第25話

愛心



 あのクソ女上司、もとい斎藤 早紀さいとう さきを脅しつけて、はや一週間。


 とりあえず現状、なぎさんへの嫌がらせはなりを潜めることになったわけです。私が毎朝『ずっとなぎさんから様子は聞いてるから』とこまめに、無理矢理確保した連絡先にメッセージを送った甲斐もあるというものです。


 これから先のことは色々とあるだろうけど、とりあえず今は心配しなくてよさそうだし。なぎさんとの関係も、我慢しなくなってよくなったというか、晴れて公認になっちゃったし。


 なぎさんの身体の調子も、とりあえず久しぶりの生理も落ち着いてきて、大分良くなってきました。私がせっせと夕ご飯にいっぱい栄養を注ぎ込んでいるので、体調も問題ないと思う。


 てなわけで、冬の初めからずっと抱えていた悩みという悩みが、あらかた解決してなんだか久しぶりにぼんやり過ごしている、あこなのです。



 ……嘘です。ぼんやりなんてできていません。



 いや、だって、一週間経っちゃったよ。


 あと三週間でなぎさんとえっちする約束なんだよ?


 「うごごごご」


 おこたのなかに顔を突っ込んで、そこで寝転がっていたねこくんの腹に顔を当てて無理矢理猫吸いしちゃってる。ねこくんはなんだなんだと、嫌そうな顔してるけど、ごめんいまだけは許しておくれ。


 だって、時間が、時間が凄いあっというまに過ぎていくんだもん!!


 まだ何にも準備できてないよ!! 


 ていうか、なんの準備したらいいんだろう!?


 ムード大事かなあ!? 無駄に溜めたぺいぺいでご飯とか誘うべき!? いや、私外に出だら危ないじゃん?! だったらうちでせめていい物食べて!? でもなぎさんあんまりお腹いっぱいにしちゃうとおこたで寝落ちしちゃうしなあ!? 


 てか下着! 下着をもっといい物に!! 今、私、コンビニのやっすい下着しかつけてない!! 服とかもちゃんときれいなの買わなきゃ?! でもあんまり大人っぽいと似合わないかなあ!? ネットで買うしかないから試着できないし! ていうか、ここなぎさんの家だから買ったものはどこに隠せばいいんだろ?! 


 あ、もしかして、ローションとかいたりする?! 早紀のやつがムチとかローターとか言ってたし?! 私もやっぱりされちゃうのかなぁ?! でも私からしちゃうのもあり?! あー! どうしようどうしよ、何からしたらいいんだろ!? 何をしといたらいいんだろ!!??



 「―――などと迷いに迷ったので、電話したの」



 というわけで、昼休みの時間を狙って早紀のやつに電話をかけてみた。ラインのアカウントを確保していたので、通話だってもちろんできる、ぬかりのないあこちゃんなのさ。


 『……その話題、私に訊くの地獄すぎない?』


 電話口の早紀は、どことなく怯えたような、呆れたような何とも言えない声を返してくる。うるせえ、こちらとら背に腹は代えられないのじゃ。


 「うるさーい、今のところ、聞ける相手があんたくらいしかいないんだもん!」


 なぎさんは論外、ねこくんは喋れない、売人の奴は聞いたら嬉々として答えてきそうだけど気持ち悪いのでアウト、となると私の人脈はこいつくらいしか残ってない。


 『前、事情は聞き損ねたけど。明らかに色々問題抱えてるよね、あんた……』


 最初の方こそ、早紀はすっかり私に怯えていたけれど、時間を置いて冷静になったからか年上らしさを少しだけ取り戻していた。まあ、初体験で目かくしされてお尻叩かれて悦ぶ奴ということは知っているので、年上らしさなんてあってないようなものだけど。


 「いーから、答えてよ。なんか準備した方がいいかなあ? ご飯ちゃんとした奴の方がいいかな? 服とか下着とかいるかなあ?」


 そうやって聞いてみるけれど、電話口の向こうからの返事はない。ん? と想って、スマホを思わず見るけれど、相変わらず反応なし。いぶかしんで眉を寄せたあたりでようやく、長く長く深いため息がつかれていることに気が付いた。


