第36話

愛心



 唖然としているあなたに、私は自分の愛液がついた指をそっと差し出した。



 私は、この行為の意味を知っている。



 これは私の身体にあるもので、きっと一番強い毒。



 最も誰かを、問答無用で、性的に興奮させるもの。



 今までなぎさんに私の毒は効いてない。



 でもそれは、別に毒を完全に受けつけていないわけじゃない。



 ただ単に、不摂生で鈍くなった感覚が、毒の影響をとてもゆっくりにしてるだけ。



 効いてはいる。甘いに匂いをちゃんと感知しているのが、その証明。



 ただ発作に至るほどには、今まで毒は溜まってこなかったって、ただそれだけのはず。



 言ってしまえば、注ぎ口が壊れた瓶みたいなもので、うまく水が入ってはいかないけれど別に入っていかないわけじゃない。



 だから、その許容量を超えるくらいに、途方もないほどの毒を注ぎ込めば。



 どうなるだろう――――。



 あなたは唖然とした表情のまま、私を見て逡巡していた。



 怖がっている、何かを。発作に身を委ねることかな、それかもっと違う何かだろうか。



 それでも、私は—――。



 「飲んで」



 口にする。



 「上手く説明できなくて、ごめんね」



 口にする。



 「でも、飲んで欲しいの」



 口にする。



 「私の身体が、心が、そうしたいって言ってるから」



 口にする。とりとめもない、理屈も、道理も、何も通っていない言葉たち。



 「なぎさんの心も身体も気持ちよくしてあげたいから」



 口にする。ただ胸の内から漏れ出る何かを、ただそのままに。



 「私と―――、全部、一緒になって欲しいから」



 口にする。



 「ねえ、飲んで、なぎさん」









 ※



 凪



 ※



 差し出されたものを見つめながら、考える。


 今までずっと、私はあこに言えてないことがたくさんあった。


 何を想っているのかとか、どんなことを感じてきたかとか。


 なんでこんなに人との関係を諦めているのかとか、どうしてずっと身体が痛み続けているのかとか。


 どうして、あこをあの時、暗い路地裏の隅っこで助けたのかとか。


 その後、あこのことをどういう眼でずっと見ていたのかとか。


 伝えてないことがたくさんある。


 伝えなきゃって想ってるのに、うまく言葉にできてないことがたくさんあるんだ。


 それを想いだすたびに、胸が痛くて伝えられない自分の弱さがあんまりに情けなくて。


 そんな罪悪感を誤魔化すために、ただ献身的に今日までの行為に勤しんでいた。


 口づけも。


 愛撫も。


 抱擁も。


 快楽も。


 絶頂も。


 全部が、全部与え続けることで、私の痛みを誤魔化すためだけのものだった。


 それすら自覚してるくせに、うまくなにも言えなくて。


 ただ零れるほどに、溢れるほどに、君に何かを与え続けることしかできなかった。


 大人とか、年長だからとか、色々言ってはいたけれど、結局全部建前で。


 だって与えている間だけは、罪悪感なんて感じずに済んだから。


 だって与えているんだから、与えてる間だけは―――怒らないで、責めないで―――見放さないでいてもらえる気がしてたから。


 だから、何かを貰ってしまうことが、ずっとずっと怖かった。


 あこから何かを貰ってしまったら、私は自分に自分で問わないといけなくなる。


 こんなに貰って、それに見合うだけの何かを、私はこの子に返せているのかなって。そうやって貰えるほどの価値が私にあるのか。


 わからないから、与えることしか出来なかった。


 この子のために、我慢して。


 この子のために、頑張って。


 この子のために、無理をして。


 そうしてこの子を、無意識のうちに繋ぎ止めて。


 そうしていたら、この子は私のことを見放さないでいてくれる。なんてどこか心の奥底の、暗くて醜い穴の中でそんな打算的なことばかり想ってた。



 ―――そう想ってたんだ、私は。



 ああ、だからか。



 だから、怖いんだ。



 今、あこに差し出されている、これが。



 あこが私と一緒に気持ちよくなりたいって言ってる、これが。



 だから、こんなにも怖いんだ。



 だって、私は人に何かを、あこみたいな体も心も、綺麗な子にもらえるに値する何かを、持ってなんかいないから。そんな価値ありはしないから。



 だって、私はずっと悪者で。



 だって、ずっと否定されて当然の奴で。



 だって、自業自得に、自分の身体をずっと食いつぶしてきた奴で。



 ぼろきれか紙切れくらいの存在価値しかない人間で。



 そんなのが、そんなのが。



 何かを貰うなんてこと。




 「飲んで」




 一緒になることなんて。




 「上手く説明できなくて、ごめんね」





 しちゃ、ダメなはずなのに。





「でも、飲んで欲しいの」




 貰っていいの?





「私の身体が、心が、そうしたいって言ってるから」




 私なんかが貰っていいの?




 「なぎさんの心も身体も気持ちよくしてあげたいから」




 まだ、何も話せていないのに。



 

 「私と―――、全部、一緒になって欲しいから」





 まだあこに何も伝えられていないのに。





 「ねえ、飲んで、なぎさん」





 こんな私で―――――。








 答えをうまく口にはできなかった。





 言葉は何も伝えることができなかった。




 でも、身体が。




 ずっと痛みと苦しみと、それを塗りつぶす快楽だけで染められていたはずの私の身体が。




 気づけば答えを出していた。





 ずっと望んでいたこと。




 気づかないまま、見過ごしてきた答え。





 私がほんとにずっとしたかったこと。





 誰かと一緒に――――。




 








