11
「おい……どうしておまえはまだいるんだ」
久しぶりに顔を見た蛟――天青から、玉藻は呆れた眼差しを向けられた。
それは水津ヶ淵に断崖から飛び降りて数日が経過し、さらにこの社での生活に馴染んだ頃のこと。この領域を支配する主人から掛けられた言葉である。
縁側に腰かけて藍と紺が遊んでいるのをぼんやりと眺めていた玉藻を、ちょうど通りかかった天青が見かけたようだった。
最初は目を瞠り、素通りしようとしたのがわかったが思いとどまってぴたりと足を止めた。
そして咳払いをして尋ねたのだ――どうしてまだいるのか、と。
「どうして、と言われましても……」
出て行く方法もわからないのに、何をどうしろというのか。
というよりも
すると「年頃の娘のくせに好奇心が欠片もないのか」と呆れたようにため息を吐かれ、玉藻は申し訳なさに眉を下げた。
天青はうんざりしたように玉藻の腕を引っ張って立たせた。
あれを見ろ、と指で示したのはちょうど、女童たちが遊んでいる庭の隅にある祠のようなものだ。
天青に言われるまでその位置にソレがあるということにさえ、玉藻は気が付かなかった。
「あそこに扉があるのだ、見えるか」
「あら、ほんとうですね……?」
白い石のようなもので出来ているらしい祠には小さな扉――屈んで四つん這いになればなんとか潜り抜けられそうな大きさのものが見えた。
そういえば似たようなつくりの祠だか社だかが水津ヶ淵のほとりにもあった気がする。
と、玉藻が言うと「なんだ、勘は悪くないじゃないかと」天青は息を吐いた。
「あの扉がその水津ヶ淵の社に繋がっている――貴様ら【風花の里】の阿呆どもが嫁だ供物だと言って送り込んで来た厄介者は、しばらくすると皆、自発的にそこから帰っていったぞ。私が教えてやるでもなく、自分で逃げ道を見つけてな」
「まあ、そうだったのですか……」
どうやら生贄に捧げられた娘は蛟に喰われてしまったというわけではなかったようだ。秘密裏に家族のもとに帰るなり、里を出るなりして生き永らえていたらしい。
「どうも気が抜ける。おまえと話していると調子が狂うな……」
天青が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
それにしても……あまり此方に関心がないようだとは思っていたがやはり蛟様――天青は、玉藻を一時的に置いているつもりだったらしい。
冷ややかに玉藻を見下ろしている天青は、さあ早く出て行くが良い、とでも言いたげでもあった。
だが――玉藻は天青に向き直った。
初めて見かけたときは畏れ多く顔を見ることも出来なかったが、こうして隣に立つ天青は妙に話しかけやすく親しみやすい者のように思えた。すくなくとも里の者たちよりと違って接することに苦痛を感じないで済む。
見慣れない髪色と眸の色は、玉藻自身ともおなじであるから親近感をおぼえてしまうくらいだった。
それに……藍、紺や涼音といった子供たちと接することで誰かと共に過ごすということに慣れてきたのかもしれない。里では、養父母が亡くなってからというもの幸久を除いてはろくに目を見て話すこともなかったから。
青みがかった天青の銀髪が、水天から差し込む光を受けて水面のように揺らめいては輝きを放っている。
美しい、と何気なく玉藻は思った。
そして、このひとになら、と。
「蛟さま――いえ、天青さま。私は里に帰りたくないのです」
「……なんだと?」
「私を花嫁にしていただけませんか」
そう言うと、天青はあんぐりと口を大きく開けて玉藻を見つめた。
「どうぞ、私を贄として召し上がってくださいませ」
「は――? 花嫁どころか贄だと⁉ 要らん! 何を言っているんだ貴様は」
天青は怒っているのか呆れているのか判別がつかないような奇妙な顔をしていた。
「えっ玉藻さま食べないの天青さま! せっかく食べていいって言ってるのに? じゃあアタシが食べちゃおっかな」
紺は、あーんと口を大きくあけておねだりするような仕草を取る。ずるいわよ、と藍が紺の袖を引っ張った。
「あたしだって玉藻さまを食べたいわ!」
「じゃあわけっこだね」
「そうね」
「おまえらは黙っていろ藍、紺!」
鋭く童たちをにらみつけると、玉藻を庇うように前に立った。
「あは、もちろん冗談だよ天青さま。悋気はきらわれるよ?」
「……っ、何が悋気だふざけるな」
低く唸るような声に恐れを成したのか、ぴゅーっと藍と紺は逃げて行ってしまった。
「――天青さま、あの」
はあ、とため息を吐いた天青が玉藻をじっと見つめた。冷ややかであるのに怖いとは思わないのが不思議だ。目の前にいるのは――ひとならざるもの、蛟であるというのに。
「おまえ……先ほどの言葉、ゆめゆめ忘れるなよ」
え、と呟いた玉藻を置いて天青はさっさと此方に背を向けて去って行ってしまった。
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