第22話

早紀



 どうしてこう、私ばっかり上手くいかないんだろう。


 新卒で入った会社で、入社数年間はバリバリに働いた。営業の成績だって残したし、大手へのプレゼンだってばっちりこなして契約をもぎ取ったことだってある。先輩が失敗した営業先に乗り込んで、私だけが契約を取れたことだってあった。


 バカばっかりで気に入らない会社の偉い役にも頭を下げ続けてきたし、セクハラ親父の専務の気持ち悪い言動にも目をつむりながら耐えてきた。本当に嫌だったけど、必要ならなんだってやってきた。


 おかげで昇進も出来た、同期の中では数少ないの出世コースにものれていた。


 私より年上の人たちの誰より、仕事をできる自覚があるし、実績もある。


 半端なことを言う奴は、全員結果で黙らせてきたし、私が正しいと思ったことはなんだって実際にやってみせて道理を通して見せてきた。


 だから、私は何も間違えていない、ずっと自分ができる最良の道を選んできた……きたはずなのに。


 二年前の春から異動が決まったのは、閑職で名高い総務の一部門。管理職……という名目であてがわれたのは、都合のいい主任という使いっぱしりの名前だけ。しかも部下としてあてがわれたのは、誰も彼も向上心の欠片もない万年平の社員ばかり。


 こんなの違う、私はもっと営業で、もっと活躍できる場所なら、結果と成績を残せていたはずなのに。


 私のことを妬んだり、疎ましく思った老害たちが、私をこんな場所に飛ばしたんだ。でなきゃ、おかしい、こんなこと間違ってる。


 だって、私、ずっと頑張ってここまで来たのに。


 だって、私、他の人よりずっと苦しい想いをしてここまで来たのに。


 なのに、なんで、どうして。こんな酷いこと、私ばっかりに。


 営業でバリバリやってたころに比べて、みんな仕事への意欲が低いから、私が色々口を突っ込むたびに微妙な抵抗を感じてる。どこか疎ましそうに私を見てるのも知っている。


 でも、もっと成果を出さなきゃ。もっといいシステムを作って、もっと成果を出して、もっと他に認められれば、きっと、また結果を出せる場所に異動ができる。


 そう想って頑張ってた。そう想って苦しいけれど、主任の仕事を周りに文句をつけられながらでもやり続けた。


 私は絶対、間違ってない。だから絶対、折れてやらない。


 そう想って頑張ってた。頑張っていたっていうのに。



 「主任は、もうちょっと、肩の力抜いたらどうですか?」



 その年の忘年会の隅っこの席で、そんな風に声をかけられた。


 声をかけてきたのは、私の部下……っていっても、二つ年上の先輩にあたる女性。


 いっつも、缶コーヒーとコーラばかり飲んでいて、喫煙所で年配の社員とだべりつくしてる。それで案の定いつも体調が悪そうな、尊敬要素ゼロの先輩。


 身体ががりっがりで、私より背は高い癖に健康診断で体重は低かったらしい。それを聞いたときは体調管理ができてないって、思わず素のままに苦言を呈してしまったけど。


 「でも私が気を張ってないと、この部署回らないじゃないですか、この前だって―――」


 お互い、手にはジョッキを持っていて、飲みたくもないビールをすすりながら、そんな言葉を私は漏らした。今想うと、こうやって愚痴を漏らしている時点で、大分酔ってたんだと想うけど。


 「いやあ、あんときは助かりました。主任が気づいてくれたから、発注ミスになっらなかったし、社内イベントもちゃんとまわったし。でもまあ、正味心配ではありますよ、異動してからずっと働きっぱなしでしょ。なんか鬼気迫るっていうか……」


 その言葉に、思わず私はカッとなって、思いついた悪態をそのまま吐いた。今想うと、本当に酔っていたんだ。かかるストレスも尋常じゃなかったし。


 「そんなの、私がちゃんとしないといけないから、仕方ないじゃないですか。この部署はシステムは滅茶苦茶だし、非効率的なこと山程やってるし、みんなタバコ休憩って言って働いてない時間ばっかりだし」


 「あはは……それは、まあ」


 「だから、私が頑張らないとどうにもならないんです。大体、そんなこと言うんなら、住良木さんもちゃんとしてください。……だいいち、なんでいつも私ばっかり、貧乏くじ引いて――」


 「…………ははは、主任?」


 「なんで、なんで、なんで。何で私ばっかり、こんな……。本当はこんなとこ来たくなかったのに、もっと営業で結果出したかったのに、ああ、うるさいあの専務のせいだ。あの人が、私のこといっつも色目使って、その癖考えが前時代的だから、女の昇進を邪魔してて……」


