第37話




 愛心



 ※



 愛のことはよく知りません。


 恋のこともよく知りません。


 欲のことだけはよく知っています。


 そんな自分がたまらなく嫌で、叶うなら消してしまいたいって。そう想いながら、今まで、ずっと自分を否定し続けてきました。

 

 だけど、今はどうしてか。


 ま、別にそれでもいっか、って想っている自分がいます。


 寒い冬の朝の中、一糸まとわぬあなたの隣で、同じように生まれたままの姿で目を覚まして。


 まだ眠りながら小さな寝息をたてるあなたの頬を撫でながら。


 そんなことを想ってた。


 しばらくそうしていたら、とんと軽く何かが跳ねる音がした。


 誘われるままに顔を上げると、ドアの隙間からねこくんがそっと寝室に侵入してきています。


 そのまま彼は、なあと朝の挨拶をしながら、すとんと、軽い調子でベッドの上まであがってくる。


 そのままだと、なぎさんのおねむを邪魔しそうだったので、そっと抱きかかえて素肌でねこくんの匂いと感触を味わってみる。


 ちょっと無理矢理捕まえたから、逃げられるかなって想ったけれど、意外とそのままねこくんは抱き寄せられてくれた。


 というか、今更だけど、普通、野良猫はこんなに簡単に人に気を許すものかな。


 「ねえ、ねこくん」


 脇を抱えて抱き上げた彼にそっと告白をしてみよう。


 小さな、小さな、とっくの昔に解かりきっていたはずの告白を。


 「実は私さあ――――淫魔サキュバスなんだよ」


 厳密には違うかも、そういう呼び名じゃないのかも。でも今の私の在り方を表すのには、その言葉が一番手っ取り早かった。


 それから、もしかしたら、あの時、私の匂いに誘われてきたのかな、なんて想いを馳せてみる。


 そんな私にねこくんは、なあなあと穏やかに返事を返してくれる。


 まるで、そんなこと、とっくに知ってたよとでも言わんばかりに。


 まあ、私の勝手なアテレコなんですけど。


 なにせ、人間を引き寄せるこの身体が、猫までついでに引き寄せる……かどうかはよくわかんないもんね。


 でも、もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない。


 そんな事実が、ひと月前の私は憎くて憎くて仕方がなかったはずだけど。


 売人に言われるたびに、キレ散らかしていたはずなんだけど。


 だけど、今はどうしてか、落ち着いて口にすることが出来ていた。


 まあ、それでもいいのかな、なんて。


 ねこくん以外、誰も聞いてない朝の中。


 ねこくんと私しか知らない、小さな告白をしていました。



 どうも、みなさん、こんにちは。



 はじめまして、赤羽あかばね あこです。



 ――――どうやら私は淫魔サキュバスってやつみたいです。





 ※





 「おはよ、なぎさん」



 素っ裸のまま、肌寒い家の中を歩き回って、水分補給と水分排出を済ませて寝室に帰ってくるとなぎさんが布団の中で目を覚ましかけていた。


 もちろん、なぎさんの寝顔は見慣れたものだけど、布団から覗く素肌が見えて、下も素っ裸なのを考えるとちょっとえっちだ。まあ、その、……えっちをしたばっかりなので、えっちなのは当たり前なんだけどさ。


 昨日、結構無茶苦茶やってしまったことが、不安じゃないって言ったら嘘だけど、まあ別にあんまり気に病まなくてもいいかなぁとも想ってる。


 だって、私は、私の選べる限りのことをしたし、伝えたいことは全部伝えたし。


 どれだけ言葉にならなくても、私は、私の全部をなぎさんに見せたから。


 だから、大丈夫かどうかはわからないけど、だから、後悔してないって感じはする。


 そんなことを考えながら、寝ぼけ眼のなぎさんの冷たい頬をそっと撫でた。少し疵の入ったなぎさんの皮膚が指の中でさらさらと流れてく。その小さな傷の一つ一つも愛おしいと想えるから、やっぱ私なぎさんのこと好きだなあって実感する。


