16

 里の者は、しばしば村の娘を花嫁として送り込んでくることがあった。


 【風花の里】の守り神だなんだと勝手に信仰され、凶事の原因は主に蛟様がお怒りのせいなどと難癖をつけられる。


 里人は凶事を鎮めるために蛟様の機嫌を取るだとかいう理由を付け――口減らしや厄介払いもかねてしばしば「花嫁」と名付けた生贄を送り込んでくる。そのことに現世の事情に疎い妖人とはいえ、天青は気づかないではなかった。


 ――淵を汚す愚か者どもが。


 いちいち血で清廉な水津ヶ淵の水を穢されてはかなわない。落下する娘を救出し、宮で世話してやらねばならない天青の身にもなれというのだ。


 生贄どもは泣き叫んだり天青に媚びを売って来たりで扱いがひたすらに面倒くさく、あてがった部屋にしばらく放りこんでおくのが常だった。


 藍と紺の白蛇二匹に世話をさせているうちに、縁側に面した庭にある祠が現世へと繋がる道であることに気付き、さっさと宮から出ていく――というのがお決まりの流れだった。


 だが――今回は様子が違った。


 しばしばその姿を窺い見ていたあの娘、玉藻が花嫁として送り込まれたということに、天青はまず驚いたのだが……ようすがいままでの自称花嫁たちとは大きく異なっていた。


 玉藻は自分に微塵も価値を置いていないのだ。

 いつ見ても、申し訳なさそうな表情を張り付けている。

 それにかすかな笑みがあるかどうかの違いで、常に居所を間違えたような不安をその小さな顔に滲ませていた。

 

 現世でぼんやりと水津ヶ淵に佇んでいたときと、それはほとんど変わらない顔つきではあった。




「帰らないのか」と尋ねたことがある。


 落ちてきた夕闇に、宮の庭が染まっている。


 現世と、天青の領域である【紅の宮】を隔てるのは水膜で覆われた半球状の空――水天だ。零れ落ちて来そうにも見えるがこの水底の宮を防御する盾の役割も果たしている。天青が紡いだ結界術のひとつだった。


 紅の宮と呼ばれるこの邸がもっとも紅に近づく時間に、呆けたように縁側から庭を眺めている玉藻を通りがかった天青が見つけた。


 どうせ郷愁にも駆られているのだろう、と思い尋ねたのだ。


 ――この娘も年頃の娘なのだし、恋しいもののひとつやふたつあるだろう。


 だが玉藻は天青がわざわざ現世へと戻る方法を教えてやったのに、嬉しそうな顔ひとつ見せなかった。

 小娘がいなくなって、せいせいする……そう思っていたのに、見つけた祠の出入り口を覗き見はしても足を踏み入れる気配はまるでなかったのだ。


「あの……私が此処にいるのは、よくはないのでしょうか」

「それは私の問いに対する答えではなかろう」


 ずばりと言い返すと、いつものあの顔に玉藻は苦笑を浮かべた。


「前にも申し上げましたが、私は……帰りたく、ありませんので」


 やわらかく崩れそうなのにかたい声音で、玉藻は返した。

 きっぱりとした拒否にかえって天青の方が驚いたくらいだった。意思表示というものをほとんどしない娘だというのに、何度確かめてもこの返事が返ってくる。


 何故帰りたくないのだ。


 こんな、何もない水中の宮にただ放っておかれて何が楽しい。

 言いたいことはやまほどあれど、何も言葉が出てこなかった。実際に玉藻を責めたいわけでも問い質したいわけでもない。


 出来ることなら此処では、どんな場所であろうとも傷ひとつ付けたくなかった。


 現世でついた傷はゆっくりと癒え、見える場所にはあかぎれさえも見えなくなっている。藍たちに指示して傷薬を渡してはおいたのだが、それの効き目が出ているのだろう。


 踵を返して立ち去り――もう一度振り返ると、まだ赤に染まる祠を水色の双眸が見つめているのが目に入り、天青は舌打ちした。


 何を言っても玉藻の答えは変わらないだろう。

 帰りたくない、という考えは変わらない。ならばその求めどおりに「花嫁」として迎えてやるまでのこと。

 いくら彼女が望もうが喰らうつもりなどまるでなかった。


 天青の隣に、いつまでも所在なげにいる玉藻の居場所を作ってやればいい、そのことにようやく気付いた――否、腹を括ったのだった。

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