第20話

 凪



 ※



 いやあ、しかし、やっちまんたんだぜ。


 ちゃんと理性の制御はしてたつもりだったんだけどなあ、明らかに未成年の子の唇を奪っちゃった。そのうえ自慰してたことまで赤裸々に告白して。あげく手を出す宣言までしちゃったんだぜ。


 そろそろ豚箱にぶちこまれる際の言い訳が効かなくなってきた気がする。いや親元を離れた未成年を勝手に囲ってることが、そもそも世間一般では犯罪なんだけどさ。


 豚箱に突っ込まれるときはできれば麻井のやつも道連れにしたいけど、あいつはそこんとこさらっと綺麗に手を引きそうな嫌な信頼がある。


 さてさて、どうしようかなあなんて考えながら、濡れたあこの髪を乾かしていた。


 あれから、あこに少し落ち着いてもらって、二人して濡れた身体を拭いた後、今はリビングで下着姿のまま髪にドライヤーを当てている。いつの間にか姿を現したねこくんも、気付けば傍にすり寄ってきてる。たまにドライヤーを当ててやると、どことなく気持ちよさそうにも見える。


 さあ、こうして私がしゃばで生活できるのもあとどれだけか……。


 なんて、思考をするわりに、後悔は不思議と湧いてこない。


 あの局面、あの場所で、あこの叫びを無視する選択肢は私にはなかった。


 私の社会的立場とか倫理がどうのより、この子の心がぐちゃぐちゃのまま、寒空の下に放り出されることの方が私には看過できなかった。あこが晒し始めた告白に、思わずついノッちゃった部分は否定できないけれど。


 ま、そこんとこは、実はあこを囲い始めたあたりで、すでに覚悟が決まってたことではある。


 私の安い苦労で、何かと感じやすいあこの幸福が少しでも買えるなら、これほどお得な買い物もない。―――っていうのが、基本的な私のスタンスなので。


 もうちょっと、法に触れないやり方があるだろ……って私の中の冷静な部分が言ってくるのは、まあおっしゃる通りなわけだけど。私の安い脳みそでは、そんなうまい方法思いつかなかったのが悲しいところ。


 「ねえ、……なぎさん」


 「んー、どしたの、あこ」


 「16歳越えたら、し……真剣な交際の末のえっ……こ、行為は、法に触れないみたいです!」


 そういってあこは、どこぞの法律のまとめサイトが表示されたスマホを私に見せてきた。ドライヤー当てられながら、なに真剣に調べてるのかと想ったら。一応、私の良心の呵責を慮ってくれたみたいだ。


 「なーる、ちなみにあこちゃん、今、何歳?」


 「15です。た、誕生日ももうすぐ!!」


 そういったあこの顔は少しばかり紅いけど、なんだか興奮してるみたい。それにしても……15か、勝手に17くらいだと想ってたな。見た目が妖艶で成熟してるから、勝手に誤解してたけど、私が思ってる以上に子どもじゃんね。今年で16だったら、学校に通ってたら高一か……。


 「……ちなみにあこちゃん、誕生日まであとどれくらい?」


 「来月です! 来月の27日!」


 真っ赤なあこちゃんは元気に返事をして返してくれる。


 あと、ほぼひと月半くらいしかないじゃんね。


 そっか、私あとひと月ちょっとしたら、高一の女の子を抱くことになるのかぁ……。


 あらためて認識すると、大丈夫か? って感じが半端じゃない。こう、あこにとって頼る選択肢がほぼ私しかない状態で出会っちゃったもんなあ。自然と、そういった相手も私しか選択肢がないってことになる


 うーん、やっぱ私でよかったのか?


 「…………なぎさん?」


 私のことを振り返ったあこが、少しだけ心配そうな顔をしてた。


 …………いや、心配かけてる場合じゃないな、自分で言いだしたことなんだから。


 「んー、大丈夫。大丈夫だよ、あこ」


 ま、自分の言葉くらい、自分で責任をとらなきゃいけない。なにせ腐っても大人、なんだから。


 私に反面教師をたっぷり見せてくれた大人たちの姿を無駄にしないためにも、頼りない背中をこの子に見せるわけにはいかない。


 そう、あんな大人にはならないと、いつだったかに決めたじゃないか。


 正しさとか、当たり前とか、常識とか、そういうもののために誰かの心を犠牲にするような、そんな大人には―――。


 ああ、いつかの光景が瞼の裏にへばりつく。いつかの情動が心臓の内側にまとわりつく。



 「なぎさん」



 息が少しだけ、荒れる。心臓が少しだけ逸ってく。今じゃない、いつかの情景が頭の中で―――。



 「なーぎさん!」



 …………あれ?