 「……酔ってるなあ、これ」


 漏れ出るままに言葉を漏らして、あげくには泣き出して、忘年会なのにみっともない。結局その日は、そのまま酒を煽り続けて、吐くほどに酔いつぶれてしまったんだった。


 そうして、その夜はダメ先輩こと住良木さんにおぶられて、帰り道を歩いて帰った。


 「なんへ、わたしばっかり……」


 「いやあ、想ってたより闇が深いなこの子……」


 「こどもあふかい、しないでください」


 そうして酔っぱらった帰り道で、ふとたまたま聞いてしまった噂話を想い出して、酔っていたから考えもせずに口に出してしまっていた。


 「ふにぇらぎせんぱいは―――」


 「主任ちゃーん? ろれつ回ってないよー?」


 「すめらぎ、せんぱいは、女の子をおそうと聞きました」


 「ぶっ!!??」


 あれは、確かそう、喫煙所にだべりにいっている部署員を注意しに行ったとき。


 たまたま聞いてしまった、ひどく個人的な話。言われていた住良木先輩も苦笑いをしていた、そんな話。根も葉もないって思っていたけど、なんでかその時から気になって忘れられていなかった。


 それもなんでその時想い出したんだっけ、人におぶられて帰られるのなんて、初めてだったからだろうか。それとも、そんな愚痴をこぼしたことすら、初めてだったからだろうか。


 「女性もイけると、だから女子の送りをすめらぎ先輩に任せるのは危ないと」


 「まあ…………うん、否定はしないけど。さすがに酔っぱらってる子を襲ったりはしませんよ。それに私にも好みはあるし、だれかれ構わず襲いません」


 「つまり、私がこのみじゃないと」


 「そこはまあ……うん、ノーコメントで」


 「それは肯定とおんなじです。ふーん、どうせ私は恋人の一人もできたことのない、根暗女ですよ。仕事ばっかりでこれからも枯れた人生をおくるんです」


 「いよいよ、ひねてきたな……」


 それは本当にそうだと想う。


 私は昔からずっと、ひねくれ者だったから。


 みんなに疎ましく思われて、否定されて、認められないのが当たり前、だったから。だからこんなに根性がひん曲がってしまったんだろう。


 「もう、いいです。どうせ私はこれから、窓際族で、会社にも居場所はなくて、裏で影口言われて、生きる価値もなく、趣味もなく、最後は独り身のばばあになって孤独死するんです。もー、ほっといてくださーい」


 「どうどう、ほら、家まであとどんくらい? てか、最寄りどこだっけ」


 「うちは、もう終電終わってます。帰る場所なんてありませーん、帰っても誰もいません、もー、こどくしするしかないんですー」


 「おおう……ネカフェにでも突っ込もうか……? いや、この状態でおいてって大丈夫か……? うちに連れてくのは……うーん、いらん噂立つかな……」


 多分、その後の話の流れを作ってしまったのが、私の最大の過ちだったと、今になってしまえば、そう想う。


 「じゃあ、すめらぎ先輩の家にしてください」


 「……えー。いや、まあ仕方ないか。わかったよ。私んちまで、もうちょっとだから吐くんじゃないよ」


 そうやって、年上の部下に背負われて、酔っぱらってなんでか気が大きくなっていた。


 「で、わたしがすめらぎせんぱいを抱きます、ストレス発散もかねて」


 「はいはい、そうだね…………いや、何言ってんの?」


 今想うと、ほんとに自分でも何言ってんだとそう想うけど。その時の私は、なんというか、当たり前にどうかしてたんだろう。


 全部のストレスのせいにしたい、したいけれどストレスのせいでも、酒のせいでもしていいことと悪いことはある。あるんだけどなあ……。


 「だって、もー、それくらいしかないじゃないすかあ、多分、私、今日くらいしか、誰かとそういう性的な関係になれないですもん。無理ですー、だから今日するしかないんですー」


 「滅茶苦茶言うな、この子。はいはい、そうね、お互い寝落ちしなかったらしましょーねー」


 「あー、げんちとりましたー、いえー、初性体験ー」


 「思ってたより、ファンキーだねえ、主任。……色々と溜まってる弊害かなあ……?」


 そんなことを口にしていた時の心情は、ハッキリ言ってしまえば、酔いと勢いに任せた、ただのやけっぱちだった。本当にそんなことになるなんて想ってもなくて、仮にそんなことになったとしても、このだらしない先輩に私をどうこうできるとは到底想えなかったし。