愛心






 私が指を差し出すと、なぎさんはしばらく呆然としたままだった。



 でも、ふと気付けばその眼が少しうるみ始めていく。



 じわじわって、ゆっくりと布に水が染み込むみたいに、じんわりとなぎさんの中の何かがゆっくりと広がって。



 しばらくして、ポタンと雫が一つ、なぎさんの膝に落ちていった。



 理由は、わかんない。



 だって私はなぎさんのことを、ちゃんとは知らないから。



 多分、私がした何かが、なぎさんの琴線のどこかに触れた。



 そうだといいなって、考えは半分私の願望だけど。



 でも、私自身がうまく言葉にできないみたいに、なぎさんももしかしたら、どう感じたか言葉に上手くできていないのかもしれない。



 わからない、言葉にできない。



 でもわからないままでも、私はなぎさんの答えを待った。



 じっと。



 じっと。




 なぎさんは、私と差し出した指を、涙を零しながら見つめてて。



 そして、何も言わないままに、涙をこぼしたままに。



 ゆっくりと眼を閉じてから。



 そっと私の指に口づけした。



 なぎさんは何も言わない。



 眼を閉じて、伝うように涙を零しながら、それでも何も言ってない。



 だから私も何言わない、何も言えない。



 言えないままに、自分の指をそっと引いて、そこに付着してる愛液を舐めとってから。



 何も言えないまま、それでも、伝わればいいと。



 なぎさんの頭を思いっきり抱きしめて、上から全部注ぎ込むみたいにキスをした。



 熱く、濡れて、絡まって、離さぬように。



 唇の重なりから、私の中の体液を、唾液を、愛液を、毒を、そして想いをあらん限りに流し込む。



 あなたが泣きながらくれた口づけに応えるように。



 自分の中の何かが枯れ果てるくらいに、私の中の熱くなったたくさんのものを注ぎ込んだ。



 あなたの身体の震え、熱、吐息、匂い、その全部を感じながら。




 ゆっくりと離した唇から、たくさんのものが混じった何かがゆっくりと糸を引いていく。



 そうして、口づけを終えて見たあなたの顔は。



 涙に濡れて、眼は真っ赤で、なのに今まで見たことのないようにどこか蕩けたような、恍惚としたような顔をしていた。



 見下ろしたような格好になっていたからか、私よりだいぶ背の高いはずのあなたが、小さな少女のように見えた気までした。



 そんな姿を見つめてから、私は私の意思で自分の中の、何かのタガをそっと外した。



 そこから先に言葉はなくて。



 抑え込むようにあなたの手を取ったまま、ベッドに少し乱暴に押し倒す。



 余韻なんか何も感じさせないままに、あなたにもう一度、口づけをして、それをしながら重ねるようにあなたの身体を愛撫する。



 さっきまで、なぎさんが私にしてくれてたみたいに。優しくでも時に激しく、あなたがくれていた快楽を、私が感じさせてくれた快感を、そのままあなたの身体に流し込む。



 小さく膨れた胸を触って。



 華奢で柔らかい太ももを触って。



 腕を回せば包み込めそうな身体を抱いて。



 傷だらけの腕にキスをして。



 小さく閉じられたあなたの一番大事なところに、私の大事な部分を重ね合わせて。



 そのまま馬鹿みたいに、泣きそうなくらいに一心不乱に、自分の腰を動かした。



 私の毒を、私の想いを、私の身体を。