 ちょっと、ぼーっとしてただろうか。ふと気づくと、あこの顔が鼻先が当たりそうなほど近くに寄っていた。思わずたじろぎそうな私に、あこの瞳はひるむことなく、まっすぐと視線を向けてくる。


 「……ごめん、ちょっとボーっとしてた」


 慌ててそう誤魔化すけど、あこの顔はどこか不機嫌そうに膨れたままだ。そのままあこは少しだけ俯くと、ぽつりぽつりと呟くように言葉を漏らした。


 「やっぱり、私とえっちするの……いやですか?」


 そうやって漏れた言葉は、あまりにも意気が落ちていた。あ、しまった。らしくないミスをやらかした気がする、心配が顔に出てたかな。


 慌てて言葉を紡ごうとしたら、あこの手がすっと伸びてきて、私の口が開くのを止めてきた。


 「知ってます、なぎさんが優しいのも。色々と考えてくれてるのも、でないとこんな変な子ども拾って世話をして、ここまでよくしてなんてくれません」


 そうやって言葉を紡いでいる間も、あこはじっと私のことを見つめてた。


 「でも……、だからなぎさんがしんどいこと黙っちゃうのも知ってます。今日の生理のことみたいに。……でも、それは嫌です。だから……教えてください。本当に嫌だったらいってください。さっきまでのことは、私が取り乱して無茶苦茶言ってたのが悪いんですから。その、なぎさんが本当は嫌なのに、……しようとするのはやっぱり違うと想います」


 そういった、あこの瞳はじわじわと滲んでいて、気丈に言葉を発してはいるけれど、どことなく不安そうに身体が震えてる。でも、それでも必死に言葉を紡いでくれたのもよくわかった。


 …………やれやれ、しっかりとした大人ってのには、どうもまだなれてないみたい。ま、そもそも自称悪い大人なんだから、当たり前かそんなこと。


 優しく誤魔化すことはできるけど、きっと、今はそれを望まれてはいないんだろうなと、そう想った。


 というか、大人とか子どもとか拘り過ぎていたのかも。


 いい見本にならなくちゃとか、守ってあげなくちゃとか、色々とらしくもないことを考えすぎていたのかもしんない。


 我ながら、教えられてばかりだね、なんてそう想う。そのまま、下着姿だけど、ぎゅっとあこを抱きしめる。あこの温かくて柔らかい身体が、私の細くて冷たい身体にぎゅっと当たる。びくってあこの身体が震えるけれど、そのままゆっくり抱きしめ続けた。


 そうして、あこの身体のこわばりが溶けだしたころにゆっくりと口を平井あt。


 「嫌じゃない。嫌じゃないよ。ただ、あこにとって頼れる人間が私だけなのに、こんな約束してよかったのかなって、ちょっと心配になっただけ。ほら、さっきも言ってたけど、あこってまだ15歳なんだよなあとか、色々考えちゃって」


 不安を口にすることは少し恥ずかしさと怖さがある。


 年下の子相手でもそれは同じだ。私が私のありのままでいることに、あんまり自信がないからだろうねえ。


 情けないって想われたら、どうしよう。


 たかがそんなことでって想われたら、どうしよう。


 言ってたことと違うじゃんって想われたら、どうしよう。


 やっぱり子どもに手を出す最低な奴だって想われたら、どうしよう。


 そして何より、あこの自由を、選択を、これからの未来を歪めてしまったら、どうしようって。


 そんな不安は山ほどある。大人だから別に不安がなくなるわけでもないし。


 抱きしめたあこは私の耳元で、ずびずびと鼻水をすすってる。やれやれやっぱり泣き虫だね、あこは。開いた口から漏れる言葉も、涙に濁って濡れていた。


 それを聞くと、なんでか私は仕方ないなあって、笑えてしまう。


 やれやれ、お互いにまだまだ成長が足りませんね、あこちゃんや。


 いや、こういうのは伸びしろがあるとか言うんだっけ。



 「私とえっちしたいなんて、気を遣っていっていませんか?」



 「言ってない、ほんとは今すぐ、すごくしたい」



 出会ってた時から想ってたのはさすがに内緒なんだけれどね。



 「夜、自分でしてるのだって、私に合わせた嘘じゃないですか?」



 「噓じゃないよ。実証するのは、その、はずかしいけどね。ほんとにしてる」



 ほぼ安眠剤みたいなものだから、ないと眠れなかったりするともまだ言えない。



 「私、ほんとに、ほんとになぎさんに好きでいて、もらえてますか? 迷惑かけてばっかりなのに。お世話になることしか出来てないのに」



 「大丈夫、ちゃんと好きだよ。多分、あこが想ってる百倍好き」


 

 これくらいなら、言えるかな。ほんとのことも。

 


 身体を少し離して、涙にぬれた唇にそっと私の唇を軽く合わせた。



 舌を挿れそうになるのは、相変わらずまだ我慢だけれど。ちゃんと私の好意がわかるように、唇を出来るだけ優しく重ねて、そのまま数秒を目を閉じる。


 

