跳ねる。

 

 ――ここにおります、玉藻はここにおります、天青さま。

 

 力の限り叫んだつもりだったのにやはり声は出て来なかった。喉を押さえてみても異変の原因は見当たらない。

 ただ何かに絡めとられ、縛られているような感覚があった。

 無数の手が絡みついて天青から引き離そうとしている。


 ――天青さま、ここです。玉藻です。

 

 口にしたつもりがごぼり、と泡が口の端からこぼれただけだった。

 投げ出された身体が水中に深く深く沈んでいく。果てのない旅のように玉藻は沈み続けていく。

 次第に呼びかけられる声の主が誰であるのかわからなくなっていった。

 

『どうか、待っていてくれ』


 玉藻の首のあたりにしゅるりと何かが巻き付いていた。胸の当たりにも同じ紐のような長いものが絡みついている。

 なに、これ。なんだろう、胸が苦しい。息が苦しい。

 胸が熱くて、はらりと涙がこぼれた。


『玉藻』


 おなじ声だった。夢の中で何度も耳にしたひんやりとしたこの声音。

 狂おしいほどに私の名前を呼ぶ。この声を聞くたびに、胸がつきりと痛むのだ。


 ――あなたは誰。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る