第21話

 凪



 ※



 「その凪さんって、今はお付き合いしてる人とかいたりするんですか……?」


 「ん? いないけど、どうしたの急に藪から棒なんか出してきて」


 「いえ……本当に今更なんですけど、もし付き合ってる人とかいたら、私とんでもないことしでかしてるなと……。いなくて、何より安心しました……」


 「あはは、いないいない、そもそも最後に誰かと致したのも、もう一年くらい前の話だしねー」


 「…………ちなみに、誰としたんですか?」


 「うーん、あこは、意外とそーいうの聞きたがるよねー」


 「え、え、え、き気になりませんか? 好きな人がどんなことしてきたのかとか、自分が何番目のお相手なのかとか、その、え、私が変?!」


 「んー……、いや気にする人は気にするか。私も最初の五人くらいは気にしてたかも……」


 「うっすら聞くのが怖いんですけど、なぎさん、どれくらいの人と経験をしてきたんです……?」


 「え、男と? 女と? それか両方合わせて?」


 「その質問だけで、私はレベルの違いに、もはや心が折れそうです……」


 「そんなレベルの違いとか……、多ければえらいもんでもないし、こんなのどんだけ生活が爛れてたかの証明にしかなんないよ」


 「うう、私はレベル1のひよっこなので、きっとなぎさんにいいようにされちゃうんです、ぐす……」


 「もー、あこはこうなると話聞かないんだからー」


 「じゃ、じゃあ、何人としてたんですかー?!」


 「えーと、……男、十一。女は十二……いや、十三か」


 「やっぱりー!! 経験豊富人類だーーー!!」


 「どうどう落ち着きなさい、ひよっこ、あこちゃん」


 「でも好きですーー!! もし下手だったらごめんなさーい!!」


 「うはは、気にしない気にしない。おねーさんにそこんとこは任せなさーい」


 そんなやり取りをもう日もすっかり暮れたころに、二人で下着姿のままベッドに入って騒いでた。やいのやいの言いながら、ベッドで暴れて。最初は間に入ってきたねこくんも、騒がしさに呆れたようにしばらくしたら出て行ってしまってる。


 けらけらと、そういって好きだのなんだの、気楽に言えるあこが少しだけ羨ましい。もう私は、そういった言葉にも悪い想い出がいっぱいついてしまったから、素直に口にも出せなくなってる。


 でも、聞いてる分には悪い気がしないけど。いちいち口に出すたびに、あこが照れるから余計だろうか。


 なんだか初めて誰かを想っていたことを想いだすようで、少し楽しい。


 ああ、いいな。このまま、こうやって、だらだらと話をして一か月後のえっちを楽しみに夢想するのも悪くない。


 そんなことを考えていた頃に、ふと想い出す。


 得てして、そういう甘くて幸せなだけの時間っていうのは、あんまり長続きしないものだったよね。







 ピンポーンと、インターホンが暗い部屋に鳴り響いた。






 え、と思わずあこを見るけれど、あこは黙って首を横に振るばかり。あこが何かネットで頼んだりしているわけではないみたい。私もそこらへんの覚えはない。


 ってなると、なんだろう新聞か宗教の勧誘か、なんか書留の郵便物でも来たんだろうか。


 仕方ないかって少しため息をつきながらベッドから出て、脱ぎ散らかした寝間着をとりあえずで羽織っていく。なんでかあこもいそいそと、服を着だしてるけど、あこは別に出ないからいらんでしょ。


 まあ、指摘するのも面倒なので、そのままはいはいと、続けて鳴らされるインターホンに返事をする。


 …………いや、新聞の勧誘とかこんなに熱心にインターホン押さなくない?


 ふとした疑念が嫌な予感に成り代わる。


 少し、足音をひそめてから、インターホンの呼び出しカメラをじっと見る。


 顔を伏せてる。誰だ、わからん。小柄で若い……女の人。いやほんとに誰だ、私の家に訪ねてくる人間に、心当たりなんてほんとに思いあたらない―――。


 なんて、そこまで考えて、嫌な予感にふと行きつく。


 あこも気づけば私の隣に、すっかり服を着た状態で、インターホンのカメラの向こうに映る姿を藪にらみしている。


 少し嫌な予感が残る指で、通話ボタンをそっと押した。


 『住良木さん? 斎藤です、急に休むから様子を見にきたんですけど』 


 どことなく、キンとした、怒りと余裕のなさがにじみ出る、私の苦手な声がした。


 眉間に皴が思わず寄っていくのを感じながら、そっとインターホンの通話を終了させる。うーん、まずい。とりあえず、あこは寝室にでも隠れててもらおうか……。


 「なぎさん、今の人、だれですか?」


 若干の焦りが滲む私をよそに、あこはどことなく警戒心を隠しもしない表情で尋ねてくる。


 うーん、これは、一体何と説明したものか。


 あー、とぼやいて、うー、と唸って、はー、と諦めてから、出来るだけ端的に今の状況をあこに教える。


 「会社の上司……とりあえず、あこは隠れてて……」


 そう言って、返事をあんまり待たないまま、あこを寝室に突っ込んだ。色々と説明している時間はないし、変に待たせると不審に思われるかもしれない。というか、なんで一日休んだくらいで、家まで突撃してきてんだ、あの主任。


