第34話
凪
※
『身体は繋がっても、心まで繋がるわけじゃないよ』
そんなことを言われたのは、いったいいつの頃だっけ。
誰と交わった時だっけ。
痛みと快楽とその狭間で、もう随分とノイズが走ってあやふやになった記憶を想い返しながら、私はぼんやりと考える。
じゃあ、身体を繋げる意味って、なんなのかな。
ぼんやりと夜空を見上げて、歩きながら電子タバコの白い煙をその暗い空に向かって浮かべていた。
今日は、私とあこが初めて、この身体を交える夜だった。
※
ていってもまあ、私としては慣れたものでしかない。
初夜で恥じらった記憶はもう十数年も前のことだし、そんな恥じらいを感じ入るにはこの身体はもう悪いことを色々と覚えすぎている。
でも、まともな行為は一年とちょっとぶりくらいだから、勘を想い出せるかが少しだけ不安ではあるけれど、まあ多分、大丈夫だろ。なにせ私、セックスはそこそこ上手いらしいから。
今までセックスでイケなかったって人を、私との行為で初めてイカせたことも何回かあるし、それまで快楽をあまり知らなかった人を半分快楽漬けにしてきたこともある。そういう方面の適性は意外とあったらしい。
コツなんて、口にするほどのこともない。
ただ相手が望むようにやるだけだ。
優しくしてほしいなら、優しく。
激しくしてほしいなら、激しく。
喘いでほしいなら、喘ぐし。
虐めてほしいなら、虐める。
言葉にして言ってくる人もいるし、態度で言外に伝えてくる人もいる。
どちらにせよ、それを読み取って、それに応える。
ただ、それだけ。
私のこうしたいより、相手のこうしたい、をほんの少し上位に置く。
それだけで相手は、今まで感じたことのないような満足感を、感じてくれるらしい。私自身の感覚は大分鈍いから、随分とお得な話だ。
じゃあ、その例に載って考えるなら、あこは、私にどうして欲しいと想ってるんだろう。
優しくして……ほしいかな、それはありそう。
激しくは……、今はまだかな、いずれしてもいいかもだけど。
喘ぐのはよく、わかんない。私の喘ぎなんて聞いて楽しいか? と未だに思ってしまうくらい。
虐めては……うーん、正直、わからん。心の傷の加減次第かな、適性自体はありそうだけど。
そんなことを考えながら、独りシャワーを浴びていた。
初めての子が相手だし、身体はできるだけ清潔に。
胸から、性器、足先から、髪に至るまで。
できるだけ丁寧に時間をかけて、泡で全身をなぞるみたいに洗ってく。
あこの経験上、性的なものにどうしても嫌悪を抱いてしまってる子だから、できるだけ私の身体からそういう痕跡は削ぎ落す。
臭いとか、ムダ毛とか、汚れとか。相手によっては興奮材料になったりもするけれど、今回は多分違うんじゃないかな。できるだけ綺麗に、清潔に。
まあ、改めて見た自分の身体が随分と貧相で、ピアスの跡や傷跡もいくつかあって、綺麗とは程遠いものだけど、まあそこはご愛敬ということで。
そうして、できるだけのことをしたら、そっと身体を拭いて、軽く髪を乾かしてからもう一度下着だけつけて風呂場を出た。
火照ったまま下着姿で廊下をそっと歩いていくと、ふっとねこくんとすれ違う。どうやら居間にでも行くみたい。お気遣い心痛みいるよ。軽く手を振ったら、なあと返事が返ってきた。
そんなこんなで、私は寝室のドアをばーんと開けた。緊張をほぐすため、いつも通り、何気なく。
「あがりー」
「ふぃっ!?」
すると、既にシャワーを浴び終わっていたあこは、びくっと身体を震わせると、おずおずと私の方を窺ってくる。なんか布団にくるまって、ベッドの上でヤドカリみたいになってるんだけど。そんな姿に思わず微笑んでから、私はゆっくりとヤドカリの隣に腰を下ろした。
「どしたの、あこ、ヤドカリみたいになっちゃって」
そうやって笑いかけると、あこは戸惑ったように私から視線を逸らすと、おろおろと返事をしてくる。まあ、布団の隙間からでもわかるくらいに、顔は赤いわけだけど。
「そ、その、やっぱり緊張してるというか……、やっぱりしていいのかなって不安になってくるというか」
さあ、このあこはどう考えているだろう。
私にどうして、欲しいんだろう。
「じゃあ、しない?」
そうやっていたずらっぽく笑いかけたら、真っ赤な顔がさらに焼けたみたいに赤くなる。
「し、……します! します!」
「ふふ、だよねえ」
からかって笑ったら、あこの頭はしぶしぶと言った感じで布団からぽんと出てきた。私のその頭に手を乗せて、よしよしと撫でてみる。子ども扱いが少し気に障ったのか、あこの顔は真っ赤なまま口をすぼめてちょっと不機嫌そう。