 ただ、そのなぎさんは、寝ぼけ眼で私のことをぼんやりと眺めたままで何も言わない。


 じっ……て私のことを見ていて。


 ………………。


 視られたので、頬にそっとキスをした。


 特に理由なんてないけれど。なんとなくしたくなったから。


 頬をそっと寄せてそこに小さく唇を合わせる。


 これも性欲なのかなあ、それとも愛か。


 二つの違いは未熟な私にはわからないけど。


 しかし、んむ、たった数日だけど、我ながらキスも慣れたものだねえ。


 唇が少し触れただけで、胸の奥の締め付けが緩んでいくような気持ちよさが、確かに私の身体を満たしてく。


 それが欲でも、これが愛でも心地いいことに変わりはないかな。


 ふうと軽く唇を離したら、なぎさんはどこか呆けた顔のままじっと私のことを見つめてた。


 それから黙って、どこかぼーっとした顔のまま、私のことを見つめていて。


 見つめて。


 見つめて。


 見つめて。



 隠れた。



 「なぎさん?」


 あれ、なんで隠れたんだろう。まだ眠かったりしたのかな。


 布団の中に顔ごと逃げ込むなぎさんに声をかけてみるけれど、余計にもぞもぞ布団の中に潜っていく。まるで殻の中にもぐりこむかたつむりのようだ。


 「なーぎさん、どしたの?」


 ぺろって布団を剥いだら一瞬だけ顔が露になったけど、すぐ布団を引っ張ってかたつむりに戻ってしまう。


 あらら一体、どうしたんだろって、洞窟みたいになった布団を覗いてみる。というか、なぎさんさっき一瞬、顔見えたけど少し紅くなってなかった? 寒かったし風邪でも引いたかな。それか私の毒の後遺症でも残っているのか。


 布団でできた洞窟のなかは真っ暗で、なぎさんの顔の輪郭くらいしか見えないけれど、中できょろきょろ動いてる目玉は四つ見つかった。あらら、ねこくんったらいつの間に潜り込んでいたのやら。


 「ほんと、どしたの? 風邪?」


 そうやって声を掛けるけど、かたつむりなぎさんは一向にその姿を現さない。なんなら気のせいか、小刻みにプルプルと震えてるし。うーん、これではらちが明かない、朝ごはんだって食べなきゃなのだ。ずっと引きこもられるわけにはいかない―――というわけで。


 「しんにゅう!」


 私も布団の中にインしてみる。布団の横を引っぺがして、ねこくんとなぎさんが折り重なっている場所に侵入する。攻めることは火の如し的な感じだ。布団の中の温かい場所に身体をこれでもかと潜り込ませる。


 「どりゃー! どうしました、なぎさーんーー!」


 どこどことなぎさんの布団の中で暴れながら、でもねこくんを潰さないように気を付けながら、あったかい布団の中へと潜り込む。ついでにおっぱいに手が触れたので、そのままうりうりと揉んでおいた。


