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「私が……妖人、ですか?」


 天青の言葉に玉藻は驚きのあまりしばらく茫然としていた。



 夕刻――鳳たち、それから紫水が帰った後で玉藻は天青の部屋に招かれた。

 藺草のにおいとともに立ちのぼるのは焚きしめた香で――くらくらと眩暈がしそうだった。天青に近づくとよく感じるにおいのせいか、この部屋にいるだけで抱きしめられているような錯覚をおぼえてしまう。そんなはしたないことを考えてしまっていることに気付き、玉藻は思わず俯いた。


 そして思いがけず立ち入ることになった夫の部屋にどぎまぎしているところで告げられた、己が「妖人である」という天青の言葉に、玉藻が激しく動揺するのも無理のないことではあった。


「その簪」

「えっ」


 しゃらりと呼応するように簪についた宝玉飾りが揺れて、涼やかな音色が響いた。

 現世に戻った時もずっと肌身離さず持っていた――この簪がどのようなものであったのかという来歴は忘れてしまっても、大切なものであることはわかっていた。

 だからずっと、誰にも見つからないように仕舞っていたのだった。


「妖人の創ったモノはふつう、人間には見えないし触れられない。その簪もおなじで、妖人の職人が作った細工物だ」


 玉藻が簪を目にし、触れることができる――。

 それこそが玉藻が人間ではなく妖人であることの証なのだと天青は言ったようなものだった。だから現世にいたときにも誰にも見つからなかったのだろう、と。


「そんな……私が、妖人……人間ではなく?」


 たえず現世で言われ続けた「異形の娘」というのは言葉の綾でしかないのだと思っていたのに……正真正銘、妖人であったとは。

 驚きの余り言葉を失った玉藻の肩に触れながら、天青は言った。


「おまえの本来の種族は――鵷鶵エンスウという。あの阿呆鳥……瑞鳥たちに類するもの、特に鳳とは近しい存在だ」


 じぶんによく似た空色の瞳を持つ女妖の姿を玉藻は思い浮かべた。


「【領域戦】の勝者が決まり休戦を求めた際に、あいつらから聞いて確信に変わった――おまえは、人ではない。幼子の姿で水津ヶ淵に流れ着いたと言っていたな? ちょうどそのころ、大きな会合があった」


 会合、というと天青に連れて行ってもらったあれだろう。各地から妖人たちが集まって、情報共有をする、あの。

 重要な議題を話し合っている最中にも関わらず、妖人たちにより持ち込まれた酒でひどいどんちゃん騒ぎが繰り広げられたことを玉藻は思い出し、苦笑した。


「そのとき卵の状態であった鵷鶵が、騒ぎの中行方知れずになったようだ」

「もしかして、それが……私でしょうか」


 天青は静かに頷いた。

 どのようなみちを辿ったのかはわからないが、その卵が孵化し――現世の水津ヶ淵に流れ着いたのだろう、そう淡々と天青は語った。


 人間ではない、そう言われた瞬間に悲しみよりも安堵が先に来た。


 自分と彼らが相いれなかったのは自分という存在そのものが彼らにとって脅威であり異物であり――排除せねばと思わせる何かがあったということなのだろう。


 目の奥がじわりと熱くなる。


 ぐちゃぐちゃになった感情をそのまま雫に変えたような涙が、頬を伝って流れ落ちた。

 引き寄せられ抱きしめられると、ますます涙の勢いは増してぼろぼろととめどなく流れ続ける。


「天、青さま……やさしく、しないで、くだ、さ……止まらなっ、ぃ」


 しゃくりあげながら幼子のように泣き続ける玉藻の背を、天青は優しく愛おしむように撫でていた。



 目が真っ赤に腫れてしまったので、藍と紺が持ってきてくれた濡れ布巾で目元を冷やしていたときだった。布巾を引きはがした天青が目元にくちづけを落としてきた。


「おまえが何者だろうと関係ない」

「……天青さま」

「私が花嫁として認めたのはおまえだけだ。生涯でただひとりのつがい――玉藻、いつまでもおまえだけを愛そう」


 零れ落ちた涙の痕が残る頬を辿るように触れていった唇は、玉藻の唇の端をちゅっと掠めた。


「ほんとうに……私などで良いのですか? とりえも何もありませんし、あっ家事でよければ出来る限り頑張りますが……」

「玉藻がいい」


 おまえがいいんだ、と目を見て言われるとどきどきした。

 天青のように美しい夫に求められているということ自体が恥ずかしく、恐れ多いような気がしてしまう。でも――この手を離したくないと思ってしまった。それが玉藻の個人的なわがままであるのだとしても。

 彼の隣こそが自分の居場所なのだと信じさせてくれたから。


「おまえのやりたいようにすればいい。玉藻がそばにいてくれること以上に嬉しいことはない」

「っ〰〰〰〰!」


 頬を真っ赤に染め、玉藻は天青の胸を強く叩いた。それが玉藻なりの返事だと天青も気づいていたから、拳を握りしめた手をやわく解いて自らの首に引っ掛けさせた。

 そのまま床に押し倒されるまでは、玉藻は自分の身に何が起きているのか理解できていなかった。



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