 名残惜しいままに、顔を離すと涙で濡れた顔が、相変わらず私をまっすぐ見つめてた。



 「ねえ、なぎさん」



 「なあに、あこ」



 「あと一か月したら、私ちゃんと大人です。ちゃんと自分の意思で決めれます」



 「うん……そうだね」



 ああ、なるほど。さっきのは、そういう確認だったんだ。


 そもそも私達はこの関係そのものが法律に反してる。それなのに、あえて法律がどうとか、なんで今更気にしだしたのかと想ったら。


 あこなりに模索してくれたのかな。ちゃんと私と、大人と子どもじゃなくて、一人の人間として向き合える理由を。


 もちろん、たった一か月であこの幼い部分がなくなるわけでもないし。もちろん法的な成人はまだなわけだし。仮に大人になれたとしても、何をもって大人は大人になれるのか、私もまだ知らないけれど。



 それでも、あこなりに私と一緒に、対等になれる理由を考えてくれたんだ。



 「私、いっぱい人がいても、きっとなぎさんを選びます。なぎさんだからいいんです。選ばされたわけじゃなくて、それしかなかったから、選んだんじゃなくて。なぎさんがいいから、なぎさんにしてほしいから―――」



 「うん、ありがと。あこ―――」



 きっと私たちはどこかの誰かに見られたら、褒められた関係じゃ、きっとない。



 お互いに依存もあるし、情欲もある、選択肢が少なすぎて、選べてないこともきっとある。



 「ねえ、なぎさん、私は私です。可哀そうな子どもじゃないです。ちゃんとなぎさんの隣にいる、私です、だから―――」



 「うん……あこはあこだね」



 それでもあこは、きっと、一人の人間として、私に扱って欲しかったんだ。



 憐れに想った大人でも、拾われた可哀そうな子どもでもなくて。



 私と、あこと。



 ただそれだけになりたかったんだ。



 そりゃそうだよね。



 人と人が向き合うって、そういうこと。



 人と人が好き合うって、そういうこと。



 今更、本当に今更なんだけど。



 そんなことを、教えてもらった。



 自分よりはるかに年下の泣き虫の女の子に、そんなことを教えてもらった。



 なにせまだまだ未熟ゆえ、伸びしろはありますから。



 だから、私もまだまだ未熟だけれど。



 それでもいいかと、そう想えた。



 あこも泣いてばかりだけど。



 それでいいかと、そう想えた。



 ねこくんもとなりでなあなあ、鳴いていた。



 ねこくんもきっとそれでいいさと笑ってる、そんな気がなんとなくしてたんだ。








 ※





 「ねえ、あこ。今日は二人で寝よっか」



 「あ、えと、はい。あの……どうして?」



 「んー、半分はそうしたくなったから。シンプルに私が、あこと一緒に寝たかったから。……嫌?」



 「い、嫌じゃないです! 私も、その、一緒に寝たいです!」



 「あと、寝るときは、出来たら、お互い下着姿で寝よっか」



 「ふぇ……? ふぇええええ??!! な、なんで?!」



 「…………だって、あこ。まだ裸で触れ合うの怖いでしょ?」



 「え、と、あの、はい。少し……」



 「だからさあ、慣らしだよ。一か月後、お互い裸になって抱き合うんだから、その慣らし、必要でしょ?」



 「え、あ、は、はい。あの……自分で言っといて何なんですけど、ほんとに一か月後にする……でいいんでしょうか、なぎさん……。私が勝手に決めちゃったような気も……」



 「ん、いいよ? 27日の夜ね、しちゃうから。もう今更嫌とか言っても、やめないからね?」



 「は……はひ」



 「うーむ、先が決まるとワクワクしてくるねぇ。とりあえず、このまま今日はお昼寝だー」



 「え、そのお昼寝ということは……?」



 「ほら、おいで。一緒に平日昼の甘い惰眠を貪ろうぜい?」



 「は、は、はい!」



 



 うん、あと一か月、なんだか楽しみになってきた。



 にへへと笑う私をよそにあこは真っ赤な顔で、あわあわと何か考えているみたいだ。



 狭いベッドの中、二人で下着姿のまま身を寄せ合いながら、ゆっくりと眼を閉じる。



 隣にある息遣いと柔らかい温もりのせいか、不思議と今日はそのまま穏やかに眠れそうだ。



 いやあ、ほんと楽しみだね。一か月後が。



 そんなことを考えながら、眼を閉じた。あこと二人、ベッドの中で。



 あ、一匹ベッドに潜り込んできた。まあ、仕方ない許してあげよう、なにせ君もあったかいからねえ。



 そんな普段は感じないぬくもりのなか、ゆっくりと眼を閉じた。



 不思議といい夢を見れそうな、そんなある冬の午後も暮れのことだった。

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