 ふふふ、こんなこともできるようになったぜ、あこちゃんは。


 なぎさんのおっぱいに触るだけで、ビビりながら優しく導かれていた昨日の夜からえらい進歩だ。


 なんて独りで悦に浸っていたら。




 「ぁん……」




 予想外に、なぎさんの高い声が飛んできた。ああ、これ、ちょっと耳にクるやつだ。


 ……それにしても、これはセクハラおやじみたいであんまりよくないノリだなって想ったので、私はそっと布団から顔を出す。かたつむりが殻から頭を突き出すように。


 すると数泊遅れてなぎさんもゆっくり顔を出してきた。


 ただ、出てきた顔があんまりに紅かったから、思わず胸がドクンとなってしまう。


 「ああ……すいません。ちょっと痛かったですか?」


 思わず誤魔化すためにそう口にしてみるけれど、なぎさんの顔は紅いままそっぽを向くように私とは違う方向に向けられている。


 やりすぎちゃったかな、嫌われちゃったかな、なんて思考とは裏腹に、胸の奥はどくんどくんと忙しなく鳴るばかり。


 だって、多分だけど、これ痛かったとかじゃ、ないんだよねえ……。


 ちょっとだけ気まずい沈黙が流れた後に、なぎさんはぼそっと零すように口を開いた。


 「……その、まだ、…………敏感だから」



 そうどこか顔を紅くしたまま、ちょっと拗ねたように、それでいて恥じらう様に。



 言ってる。



 あの、なぎさんが。



 「あと、その昨日の今日だから、まだちょっと恥ずかしいっていうか…………」



 私より圧倒的に性経験豊富で、年上で、いっつも余裕を崩さなかった、あのなぎさんが。



 照れたように、恥じらうように、拗ねたように。



 「想ってたよりずっと、そのあこの……凄かったし……まだ、その……」



 身体が敏感だと。



 つまり、感じてしまうと。



 私に触れられることで、感じてしまうと。



 そして昨日のことをこんなに恥じらいながら。まるで人生の初めての夜のことを振り返るみたいな顔で。



 言ってる。



 思わず顔を覆って、そのまま天井を仰いでしまう。



 え、なに、この可愛すぎる生き物。




 胸がバクバクなるし、お腹の奥がじんわりと熱くなってくる。



 頬は自然と綻んでしまうし、顔も熱くなってくる自覚がある。



 緩く収まっていた興奮が確かに私の身体の奥から湧き出してくる。



 え? 抱くか? 今、抱くか? 私、抱けるよ? 



 今すぐにでも、宵越しの二回戦始めれちゃうよ?



 思わず抱き着きそうになる腕を自分で必死に抑え込みながら、私はふるふると身体を震わせる。



 どうどう、落ち着け。ここは淑女たるのよ、あこ。身体は淫魔でも、心まで淫魔である必要はないんだから。そんなすぐ興奮する性欲モンスターじゃないんだからね。



 思わず我慢で震えながら、私はゆっくりと呼吸して冷静さを取り戻す。



 うん、うん、あこちゃんばっちり。



 理性はちゃんと私の手綱を握ってる。



 「そ、そっか。昨日ちょっと、その、いっぱいしちゃったもんね……」



 そうやって自分で口にしといてなんだけど、言葉にしたせいで昨日の光景が鮮明にフラッシュバックしてきてしまった。墓穴だったなと思い知るあこなのでした。



 ただその衝動もどうにか耐えて、高鳴る胸と、火照る頬と、疼くお腹も、どうにか抑えた。それから、ふうと軽く息を吐きながら額の汗を腕で拭く。



 危ない危ない、ついスイッチ入っちゃうとこだったぜ。そんな盛りのついた発情期の猫じゃないんだから。もうちょっと我慢しなくちゃダメじゃない。



 とりあえず、ギリギリの危機は脱したので、そっとなぎさんの方を窺ってみる。さっきまでと一緒で、顔はまだ少し紅いけれど、視線はこっちに戻ってきている。上体を起こしている私を寝たまま見上げているから、ちょっと上目遣いっぽくなっているのが、私の理性を再びぐらぐら揺らしてくるけれど、まだ大丈夫。理性くんまだ頑張れる。



 だから、そう。



 「…………うん、まだ……ちょっと身体に残ってる……」



 なぎさんのこんな言葉にも動揺しません。



 「正直……あんなの生まれて初めての体験だったし…………」



 しないったらしないのです。ほうら、あこちゃん、大丈夫。



 「あんな風に感じちゃったのも、ほんと初めてで……その……変だったらごめんね……」



 あははー…………。



 「でも、その……それくらい気持ちよかったから……その」




 …………なんですかこの生き物は。




 可愛すぎるにもほどがありませんか。私の脳を破壊するためだけに生まれてきたんじゃないですか。淫魔よりよっぽどエッチな生き物じゃあないですか。



 どうして、そんな真っ赤な顔で、しかも私の目の前で、さらに私とのえっちを想い返しながら、そんないじらしいこと言うんでしょうか。なぎさんちょっとダメですよ、そういうのはほんとダメなんです。



 「でも、また…………したい……かな」



 ……ほんと、この人は。



 ま、理性くんも抵抗するだけ無駄だったね。



 胸が鳴る。



 顔が火照る。



 身体の奥から疼くような欲求が漏れ出てくる。



 いや、だって、抑えれるわけないでしょう、こんなの。



 私の理性くんをなんだと想っているんですか。




 「ねえ、ねえ、なぎさん」



 「うん……なに? あこ」



 また、そんな上目遣いで見て、可愛らしい声で囁いて、こんな私より年上でずっと頼りがいのあった人が、今まで見たこともないくらい、いじらしい姿してまあ。



 我慢とかするだけ身体に毒ですね。



 「



 「……え? へ? ……あこ?」



 「いや、まあ、ほんとにいやならやめるけど…………」




 そう言いつつも、気づいたら自然と身体はなぎさんの上にマウントをとるみたいに跨っていて、そのまま片手を抑え込んでいた。しかも、頬からはうずうずした笑顔が止まってない。