 むしろ、私の方が泣かせてやるなんて、呆けた頭でふざけたことを考えていたんだろうか。


 我ながら、普通にセクハラだし。パワハラだし。ろくでもない。でもそれくらいに、その時の私は鬱憤というか、ストレスがたまりにたまりきっていて。


 だらしない先輩をいいように扱っているという、安っぽい高揚感にのせられてたんだと、そう想う。


 つまり、まあ、酔っぱらいが勝手に独りで、気分良く盛り上がっていたってわけ。


 そうして住良木さんの部屋にあがりこんで、そのまま酔っぱらって管を巻いて、意味わかんないくらいに盛り上がって。


 盛り上がって。



 盛り上がって。




 盛り上がった、その果てに。







 「じゃあ、もう会社の立場とか関係ないから。そうね―――子どもみたいに啼かせてあげる―――」







 ―――本当に赤子のように啼かされた。








 この日を境に、私の中の、絶対に蓋を開けてはいけない何かが、無理矢理に目覚めさせられた。








 目覚めさせ―――られてしまった。







 本当にどうしようもなくて、取り返しようのない一日だった―――。





 でも―――これから一生、絶対に忘れられない―――そんな過ちを犯してしまったそんな夜でもあった。


















 ※


 



 凪





 ※



  仕事を休んだら、上司が家にとつってきた。


 どういう悪夢だ。しかも、あこが部屋にいることがバレると色々まずい。


 「有休を使う場合は、基本事前申請です。体調不良が理由だとしても、相談の末、使用するのが当たり前。あんなふうに、一方的に言い切って休むなんて、ありえません、わかってますか? 第一、体調不良だって、住良木さんの普段の生活習慣が原因なとこもあるんじゃないですか? 少しは健康に気を遣った方がいいともいますよ。そう何度も休まれてはこっちとしても迷惑ですから」


 降りかかる正論とお叱りの言葉を、愛想笑いで流しながら、早く帰ってくんないかなと願うばかりだけど。一向に正論は止みそうにない。ため息がでそうになるのを悟られないように、顔をうつ向けながらどうしたもんかなと苦笑い。


 「聞いてますか?」


 「はい……、聞いてますよ」


 と、返事を仕掛けたときに、ふと違和感を感じた。


 なんだろ、言葉にはできないけど何かおかしな部分が、脳の裏にこびりつくような感じがしてる。


 ただそんな私の懸念をよそに、主任は言葉を畳みかけてくる。


 「それと―――今日、休みの連絡入れてきたの誰ですか? 勝手に名乗りもせずに連絡だけしてきて、こっちのいうことも聞きもしないし。扶養や同居家族に関して、何も報告を受けてませんけど」


 「ああ、えっと、最近遊びに来てくれてた親戚の子で―――」


 誤魔化しながら、きぃと少しドアが開く音がして、なんだとそっちに目を向けたらドアの隅からあことねこくんがこっちを見ていた。おいおい、幸い主任は気づいてないけどさあ、気になって覗きに来ちゃったよあの子たち。


 まあ、これで親戚の子として通せるならそれに越したことはないか。そうすれば、これ以上深く突っ込まれることもないだろうし―――。



 なんて、考えていたんだけれど。



 「たしか住良木さんって、一人っ子ですよね。親戚づきあいに乏しいとも聞いていましたが、あれ、どういう関係の子なんですか?」



 ………………ん?



 「若い―――若い女の声でした。私の知らない、女の声。ねえ、住良木さん、あれって?」



 また、違和感。あれ、会社の上司が普通そこまで食い下がる?



 「そもそも前休んだ時もなにかおかしかったです。次の日、普通に元気そうだったし。電話の声もそこまで切羽詰まったものじゃなかったですし。それにあの時も、電話口の後ろの方で、女の声がしてましたよね―――?」



 ん? あれ、そういえば主任、なんか顔、赤くない?



 「ねえ、住良木さん―――」



 主任がゆっくり身を乗り出してくる、なんでか自分のネクタイにそっと指を掛けながら、ゆっくり解いて胸元を開けるみたいに。彼女の息が浅く、小さく荒れていることに今更ようやく気が付いた。



 「あの電話の女、誰ですか―――?」



 そうやって机から身を乗り出すようにこちらに迫ってくる主任の眼は、どこか、蕩けるような、焦点が定まらない眼をしてた。まるで、まるでそう何かに酔っているような。


 

 「私に黙って、どこの女と一緒に暮らしてるんですか―――?」



 そんな彼女の身体から、少しだけ



 「なんで――私のこと――――」



 甘い……香り? あれ、これって、どこかで嗅いだことのあるような―――?



 「あ―――」




 『発作』だ。




 そう、思った時には、もう何もかもが遅かった。




 私が抗う暇すらないままに、不意に視界が覆い隠された。

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