 『~~~~ぁぁ…………』


 「ねえ、聞いてる?」


 『………………私酔った勢いでしちゃったから、わかんない』


 「………………そっか」


 そーいや、そうだったなこの人。


 あれ聞く相手間違えたかな? いやでも他に聞く相手いないしな。藁にも縋る想いで掴んだら、本当に藁掴んじゃった感じかもこれ。びっくりするくらい、参考にならない予感がする。


 『ていうか……そうだ、あの日私、全然ちゃんとした下着じゃなくて上下バラバラで……、スーツもクリーニング出してないやつだったし……、化粧も適当だったし……ていうか、初めてのキスなのに直前で私が吐いてたから胃液の味とかしてて……ぁぁぁ……死にたい』


 「こらー、相談の途中で勝手に想い出しへこみするんじゃなーい」


 『だって、だって、うぅ……。人生で唯一の経験がこんな想い出なんて……私、生きてる価値ないんじゃないかなぁ……』


 しかもそのまま勝手に落ち込みだす始末。わかってはいたけれど、すんごいめんどくさいなこの人。……はあ、仕方ない、とりあえず落ち着けないと、話すら聞いてもらえなさそうだし。


 「別にそんなことないんじゃない、なぎさんそんなことで嫌いになったりしないよ」


 『でも、この前、明らかに、私、なしって感じで見られてたし……』


 「そりゃあ、パワハラして残業させるからでしょ……」


 『でも……でもぉ…………あの時の私やっぱり……』


 「わかった、わかった。聞くから。……話聞くからさあ、後でちゃんと私の相談乗ってよ……?」


 『うぅ……ありがとぉ……ご主人様……』


 「私、いつご主人様になった……?」


 なんてやり取りをしながら、どうにかお昼休みぎりぎりの時間まで使って、最後の十分くらいにようやく私の相談に乗ってもらえた。


 なぎさんもそうだけど、なんか大人って思ったよりしっかりしてないなあ、なんておもわず考えてしまう。いや、なぎさんはすっごい頼りになるんだけどね、生活のいい加減さを除いたら……。


 とりあえずまあ、なけなしの意見を参考にして、せっせと準備を始めるのです。


 いよしっ、折角の初体験なんだし、目一杯いいものにするぞうと意気込む、そんな今日この頃なのでした。




 ※



 凪



 ※




 『どうも住良木さん。麻井です。最近、何か面白いことはありませんでしたか?』


 ようやく復活して職場で業務をこなした昼休み。謎の番号からかかってきた電話に出たら、慇懃な男の声が響いてきた。……いや、知らない番号からの電話には出るもんじゃないね、やっぱり。


 「……唐突にどうしたの?」


 『いえ、何故かそういう予感がしたものですから。例えば―――夜中に不意の乱入者があったとか』


 なにせそれは、あまりにも予感がドンピシャすぎるでしょ。


 会話がきな臭くなりそうだったので、とりあえず、少し待ってもらって場所を変える。


 それから、冬場の非常階段にある比較的人がいない喫煙所までやってきて、思わずため息交じりに煙を吐いた。


 「……いやあったけどさ。何? 盗撮? 盗聴?」


 そんな私の懸念をよそに、麻井の奴はさっぱり声の調子も変えやがらない。当たり前みたいに言葉を吐き続ける。


 『。ああ、あこさんには内緒でお願いします』


 ……ほんま、こいつ。いい神経してんなあ、それを私に堂々と言ってくるとこまで込みで。


 「…………いや、それ私も盗撮なり盗聴されてるってことでしょ? 嫌だよ、普通に。内緒にする意味もないし」


 一応、常識的な意見を言ってみる、ここまで反論するのも込みで明かしてきてそうではあるけれど。案の定、麻井の言葉の調子はさっぱり変わらない。相変わらず、機械的に淡々と言葉を吐いてくる。


 『そこは大変心苦しいですが、こちらとしても急性の発作が起こったときに対処する算段が必要ですから、状況把握のために目をつぶっていただけると幸いです。一応、前回の訪問の件でも、いつでも突入できるようスタッフを何名か待機させていたんですよ?』


