28

 手当のためにばたばたと女童たちが立ち働いている間、紫水はぐったりとしたようすで天青からの問いかけにのみ応答していた。


「何があった」

「あはは……あいつらが【領域戦】を吹っ掛けてきやがってなあ……すまん天青、俺がおまえん家の領域の座標情報を差し出しちまったせいで、じきにこの紅の宮まで来るかもしんねえわ」


 紫水の言う「あいつら」とは誰のことなのか――そもそも【領域戦】とはなんであるのか。

 おろおろしながら見守っていると「恐れながら補足いたします」と、玉藻が話についていけるように涼音から説明があった。


「我ら妖人は表面上は……取り繕って会合などで情報交換などをしておりますが、是が非でも欲しいモノがある場合【領域戦】という争いを相手方に仕掛けることが出来る――そのような取り決めがあるのです」

「争い……ですか」


 不穏な響きに玉藻は震えた。


「領域主のもとへ攻め入り――相手を打ち倒すなどして勝利を手にすれば、望んだものを何でも奪うことが出来ます」


 攻め込まれた側は相手方を撃退するだけしか出来ず、特にこれと言った報酬もない。それゆえに圧倒的に攻める側が優位な仕組みではあるのだ、と涼音は教えてくれた。


「だがそんな争いや小競り合いがしばしば起きる、というわけでもない」


 紫水に治癒の術を施していた天青が静かに口を挟む。


「掟として【領域戦】というものが定められてはいても、活用する者はほとんどいない。意味がないからな」

「意味がない……」


 天青が言うには、妖人たちが互いの力量を理解しているのと、傷つけ合って痛い目を見てでも欲するモノなど、数千年も生き永らえている彼らには滅多にないからとのことだった。

 次第に欲というものが乏しくなるのだ。

 食欲、肉欲、そういった欲望すらも倦んで「ああ退屈だ」と日がな一日だらりと過ごしている者は多い。天青もどちらかといえば、そういった性質があるような気がした。


「そーいうこと。だから俺も【領域戦】なんかしたくもなんともないわけ。めんどくせーし、痛いのやだし、血もきらーい」

「おまえはまだ若いだろう。物欲も食欲も旺盛に見えるが」

「だってぇ、天青んとこのメシが美味すぎんだもん。ふだんうちの領域では活発どころか怠惰に暮らしてるよ。幸い、毎日の捧げものを欠かすほど不信心な人間はいないからねっ。だけどさあ……」


 はあ、と不服そうに息を吐いて紫水は唇を尖らせた。


「俺、呆気なく負けちったわけですし。相手方の欲しいもの――この領域への侵入方法、を与えちまったということなんだよねえ。っぐぅ、面目ね〰〰〰っ」


 口調こそ軽いが、酷い負傷の中で息絶え絶えになりながら紫水は話していた。

 咳き込み血を吐きながらも天青に少しでも情報を与えようとしているのがひしひしと感じられる。


「もういい紫水。これ以上喋るな」

「あらやだ心配してくれるの? 天くん、やっさしぃー……っ、ぐは! 痛い痛いっ、藍ちゃん包帯きつく巻きすぎ⁉」

「止血もしないとですし、きついほうがいいですよ。多分ですけど♪」


 呼吸が荒い紫水の手当を藍と紺が段取りよく始めていた。

 派手に血が出てはいるのだが深手を負ってはいるわけではないらしい。血止めをするためにぐるぐると清潔な白布を巻き付けていたが、一瞬で赤に染まる。

 ふたりの女童たちのきびきびとした処置に見入っていると、玉藻はぐらりと眩暈がした。

 鉄錆にも似たにおいが紅の宮に充満している。

 自らが負傷したわけでもないのに、全身に痛みをおぼえた。その場にうずくまっていると、涼音が寄り添うように傍に来て背中を支えてくれた。


「玉藻さま、どうか奥へ――」

「いえ、大丈夫です……」


 首を振ってこの場にいさせてほしいと訴えた。

 女童たちのように手当をする技量もなければ、襲われた当時の話を聞いても理解が追い付いていない。

 己に何も出来ないのだとしても残酷なこの状況から目を逸らしてはならない――そう思ったのだった。贄となるまでのかりそめであろうと天青の花嫁として、妻として。


「あいつら、本気だ……」


 荒い呼吸を繰り返している紫水が、ちら、と玉藻に目を向けた。


「本気であの子のことを狙って……」

「もういいと言っておるだろうが」


 ぴしゃりと撥ねつけると、天青は立ち上がり広縁までゆったりとした足取りで歩いて行った。


「――既に、相手方も来たようだしな」


 客人が誰なのかもおおよそ見当がついている。

 そう言って、天青は縁側から音もなく庭に降りた。


 空間がぐにゃりと捻じ曲がるさまを、真正面から見据えた。


 ――来る。


 衝撃に備え、天青が身構えるのを玉藻は部屋の中から見つめていた。

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