不感女と淫魔少女

キノハタ

第1話

 冬の寒さで凍える帰り道、何のきまぐれかコンビニでソフトキャンディーを買って帰った。


 一個百円、紫の楕円が十数個入ったそれの袋を破って、一つ口の中に放り込む。


 カリっと軽快な音を立てて、それは割れて口の中で合成された甘さと酸っぱさが広がっていく。


 小さな頃の私はこのお菓子が大層に好きで、遠足の三百円のおやつの中には必ずこれが入っていた。これで三分の一を消費してしまうから、残りのやり繰りに苦労したっけ。


 このお菓子は好きだった。かつてこれを食べているときは、なんて言うんだろう幸せや、強い欲求のようなものを確かに感じていたはずなのだけど。


 だけれど、大人になった私の舌は、キャンディを特に何の感慨もなく噛み潰す。そこに大した感情も、喜びも湧いてこない。ただ作業のように合成された刺激を受容れる、ただそれだけ。


 そんなことを考えながら、家のドアを開け放って、ただいまと声をかけた。


 数日前まで、こんな習慣はなかったけど、今ではすっかり居ついた背中が、こたつにくるまったまま私におかえりと返事をくれる。


 「口開けて」


 私がそういうと、まるまった背中は不思議そうにこちらを振り向く。それから、言われるがままあんぐりと口を開けた。隣で連れのネコまで口を開けているけれど、残念ながらこのお菓子は人間用なのだよ。


 そのまま、手に持っていたソフトキャンディーはからんと乾いた音を立てて、炬燵の主の口の中に転がり込んだ。ころころと幾許か舌で転がしながら、彼女はあぐとキャンディーを咀嚼する。


 「うにゅ、めんとしゅじゃん、うむむ、うまあま」


 少女はにへーっと口を綻ばせると大層嬉しそうににこにこしだした。一個百円の包装に十数個入っているから、一個当たり十円もしないわけだけど。相変わらずお安い笑顔だ。コスパがよくてとても助かる。


 そのまま、軽く息を吐きながら私もこたつに身体を潜らせて、コンビニの袋を開いて今日の夕飯を広げ始める。


 「なぎさん、きょーのご飯は何ですか?」


 あこは、キャンディーを頬張ったままの喜色ばんだ顔で、けらけらと快活に笑う。私はその顔に若干、視線を流してから抑揚のない声で返事をした。


 「ロコモコ丼かマーボー丼」


 「わお……なやましいですね。うむむ……」


 「好きなのとりなさい、私は余ったのでいいから」


 そうやって適当に流してから、ポケットから電子タバコを取り出して火をつけかける。……つい手癖でやってるけど、誰かがいるなら止めといたほうがいいに決まってるか。軽くため息をついてから、タバコをしまって、そのままこたつに突っ伏した。


 「えー、なぎさんの好みは? どっちでもいいが一番困るってそれ全国の乙女の間で言われてますよ」


 「路上生活してた子が、また随分とでかい看板背負ったね……」


 軽い愚痴のつもりだったが、当のあこはさっぱり気にした様子はない。心臓に毛が生えているというのは多分こういうことを言う。


 「今時スマホさえあれば、発信し放題ですし。看板くらいなら、いくらでも背負えるものですよ。で、どっちにしますー?」


 仕事疲れで突っ伏した身体を無理矢理揺すられて、少し気持ち悪くなりながら、どうにか揺れる頭を引き起こす。ええと、なんだっけ、ろこもことまーぼーか……いや、どっちでもよくないか? どうせコンビニ飯なわけだし。


 仕方ないので、私の言葉を今か今かと待っているあこにパスを渡してみる。


 「あこ的にはロコモコは何点くらい?」


 「うーむ、ずばり87点です!」


 「へえ、なかなか得点高いじゃん。マーボーは?」


 「涙を飲んでの82点です! どちらも高得点、悩んじゃいますね。さあ、なぎさんどうしますか?」


 その答えに、私はうん、と軽くうなずくと、手元にあったロコモコをあこの前に置いた。


 さあ、あっためるか、とりあえず。


 よっこいしょっと重い腰を上げたら、どこか間の抜けた顔をしていたあこの顔が、ぱっと真っ赤になって両腕を大きく上げた。


 なんだろうそれ、憤慨のポーズかな。


 「ふん! がい!」


 あってたみたいだ。こりゃまた大変だと思って、私はさきにあこのロコモコを温めだす。


 「えーと500ワット二分だから……700ワットだと何分? 一分半?」


 「ふーん! がーい!」


 「どうしたのふんがい星人、何か世の不条理でも感じたの」


 私がそうふんがい星人に問うと、あこはこたつの天板をばしばしと叩きながら威嚇してくる。まあ、威嚇って言っても子猫がしゃーってやるくらいの可愛げしかないわけだけど。私なんかより、こたつでくるまっていたネコの方がよっぽど威嚇に反応している。


 「世の不条理は感じてませんが、同居人とのコミュニケーション不全は感じてます!」


 「なんてこったそれは大変だ。あ、できた。一分半って早いねえ」


 「ちゃんときけーい! このあらさーくたびれOL!」


 とりあえず熱々のロコモコをふんがい星人の前に置いてみた。怒りは特に収まらなかったが、鼻がひくひくしているので反応はしているらしい。


 「怒ってると冷めちゃうよ、食べちゃいな」


 そう言って、蓋を開けてスプーンを目の前においてあげると、ふんがい星人はむぐぐとうねりながらもスプーンに手を伸ばし始めていた。食欲に忠実なふんがい星人で何よりだ。


 その後、私がまーぼー丼を温めている間も、背後からふんがい星人の鳴き声は響いてた。はてさて、誰のせいなのやら。チリンとなった足元の鈴の音に眼を見やると、連れ子のネコが私の足元でくわぁと口を開けて欠伸をしていた。君からも飼い主に言ってやってよと、私は軽く笑って息を吐いた。