 その上、お腹の奥からむずむずした感じがどうしようもなく昇ってくる。ああ、今すぐ、この可愛くてしかたのない、私だけのこの人に抱き着きたくて、抱きたくて、抱きつぶしたくてたまらない。


 でも、でも、でも。


 ほんとに嫌だったらちゃんと止める。無理矢理とか、そんなこと私はしない。嫌がる相手にするなんて、そんなことを私はしないったらしないんだ。いや、今、結構理性のタガは危ないけれど、そこんとこのタガはちゃんと残してあるから――――。



 なんて想っていたわけなんだけど―――。




 そんなちょっと暴走気味の私をなぎさんは止める様子もさっぱりなくて。



 顔をより紅らめて、少しだけ困ったように眼を逸らしている。でもその瞳が少しだけとろんと蕩けて、何かを恥じらう様に口元だけをそっと覆ってた。



 経験人数一人の私でもわかります。これは多分、OKなやつです。



 「…………するよ?」



 そう言ってなぎさんの耳元にそっと顔を寄せて、できるだけ優しく声をかける。もう理性くんも抵抗を諦めたから、あとは返事をもらうだけ。



 そしてなぎさんはそっと顔を覆ったまま、ゆっくりと首を縦に動かした。



 それから、ちょっとだけ口を覗かせて、恥じらう様にその可愛いお口を動かして。



 「その……おトイレだけ行ってもいい……?」



 ―――なんて言っちゃうものだから。



 私の中の、何かの糸はあっさり、ブッツリ、千切れてた。



 あっはっはっは、ええ、ええ、不肖あこなぎさんの嫌がることは決して、絶対、さっぱり致しませんよ。ええ、致しませんとも。



 致しません…………けれど、……これはねえ。



 今の私にそういうこと言っちゃうのは、ねえ。





 「だーめ♡」





 ちょっとダメな挑発だと、あこちゃん想ってしまうわけですよ。



 理性の手綱はあっさりと千切れて飛んで、溢れた欲が精一杯私の身体を満たしてくる。



 これはつまり欲ですか? いやいや欲だけでこんな気持ちにはならないでしょう。



 だからこれも愛ですよ。そして欲です。両方です。



 というか、あれだ、昨日の私もトイレ行かせてもらえなくて、たくさん色々吹いちゃったわけですし、なぎさんも色々吹いてもいいと想うのです。



 一杯出していいよなんて言われて、ほんとに一杯出しちゃいましたたし。



 これでおあいこだと、あこちゃん想うわけですね。



 「え、あこ……?」



 だからこのまま抱いちゃいましょう。



 何せわたくし、淫魔なもので。



 取り憑いた人を気持ちよくしたくてしたくて、たまらないものですから。



 愛したくて、愛されたくて。私の中にどれだけの愛があるか知って欲しくてたまらないものですから。



 だからどうぞごゆっくり。



 なぎさんの、身体も、心も、全部、私で埋め尽くしてしまいましょう。



 愛も、欲も、募る想いも、際限のない気持ちよさも。



 伝わるように、何度でも、何度だって。




 そうしてあなたを抱きまして―――。




 結局その日、ご飯を揃って食べたのはお昼回って随分と経った頃でした。



 ベッドが沢山、おしっこ以外のもので濡れちゃったけど、私はほっくり大満足。なぎさんはベッドの隅で真っ赤かで顔を覆っていました。



 でも、今日が休みでよかったねーってなぎさんに尋ねてみたら。



 随分と、照れて、迷って、拗ねて、何度か逡巡したその後に。



 「うん……」と小さく応えてくれました。



 そんななぎさんの応えに、私はにっこりと笑いました。



 いやはや、幸せとはこういうものですかね。



 どうも、みなさんこんにちは、淫魔のあこです。



 今日で晴れて十六歳になりました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る