このまま可愛い顔を堪能するのも悪くないけど、多分、これはあこの望んでることじゃない。
だから、そう。
「じゃ、しよっか?」
脈絡もなく、躊躇いもなく、そう言って笑いかけた。
あこは少しの間、言葉に詰まったように口を震わせていたけれど、やがて小さく消え入るような声で「……はい」とだけ返事をして、そっと布団の中から這い出てくる。
そうして、中から出てきたあこは、もうこの一か月ですっかり見慣れた下着姿……ってわけでもなかった。
私の記憶違いじゃなければ、この子はいっつもコンビニで買ったような簡素な下着ばかりつけていた気がする。割と出るとこ出てる体形をしてるのに、そんな簡素な下着で大丈夫なのかなって、いつも想ってたわけだけど。
でも、今日着けているのは、レースが織り込まれてぴったりとあこの胸にフィットしていると、綺麗な下着。色合いも淡いピンク色で、上下もばっちり。あらあら、何時の間にこんな気合の入れたもの用意してきたのやら。
「似合ってる、かわいいよ、あこ」
そっと後ろから抱きしめるみたいにお腹に手を回しながら、顔をあこの耳に寄せてそっと語り掛ける。お腹に私の指がそっと触れた時、あこの身体がびくっと揺れた。感じてるっていうより、まだ触れられることに慣れてない、そこの怖さを払拭できてない感じかな。
「はい……」
案の定、返事もまだ少し元気というか、活力が薄い感じがする。恐怖もそうだけど、緊張がまだ身体のあちこちにこもってる。少しなぞった身体はどこも固くて、まず、この強張った身体をどうにかしてあげないといけないかな。
そのために、ゆっくりと脇のあたりの指に力を籠める。脂肪の柔らかさが、そっと指にかかってから段々とその奥にある強張った筋肉に指の抵抗が触れてくる。
「ひゃぃ……」
その感触がこそばかったのか、あこの身体が少しだけビクンと跳ねた。私はそっと笑みをこぼして、それをあこの耳元で意図的に聞かせつつ、ゆっくりとピアノでも弾くみたいにあこの身体の表面で指を遊ばせる。
「ちょっとずつでいいから力抜いて、そう、いいよ、かわいいよ、あこ」
肩、二の腕、腕の先、手のひらを伝って、指にまで。指先を撫でながら、お互いの手を絡ませる。そうやってしばらく手の平のさらさらとした感触を楽しんだら、指先から肩の所まで優しく撫でながら、私の指を戻していく。
それから、空いた方の手で、ぺたんと女の子すわりになっている足に手を伸ばす。お尻とか、敏感な部分はまだ触れないで、太ももの外側から、なぞるように、膝の頭、ふくらはぎ、足首のちっちゃなでっぱりで円を描いて、足先にも絡めるみたいに指を合わせる。
こそばゆくはないように、でも決して痛くなったり、皮膚が擦れたりしないように、優しく優しく撫でていく。
初めての子が、その緊張を解すのには、人にもよるけど結構な時間がかかるものだ。
一時間、二時間とか割とざらだし。それ以上かかる子や、そもそも日をまたいで何日もかかる子も平気でいる。
なにせ、それは深海に沈んでいる貝の殻をそっと優しくゆっくりと、時間をかけて開いていくような、そんな作業だ。焦りすぎれば貝の殻はあっという間に閉じてしまうし、時間はともすれば果てないほどにかかってしまう。
それでも、優しく優しく、解きほぐすようにその殻を開いていく。
ゆっくりと力を籠めていることにすら気づかせないほどに、静かに静かにそのこわばりを解していく。
そうしてふとした瞬間に殻は開く。まるでそうされるのを、どこかで待っていたかのように。
そうして長い間、待った分だけ、そこには輝かしいほどの真珠のような―――蕩けるような快楽が眠っている。
経験則で言えば、開くのに時間がかかればかかるほど、開いた後の快楽に溺れる子は多かった。
まあ、そういう意味では、あこはもう随分と時間をかけて解している部分もある。
なにせ一か月、まるっと一か月、ほぼ裸で抱き合って夜を過ごしてきた。
やってて途中で想ったけど、ちょっとしたポリネシアンセックスみたいなものなんだよね、これ。段階的に身体を慣れさせて、性行為の準備を無意識化で整える。
まああの時は、ここまで解きほぐす意図で触っては来なかったけれど、それでも今、私の指や手のひらに、あこは想っていたよりも、ずっとすんなりと身体の緊張を緩めていってる。
…………これは、想ったより時間はかかんないかもしれないね。
正直、今日は上手くいかなくて、数週間かかるとか、普通に覚悟はしてたんだけど。