 ※



 「コスパの問題だと思うわけ」


 「コスパですか」


 「あこがロコモコ食べたら、まあ満足ポイントは87だかはいるんでしょ?」


 「まあ、そうですね。ちなみにメントスで30くらい入ります」


 「安上がりだねえ。で、まあ私が食べてもいいとこ、10とか9しか入んないの。満足ポイント」


 「それは舌が肥えすぎて、コンビニ飯なんて食ってらんねーぜということですか?」


 「そんな偉そうな舌してたら、コンビニで買ってこずに自分で作ってるよ。だから単純に……それだけ喜びが薄いってことだよ」


 「ふうん…………」


 「私にとって、ロコモコの喜びが10でマーボーが9どっち選んでも大差ないし、大してうまくも感じないの。それなら、ちゃんと美味しく感じられる方に、食べたいものを選ばせた方が合理的じゃない? 87も満足できるんなら、そっちが食べた方がいいに決まってる」


 「しかしですね…………」


 「なにがご不満?」


 「私もマーボー丼一口欲しかった……」


 「はい」


 「っむむむむむぐむぐむむむ」


 なるほどと思って、私が口に入れかけたスプーンを、半開きのあこの口に突っ込んだ。


 ある程度待ってから、スプーンを口から引っこ抜くと綺麗にスプーンの中身だけがこそぎ落とされている。うん、上の口は素直で何より。


 そのまま、スプーンをマーボー丼に突き刺して食事の続きを実行する。摩耗して鈍感になった感覚でも、辛さとしての痛みはまだどこか鮮明に感じられる。まあ、味の感想としては最悪だけどね、ただ刺激が強いってだけだから。


 そうやって、口をただ黙々と動かしていたら、隣であこがどこか呆れたような、少し紅潮した顔でこちらを見ていた。


 「なに?」


 と、聞くと。


 「間接キス……、いやそれどころじゃないですけど」


 と、帰ってきた。そんな中学生みたいな羞恥心、昔はあったなあとあらさー女はしみじみと懐かしむことしか出来ない。


 「気にするな」


 「気にしますよ」


 「これってセクハラ?」


 「人と場合によっては」


 まじかあと、頭を抱えながら、あこよりさっさと食べ終わったマーボー丼をゴミ袋に入れてうらうらと窓際まで転がる。


 「咽び泣くわ、ジェネレーションギャップに」


 「いや、たばこ吸いに行くだけでしょ」


 おかしい、おおよそ数日しか一緒にいないはずなのに、何故かもう言動の意図がバレている。軽くため息をつきながら、窓を少し開けて、そこに電子タバコの煙をふぅと吐き出した。


 ただ、外があまりにも寒すぎるので、吐いた息が白いんだか煙なんだかよくわからない。


 隙間から漂ってくる冷たい風にぶるっと身を震わせながら、既に何回か聞いた問いを気まぐれに投げてみた。


 「いつまでいるの?」


 ―――声の調子が少しだけ上ずらないように気を付けながら。


 さっきまでの間の抜けたやり取りがどこか遠く感じられるような、そんな少し寂しい感じがするのは、まあ多分窓を開けて寒いからだ。


 あこは手元のネコを撫でつけると、くすっとどこか小さく笑って言葉を返してきた。


 「冬が開けるくらいまで」


 その答えに、私はゆっくり頷いた。


 まあきっと、それくらいがちょうどいいよ。


 自堕落な無感動女の元で、いたいけな少女が羽を休めるのは、きっとそれくらいがちょうどいい。


 ゆっくりと息を吐いたら、あこは隅っこに置かれていたソフトキャンディーを口の中に弾いていれた。


 たったそれだけで、表情がコロコロと変わって面白い。あのキャンディーたちも、私みたいな仏頂面に黙々と食われるよりは、あっちのがいいだろう。


 それから煙を窓の外に吐いて遊んでいたら。あこは私の隣までとことこと寄ってくると、私の頭上からにまっと笑いかけてきた。


 「なぎさん、口開けて」


 はて、と一瞬首を傾げかけて、ああ、帰ってきたときの逆バージョンかと、なっとくして眼を閉じて軽く口を開けた。


 しばらく、キャンディーはふってこなかったが、すこしの後「んべ」と変な音を立てて、甘い何かが振ってきた。


 私はそれを口に入れて――――。


 ………………。


 入れて、あれ?


 「ねえ、あこ」


 「にゃんでしょう」


 「なんかあったかくない? これ」


 「そーですね、あとちょっと溶けてます」


 「どっから出てきた?」


 「私の口から」


 おいおいおい。


 目を開けると、いたずら大成功とでもいいたげに舌をちらっと出した、いたいけとはとても言えそうにない悪い顔をした少女の姿があった。


 「仕返しです。気にしないでくださいね?」


 「ふぁーい……」

 

 いやあ、最近の子どもって恐ろしいなあと思いながら、半溶けのキャンディーを口で転がした。


 寒空の下、感情ども感慨もすっかり死んだ不感な私は、いたずらっ子でよく笑ってよく泣く少女と、その飼い猫と暮らしてた。


 期限は、冬が開けるまで。


 冬の暖炉で見る、おぼろげな微睡みのような、そんな時間を過ごしてた。


















 ※


 「本当に効いてないんだから、凄いですねえ……」

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