 「そうは言ってもねえ…………」


 つまるところ、あこのプライベートはないようなもんなわけだしなあ。ダメでしょ、それは色々と。


 『こうして秘密を明かしたことそのものを、一つの信頼と取っていただけると幸いです。本来明かす必要もないのですから。それに我々が彼女を守ってきた事実として、あこさんは発作で襲われることはあってもは一度だってありませんよ。そうなる前に対処してきましたから』


 そうやって、麻井がどことなく淡々とだけど誇らしげに言う言葉が、少しだけ私の癪に障った。全部が全部、こいつが悪いわけじゃないから、八つ当たりに近いけど。


 「でも、それとあこの心の傷は関係ないでしょ?」


 『というと……?』


 「最後までされようが、されまいが、襲われたことそのものに疵は残るもんだよ。人に襲われたら、人を信じられなくなる。まあ、予測ができないんだろうし、最後のラインをちゃんと守ってくれてたってのはわかったし、そこに関してはほんとに感謝もするけどさ」


 『……なるほど、大変興味深いご意見です』


 「……本気で思ってる?」


 『ええ、今のは本心からの言葉です』


 電話口の向こうから響く声は相変わらず無機質で、形式ばった丁寧さだけが張り付いたみたいな色だ。ただその響きが、少しだけ落ち着いたように感じられたのも事実だった。


 「じゃあ、あとは妥協点探しね。こっちはあこのプライベートは護って欲しい」


 『こちらとしてはあこさんの安全が第一です。……ただ、そうですね』


 「…………ん?」


 『住良木さんといるあいだに発生する発作は、あこさんを危険に及ぼすものではないと判断しましょう。双方の合意がある以上、こちらとしても問題ありません』


 「どうも…………」


 なんかすごい無機質に言われてるけど、要するにあんたらもう両想いだから好きに乳繰り合ってていいよと言われている気がする。いやあ、まあ。違いはないんだけどさ。なんか、ちょっと恥ずかしい。私らがしてた会話がきっちり聞かれているってことでもあるわけだし。


 『部屋内への監視は取りやめにします。監視は外部からの侵入があるかどうかと、屋外に出た時のみに絞りましょう』


 「ん、それでいいよ。あこには言わないでおくし」


 言ったら、キレるだけキレて終わりそうだ。あこの境遇を考えれば必要なことなのはわかるけど、あこの意思は完全に無視してるしね。まあ、こんなことしてっから、嫌われたんだろうなこいつは。


 なんて思いながら、煙を外の風にくゆらせていたら、軽い笑い声が電話口の向こうから響いてきた。


 …………こいつが笑う時は、なんか趣味の悪い話の時だ。それくらいは、わかってきた。


 『―――監視は取りやめにしますが、一つだけ進言を。一月後に情事に至る際には、あこさんのスマホの電源は切っておくことをお勧めします』


 「……ああ、そこに盗聴器とか入ってんのね」


 バレたら死ぬほど怒りそー。黙ってたのバレたら私も怒られそー。どう転んでも、趣味の悪い話に違いはない。


 『それとお願いが一つあるのですが』


 「…………なにさ」


 お願いという割に、まだ声が笑ってる。いやまだあんの、趣味の悪い話。


 『あこさんに自慰に耽るときは、スマホを使わないように言ってもらえますか? 恐らく隠し撮りした住良木さんの写真でのでしょうが、こちらとしては小娘の喘ぎ声など聞くに堪えない物でして―――』


 「―――――」


 『―――くくっ、お願いできますか? 住良木さん』


 今、ぜってぇ最高に悪趣味な笑い浮かべてやがるよ、この虫野郎。


 「……どうやって言うの、それ?」


 『ふふ、それを私どもも悩んでいたところです』


 なんてやり取りをしながらだけど。私はぼんやりと私の名前を呼びながら、独り耽っているあこの姿がちらりと頭に思い描いてた。


 うーん、そういうのもいいねと想えてしまうあたり、私も大概やられてきてるのではなかろうか。実はこっそりあこの身体の性質が効いてたりとかしてね。


 なんて考えていたら、長いこと非常階段にいすぎたせいで、身体が思わず寒さにぶるって震えた。それ以上話すこともなさそうなので、麻井との昼休みの通話もそっと終える。


 さあ、何はともあれ仕事に戻ろうか。


 とりあえず、あこには代わりのスマホでもあげようかなって、そう想う今日この頃でした。


 

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