どうにも、そうはならないみたい。
そうやって二十分くらい、あこの全身を解すためだけに、優しく溶かすように触り続けた。
その間も時折、「かわいい」「きれい」と耳元で心を溶かすように言葉を囁き続けながら、あこを後ろからずっと抱きしめる。
あこはその間、基本されるがままだったけど、時折吐息が熱くなったり、私の指にびくっと身体を震わせて、少しずつ兆候が表れ始める。
しばらくそうして、敏感な部分には意図的に触れずに、愛撫を続ける。指先とか、足とか、お腹とか、触れられても大丈夫な部分だけを優しく触れ続けた。焦らない、ゆっくり。ゆっくり。開きかけの殻ほど、尚のこと慎重に。
そうやって触れ続けていたある時に、あこはこっちをゆっくりと、振り返った。
振り返ったその瞳は、赤く、どこか蕩けたように滲んでいて。
それから、私に囁くように、そっと口を開いた。
「もう……
その返事に私はゆっくり頷いて、優しく指同士を絡ませてから、そっとあこの唇を私の唇で蓋をした。隙間などないように、この子から漏れ出る何一つが私の中以外に零れないように。
当然、そうすればあこの体液が私の中に入ってきて、発作を引き起こすリスクはあるけれど。
まあ、そんなの今更何でしょう。というかとうに、発作なんておこっているようなものだしね。
その唇をなぞるように舐ってから、私の舌を這わせるようにあこの口の中に差し入れる。すると、それに応えるみたいに、あこも私に舌を差し出してきたから、熱く濡れたそれを二人して抱き合いながら、お互いの唇の境界で絡ませる。
濡れた音がする。唾液特有の温かく、どこか甘い味と匂いが私の五感を埋め尽くしていく。
そうして抱き合いながら、できるだけ何気ない風を装って、私はあこのブラジャーのホックをそっと外した。あこがわざわざ準備したであろう、その可愛らしい下着がはらりと彼女の胸からはだけて落ちる。
そうして、ようやく晒される。
彼女の生まれたままの姿、露になったそのままの肌。
生きてきて限られた人にしか見せることのない、その場所を。
見るのはいつか風呂場であこの慟哭を聞いた、その時以来かな。
あこの胸が私の前に無防備に露になる。
そうしている間にも、あこの身体は弱く静かに震えている。こうしている間にも、きっと、あこの中には今、痛くて辛くて悍ましい記憶達が、所狭しと渦巻いているのかな。
その疵を今すぐ消してあげることは、私にはできなくて。その疵がそんな簡単に消してしまえないことを、私は誰より知っていて。
でも、その疵をただ、今、この瞬間だけは、塗りつぶしてあげる方法を知っているから。
あこの震える耳をそっと優しく撫でながら、その唇に重ねるように口づけをする。
ただ、震えるあこの身体は確かに、熱くて最初に会った強張りはどこか溶け始めていたのも確かだった。
だから私は、そっと優しく、でも躊躇わないように気を付けながら。
その先端に、ふっと撫でるように、彼女の敏感な部分に優しく触れた。
「 」
口づけをしたまま、あこの口から漏れたくぐもったその声は。
高くて、耳に心地よくて、まるで私の頭の奥を溶かしていくような、何かが溢れ出るような嬌声だった。
ああ、よかった。
痛みと、恐怖の声じゃなくて、歓喜と快感に染まった声に、私は少しだけ安堵して。
だから、最期の確認を。ゆっくりと水音を立てながら唇を離して、真っ赤になってどこか目を涙に滲ませているあこに、そっと尋ねた。
「あこ、気持ちいい……?」
性的なこと、性行為、誰かと交わること、セックス、それにまつわるあこの身体の体質、その全て。
あこにとってそれらは、痛みと恐怖と憎悪しかなかったはずだったから。
今、こうして、少しでもそこに痛み以外のものが宿るなら。
もし少しでも、私と交わることを気持ちいいと想ってくれるなら。
私はきっとなんだってできると想うから。
あこは、泣きそうな瞳を揺らしたまま。
でも紅く染まった笑顔でゆっくりと私を見て頷いた。
深い海の底で、閉じられた殻はゆっくりと、でも確かにその扉を開いていた。
私達は深海の底で、まるで空気を分け合うみたいにキスをする。
あとは、もう大丈夫。
ただ気持ちよくなる、だけだから。
この子の痛みの記憶を消してあげることはできないけれど。
今だけは、その全てを塗りつぶすような、そんな感覚を。そんな時間を。
この子が望む全てのことを。
きっと夜が明けるまで。
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