第三章 会合の花嫁

17

「よう、かわい子ちゃん♪」

「ひゃぁっ」


 背後からがばっと抱き着かれ、息が止まるかと思った。

 紅の宮に来てひと月ほどが経過した朝のことである。ひんやりとした空気が水底の宮に伝わってきて、冬の始まりを感じさせる。


 玉藻が手と手をこすり合わせ、息を吐きかけていたところに何者かが後ろから飛びかかって来たのだった。


「ど、どなたですか?」


 ぎゅうぎゅうとしがみつかれているせいで振り向くことも出来ない。

 すると、あーやっぱいいにおい、とすんすん鼻を鳴らす楽しげな男の声が聞こえた。


「んー、やっぱうまそぉじゃん……うーむ。ちょっとだけなら味見、していいよなぁ?」

「あ、味見……ですか?」


 この紅の宮にいるということは妖人のようだが、声に聞き覚えがないから客人だろうか。失礼があってはならないが味見、されるのは。


「それは……なりません、あの、私は天青さまの花嫁イケニエですので」

「……っぶは、あははは、なんだそりゃ。愛されてるなぁ天青は! おっと」


 ぱっと肩にのしかかっていた重みが離れた――否、引きはがされたといった方が適切かもしれない。


「紫水――!」


 けほ、と咳き込みながら振り返ると、ふだんの冷静沈着な表情に苛立ちを刻んだ天青が立っていた。

 そして黒髪で切れ長の眸の男が、天青に襟首を掴まれている。


「いててててて、放せよ天くんよお」

「誰が『天くん』だ、近しい友人ぶるな」

「何を言うか、大親友だろうが! どもどもっ、そこの美味しそうなお嬢さん、俺は紫水っていうもんだ――蜥蜴の妖人でね。天青とはそれなりに付き合いが長いんだ。知りたいことあればなんでも俺に訊きなさいっ」


 そう言って胸を張った男――紫水を横目で睨み、天青は舌打ちをした。




 紫水を応接の間に案内すると、すぐに涼音が茶と茶菓子を持ってきた。


「よぉ、涼音っち。しばらく顔見てないうちに大きくなったなあ」

「お久しぶりです、紫水さま」


 わしわしとかき混ぜるようにして紫水は涼音の髪を乱したが、平然と受け入れている。

 いかにも親しげなようすに玉藻は思わず微笑んでいた。

 本当に天青とは旧知の仲なのだろう。

 そのとき、天青が此方を見ていることに気付き背筋をぴんと伸ばし表情を引き締める。すると、興味を失くしたとばかりにふいと視線が外れた。


「涼音――こんな阿呆に構うな。夕餉の支度に戻れ」

「は、かしこまりました」

「お、夕飯も食ってっていいの? ゴチ~!」

「誰がそんなことを言った。厚かましい奴め……」


 うんざりしたような声音だがやはり近しさを感じて、くすっと笑ってしまった。すると紫水が玉藻を見て目を瞠っている――紫水の眸も天青とおなじ金色をしていた。


「ほうほう、なるほどねぇ」

「……何が成程だ。さっさと用件を言って早く帰れ」


 心の底から嫌そうな気配を漂わせ始めた天青のようすを見て「はいはい」と軽やかな声音で紫水は応じた。メシは食ってくけどね、と小声で付け加えたので思わずふきだしそうになってしまったのを玉藻はなんとか堪えた。



「えー、ご案内。定例の会合なんだが、日程が決定したから連絡だってよ。師走の二十五日からだってさ……会場はいつもどおり、我らがまとめ役様の領域である【陽月ハルト社殿】ってわけだ。さあてお前は次、蝦蟇の旦那のとこに伝言に行ってくれよな」


 会合、とやらの開催案内について紫水は天青のもとに話を持ってきたらしい。

 どうやら順番に訪ねて連絡していくというやり方で情報伝達を行っているようだ。


「……面倒だな、ついでにお前が行ってくれ。夕餉、食べてからで構わないから」

「やりぃ、かしこまり! 引きこもりだもんな天青は」

「うるさいと言っておるだろうが!」


 今度こそ、ふたりのやりとりでこみ上げた笑いを玉藻は抑えきれなかった。


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