18
さんざん騒いだあと、いつもよりすこし早めの夕餉の膳を平らげた紫水は「また来るからなぁ」などと言いながらひらひら手を振って、次の連絡先へと向かうため紅の宮を去っていった。
「はあ。まったく、あの蜥蜴が来ると食材の減りが早くてかなわん」
たっぷりの嫌味を込めて呟いた天青を気にしたようすもなく、紫水はいっそう大きく此方に向かって手を振って「絶対にまた遊びに来てやるぞお!」と力強く叫んでいた。
見送りを終え、玉藻を伴って濡れ縁から室内に戻ると天青は深く息を吐きだした。
騒がしいやつめ、そうぽつりとこぼした天青の声には疲労の色が滲んでいた。
酒もまじえた夕餉の中で聞いた話によると、その会合とやらは一年に四度開催される集まりのうちのひとつらしい。
妖人たちが集まり、各々が管轄としている領域に異常がないかを報告し合うという実に事務的なもののようだった。
蛟――天青が管理しているのは、水津ヶ淵を中心とした【風花の里】を含む一帯なのであるらしい。時々、天青の姿が見えないことがあったが――藍によれば「見回り」と言っていたっけ。
となれば、変わったことと言えば、作物の虫害とそれに対応するために供物をささげる儀式が執り行われたこと……すなわち、玉藻の天青への嫁入りだ。
人間たちは妖人たちの間でこのような話し合いが持たれているとは知りもしないだろう。守り神だ何だ、と崇めているわりに彼らはあまりに此方側に無関心だ。
渋い顔で膳に残っていた杯を手に取った天青に視線を遣り、玉藻は小声で囁くように言った。
「それで、その……会合に、私も連れて行ってくださるんですか?」
先ほども話が出たのでドキッとしていたのだ。なんだか天青ひとりではなく玉藻の支度についても涼音たちに指示していたので、少し期待していた。
「ああ――妻を伴うのは当然だろう」
妻――。
その甘美な響きにかすかに心臓が跳ねた。生贄の花嫁とはいえ、天青は玉藻を「妻」と呼んでくれる。それが嬉しいのだ、と気づいてはいたがそっと押し殺して気づかない振りをする。
ひとたび知られてしまえば、泡のようにこの状況もろともに消えてしまうのではないかという気がしたからだった。
代わりにぎゅっと胸の前で手を握って、玉藻はいまにも飛び出しそうな心臓を強引に押さえつけた。
そんな玉藻に気づくようすもなく天青は物憂げな表情を浮かべたまま、酒を呷った。
玉藻は酒を飲んだことはないが、飲んでいるいまも天青の姿を見ていてもあまり美味しそうには見えなかった。
「顔なじみの連中から冷やかされるだろうと思うと気が重いが――」
ぎゅうと唇をゆがめた天青が、苦手な瓜を我慢して食べようとしているときの藍によく似ていたのでつい笑ってしまった。
「なにがおかしい」
「も、申し訳ございません……」
慌てて笑みを掻き消して深く頭を下げた玉藻に「いや」と短く天青が言った。手にしていた扇で玉藻の顎を持ち上げ、強引に仰のかせる。
「咎めているわけではない――怒ってもいない、気分を害したわけでもない。ただ興味があるだけだ」
どこか焦っているようでもあるその声音に、玉藻はごくと唾を飲み込んだ。
上下した喉から突きつけられた扇が離されても、玉藻は天青を見つめたままでいた。吹き込む夜の風にふわりと彼の蒼銀の髪がなびいている。
「あ……」
思わず言葉を失ってしまうほどに、目の前にいる男は――玉藻の夫は美しかった。
きらめく眸は宝玉のようで……なかに吸い込まれてしまうのではないかと真剣に考えこんでしまいそうなほどだった。
「言ってくれ――いま、おまえが何を考えているのか」
身を震わすような緊張も、つい呼吸が浅くなってしまった理由も。何もかもこの宝玉には見透かされている、そんな気がしてしまう。
尋ねたことに対する回答もすでに、おそらくは彼の手の中にある。
「……綺麗、だと」
「そうか」
ふ、と唇にかすかな笑みが浮かぶ。そのさまに玉藻は見惚れて言葉を失ってしまう。
やわらかく畳の上に倒され、その美しい顔越しに玉藻は天井を見た。
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