09
ふたりの女童に案内された玉藻の部屋は、貴人が暮らすような豪奢な部屋だった。
案内する部屋を間違えているのでは、と何度も確認したのだが「間違っていません」の一点張りで、くすくす笑いながらふたりは姿を消してしまった。
あらためて室内を検分するように眺めてしまう。
水辺の草花などの風景を描いた障壁画のすぐ横には螺鈿細工の地袋が据えられている。土壁は薄紅で鮮やかに彩られ、広縁まであるこの部屋は明らかに里長の屋敷よりも立派な誂えだった。
お疲れでしょうから、と用意された敷布団に横たわってみれば程よい厚みで、里で暮らしていた家のぺらぺらの布団を思い出してなんだか奇妙な心地だった。
蛇の意匠の釘隠しがいかにも「らしい」が、そのほかはとんでもない御殿に来てしまったという驚きしかいまのところ感じられないでいる。
大体、
そもそも水津ヶ淵に転落したあのときにこの命の緒はふつりと絶えてしまったと思ったくらいだった。
高所から水面に叩きつけられた瞬間に骨は粉々に砕けていたかも。たとえそれを免れたとして、水を吸った衣で泳ぐことも叶わず溺れ死ぬことはたやすく想像できた。
いまだ永らえているこの命を、いつ蛟は平らげてくれるのだろうか。
そんなことを考えながら目を閉じるといつの間にか眠ってしまっていた。
するといつか見た夢の続きのような光景が広がっていた。
紅に染まった秋の水津ヶ淵に女の声が朗々と響きわたる。
『玉藻、ようやく此方に来たのかや』
親しげに話しかけてくる彼女の声は温かく優しかった。かつて幸久がかけてくれていたような。だが――あのときの夢で見た美しい鳥の姿はどこにもない。それを少し寂しいような心地がした。
そんなふうに思ったのも束の間、「あの」と返事を仕掛けた玉藻のあいだに険のある男の声が割って入った。
『――おい、それは私のモノだ。気安く呼ぶな』
やはり周囲を探しても、男らしき存在もどこにも見当たらない。
地響きのように低い唸り声が淵のそばの枝葉を揺らしていた。
『おお怖い、男ってのはすぐに独占欲を発揮するものだから。みっともないったらないわいのう』
おどけたように女は言う。
男とは気安い仲なのか険悪なのか、どちらとも判断がつかずにいると、「玉藻」と今度は男が呼びかけてきたのだった。
『お前は私の言うことにだけ耳を傾けておればよい。この凶ツ鳥には関わるな』
『なんとまあ! 凶ツ鳥とはご挨拶じゃのう。こっちは吉報をもたらすと人間たちには喜ばれているのに――こないだはこの子にいけずを言っていたのはおまえさんじゃろうが。こんな陰険な蛇なんかやめた方がよいぞ。早くこんなところから逃げ出してうちに来るのを、首を長うして待っておるぞ』
『失せろ』
低く発せられた男の声を最後に、ふつりと女の声は絶えた。
よくもぬけぬけと領域を侵しおって、と忌々しげに吐き捨てる。
淵、蛇……鳥と呼ばれていた女性と蛇と呼ばれていた男性、ふたりぶんの声。
聞きたいことは山のようにあるがひとまず最も大事なひとつだけ。
「あの――あなたは、蛟様でしょうか」
『…………』
その問いに対する答えが返ってくることはなく、玉藻は快適な布団の上で目が醒めたのだった。
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