 ため息交じりに廊下を早足で歩きながら、どうにか顔を仕事用のそれに戻す。


 若干の深呼吸をドアの前で挟んでから、私は意を決してドアをゆっくり明けた。


 暗闇の中、冬特有の冷たい空気が寝間着姿の私の身体を一気に冷やしていく。まあ、冷えの原因は実際の寒さだけじゃ、なさそうだけど。


 「こんばんは、住良木さん」


 つっけんどんな、冷えて尖った印象の挨拶が、ドアを開けた先には待っていた。どことなく不機嫌と怒りがにじみ出ているのを、隠そうともしない様子に思わず閉口しながら。私は、どうにか、その年下の上司に向かって、笑顔を向ける。


 「……こんばんは、主任すいません、今日は急に休んで……」


 声が震えそうになるのをどうにか抑えながら、そんな言葉を返してみる。ただこの人に、愛想笑いが通じた記憶は一切なくて、案の定今回も特にご機嫌は変わらない。


 というか、一体、何の用で来たんだろう。何にしても、正直、即刻帰ってもらいたい。自分の家まで、上司が来るなんて悪夢以外の何物でもないんだし。まして、今は家にあこがいるから、変なバレ方をするとそのまま私は一か月後のえっちなんて待つことなく豚箱行きだ。


 張り付いた笑顔のまま、頭の中で帰れー、帰れー、と念波を送ってみるけれど、当然届くはずもなく、主任はふんと鼻を鳴らした。


 「本っとうに、迷惑だから。急に休むなんて、常識ないの? 病欠ならちゃんと診断書貰って提出してから休みなさい。社則にも書いてあるでしょう、勝手に休まれたらみんなに迷惑だし、社会人として失格だから。しかも、そのうえこっちの話も聞かずに勝手に電話を切るわ。ほんとありえないですからね」


 わーお、怒ってる。いや知ってたけど、言葉以外のありとあらゆる情報で知ってたけれど怒ってるよ。勘弁してよ、そんなことわざわざ言うためにうちまできたのか。暇なのか。いや、うちの職場忙しいから、暇なはずはないんだわ。じゃあ、ほんとに何しに来たんだこの人。


 迫りくる正論パンチに、いや、そうですねー、すいませんほんとー、と効きもしない愛想笑いを振りまきながらいなしてみる。いなしきれてはいないから、私の心にはナイフがぐさぐさ刺さるわけだけど。まあ、日常こういうのは食らい続けてるから、慣れてるのが幸いかな。嫌な慣れだけどさ。


 でもまあ、それだけのお叱りなら、早々に終わるか。これもしばらく耐えてたらいいだけだから。


 なんて、その時は考えていたわけだけど。


 「こんなに寒いのに、いつまで外で喋らせる気。あなたも病気なんでしょう。さっさと中に入れなさい」


 うーん、まっずいね、これは。


 「それとも仮病か何かで、本当は身体はなんともないの? 休んだからには今日はきちんと安静にしていたんでしょう? 証拠も兼ねてさっさと部屋を見せなさい」


 いや、ほんっとにまずいな、これ。


 今日一日、寝ていたのは本当だけど、部屋の中にはあこもいる。入れること自体が、本当にまずい。


 「どうしたの? 入れられないの? 本当にまずいことでも隠してるんじゃないの?」


 ……………………いや、これ以上、疑われてることそのものがまずいのか。不審に思われて、そこからあこのことがバレるのが一番流れとしてはよくない……気がする。


 「…………どうぞ」


 あこは一応、寝室に隠れてくれているはずだし、寝室まで無理矢理見そうになったらさすがに止めればいいし。何より最悪、見舞いに来てくれた親戚の子ですで通せばいい。


 大丈夫、な、はず、きっと多分、メイビー。


 諦めて主任を部屋に入れてから扉を閉めた。あこは静かにしてくれているのか、部屋の中は静かなものだ。


 ああ、何もバレないといいのだけれど。


 そんなため息を主任に背中を向けながらこっそりついた。


 バスルームのドアの隙間からこっちを覗いたねこくんは私……というか、多分主任を見ると詰まらなさそうな顔をして、真っ暗な寝室の扉の隙間にするっと入っていった。


 ああ、私も出来るなら、そんな風に逃げ出したい。


 ただでさえ、生理で重い頭と身体を引きずりながら、そんなことを考えた。


 背後の主任は振り返らずともわかるくらいどこか不機嫌そうなオーラだけをただ延々と発し続けていた。

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