 あなたの身体に、あなたの心に。



 塗り込むみたいに、刻み付けるみたいに重ね合わせた。



 言葉なんて何も出せなかった。



 でもあなたの身体が段々と熱くなっていくのだけは感じてた。



 伝えられることなんて何もなかった。



 でもあなたの吐息が少しずつ熱がこもって、私の呼吸と合わさっていくだけは感じていた。



 それでもあなたと繋がっていたかった。



 心も、身体も、全部繋がっていたかった。一緒になっていたかった。



 獣みたいに交わって、子どもみたいに抱き合った。



 そうして、やってきた。



 あなたの身体と声が、一際高く震えた瞬間に、わたしはそれを言葉なんてないままに理解した。



 だからそのまま、あなたにキスをしながら、私の毒に塗れた指で、あなたの膣内を思いっきりに掻きまわした。



 優しくなんて何もなかった、疵になってしまうかもしれなかった。



 それでもいいと、その痛みさえ一緒に感じていたかった。



 そうしている間に、気づいたらあなたの指も、わたしの一番大事なところに触れていて。



 お互い、優しさなんて欠片もない、そんな余裕なんてどこにもない。忙しなくて、小刻みで、まるで自分の快楽を引き出すために遠慮のないほどに絡み合って。



 それでもその指に掻きまわされた感覚は、痛みを通り越して、あっという間に私の身体を快感の波に震わせて。



 ある一点。私たちがお互いの一番奥を、その指で撫ぜあわせた瞬間に。



 お互い、大きく身体を震わせた。



 長く。



 長く。





 長く。






 永く。







 今日一番、長く。







 身体の奥からくる大きな快感の波が私たちを襲っていた。




 そうやって抱き合いながら、お互いの中に指を挿れたまま、ずっと身体を震わせて。




 どれくらいそうしていたのかもわからない。




 十秒くらいだったのかもしれないし、何十分もそうしていてた気もしてる。



 しばらくしてから、そうやって震える身体をそっと離して、どちらともなく私たちは見つめ合っていた。



 なぎさんの顔は火照りながら、でも溢れるような涙に濡れていて。



 私の顔はどうなってるだろう、わからない、ただ自分の中のあらん限りを吐き尽くしたような感覚だけはあった。



 そうやって少しの間、私たちは見つめ合って。



 少ししてから、お互いの身体から力が抜けてしなだれるように倒れ込んだ。



 結局、私たちはずっと言葉一つ交わさないまま。



 最後に、そっと口づけをして。



 私たちは意識を手放した。
























 ねえ、なぎさん。



 身体はちゃんと繋がれたかな。



 心もちゃんと繋いでいたいよ。



 あと伝えたいことはまだまだ一杯あるよ。



 それに聞きたいこともほんとは数えきれないくらいあるんだよ。



 でも今、伝えられるのはこれだけだから。



 微睡んだ意識の中、眼を閉じて泣いているあなたの頬を記憶の中に焼き付けながら。



 そうやって、今の私にできる限り贈りものをする。



 どうか伝わればいいと願いながら。


 

 溢れるほどの、あなたへの愛と想いが。



 どうか伝わればいいと、そう想って眼を閉じた。

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