第33話

愛心



 「最近、少し丸くなりましたか?」


 定期健診っていう名目で訪れたホテルの一室で、検査キットを持った売人にそんな風に声をかけられた。答えはもちろん「あ?」の一言なんだけど。


 「私が太ったっていいたいの?」


 なんだ喧嘩なら買うが? という意図を込めて中指を立てておく。ただそんな私の様子に売人はいつも通り、薄ら笑いめいた顔で私を見ているばかりだった。


 「言動の話ですよ。もちろん、体重も微増はしていますが、これはホームレス生活時に減った分の反動なので、むしろ健康的なくらいです。住良木さんの影響ですかね、やはり」


 当たり障りのない返答だったので、ふんと鼻息で返事をしてやる。どうせこいつは、私の健康なんてさして興味はなくて、そこから取れる私の毒の価値しか見ていないにきまってる。私の調子がいいと、より毒が一杯取れるとかろくでもないこと考えてるんだろう。


 ていうか、私丸くなったか。どこら辺がだ。なぎさん相手は、角が取れておもちくらい丸くなった自覚はあるが、それは別に他の人間相手には適応されていないし。こいつにはなおのことのはずだ。


 「私なんにも変わってなーい」


 「そうですか、まあ、それはそれで何よりです」


 どういう意味だよ、こんちくしょう。


 たっかいホテルのたっかいソファに胡坐をかきながら、私は売人の奴が正面に立つのを待っていた。出来るなら、さっさと終わらせて帰りたい。


 「で、なぎさんの調子はどうなの?」


 私がそう問うと、しばらく並び立つ試験管を眺めていた売人はゆっくりとこっちを向くと、マスク越しでもわかるほどに気色の悪い笑みを浮かべてきた。


 「良好ですね。血糖値が大分マシになってきました。こちらも体重が微増しているのがなによりです。まあ、まだBMI的には痩せすぎもいいとこですが、改善に向かっているのは確かでしょう」


 「ふーん……」


 聞きたいのはそっちじゃないんだけど。……まあ、そっちも聞きたくはあったけどさ。そんな私の気持ちを察してか、売人は話の続きを始める。


 「『毒』に関しては、以前変わらず様子見ですね。なにせ発作らしい反応はなかった……でよろしかったですね?」


 「うーん…………、なんか一瞬そういう雰囲気になった時もあったけれど、なぎさん、普通に自制できてたから……多分、あれは違うと思う」


 そう、時々、なぎさんがちょっとえっちな感じになったりはしてたけど。もし発作がそこで起こってたとしたら、その時は絶対止まれない。今ままでの経験から言って、そういう理性でのブレーキがどうのとか、そういう次元の話じゃないのだ、私の毒は。


 「そうですね。私の見解でも、基本、毒の発作が起こった場合、当人の意思で制御するのは不可能です。というわけで、幾度か起こっていた彼女の性的興奮は、まあ、……素で興奮していたとみるのが妥当でしょう、くく」


 ………………ただ、つまりそれは、私の毒とか関係なく、なぎさんは勝手に、自発的に私に興奮してたっていうそういうこと。…………改めて口に出されると、照れるとかそういう次元の話じゃないけれど。今、こいつの前でその感情を出すのは腹立たしいので、ぐっとお腹に力を籠めて封印する。


 「むぐぐぐ…………」


 抑え込めきれなかった感情が、少し漏れ出てたけど仕方ない。


 そんな私の様子に興味もなさそうに、売人は淡々と話を続ける。


 「頂いたサンプルで検査してますが、おおむね、あこさんの結論と同じだと思いますよ。変化なし、以前、毒の兆候は見えず。……この前、甘い匂いを感じた、と言っていたのだけが少し気になるところではありますが、あれ以来変化は?」


 「うーん、……正直、踏み込みづらくて聞けてない」


 最近、少し忙しかったのもあるし。私の毒が効いてますかなんて確認、本人には少しやりづらい。


 「……まあ、そこのところは、今度住良木さんに直接確認する方がよさそうですね。では、あこさん今日の分の採取を行っても?」


 ようやく検査が終わったのか、売人の奴は私の前までやってくると、いつもの採取キットを出してきた。唾液を採取するようの脱脂綿とか諸々と…………あれ、いつもの涙を採る用のやつがない。


 「ああ、住良木さんから忠告を頂きまして『これ以上、あこを泣かせたら、その時点で協力関係を破棄するからね』とのことなので、代替で今日は少しだけ血を頂いてもよろしいですか?」


 ………………うーん、涙の代わりに血ときたか。でもあれ、おかしいな。


 「血はそんなに催淫効果ないって、前、言ってなかったっけ?」


 現状確認できてる中で、一番強いのが涙、次点で唾液、血は量の割にそんなに効果がないとかなんとか。だいぶ前の話だからうろ覚えではあるけれど。それで金にするのは涙と唾液って感じだったはず。


 首を傾げる私に、売人は軽く肩をすくめるばかり。


 「こちらも顧客との契約がありまして、最低限の量は確保しないといけませんから。あと住良木さんの分と合わせて、あこさんの体調の変化を見る意味もあります」


 私はそんな売人の言葉に、ふーんと生返事を返す。まあ、しんどい想いをして泣かなくていい分、気が楽にはなるかな。ありがとう、なぎさん。


 採血は今まで何回かやられてるし。されてる間、余計なこと考えなくていい分やさしいもんだ。


 「ん、わかった。さっさとやって終わらせて」


 そんで早くなぎさんの所に帰ろう。売人が水分の補給にと出してきた飲み物から、カフェオレを一つ引っ張り出しながら、私は無言で腕をまくった。


 でも、採血ってそこそこ時間かかるんだよね。その間、片腕封じられてるし。


 意外とこれはこれで、暇すぎてしんどいかもなあ、なんてことを考えながら。


 プツって音を立てて、針が私の腕の中にはいってくる感覚だけを感じてた。


 あー、早く帰りたい。






 ※





 いつものように、ねこくんとごはんを作って、なぎさんの帰りを待つなんてことのない平日の日。


 最近は、少しだけ日が陰るのも遅くなった。それに加えてなぎさんも少し早く帰ってくれるようになってきたから、そのうち明るい時間に帰ってくるのも夢じゃないかもね。


 まあでも、早紀曰く、『年度末はどう頑張っても忙しいから、残業ナシはさすがに無理』とのことだそうだ。なぎさんもそれには同意してたから、あこちゃん、そこは我慢します。


 なんてことを考えているうちに、玄関のドアが開いて、なぎさんの足音が響いてくる。


 ぐるんと勢いよく音に反応すると、私とねこくんはどたどたと揃って玄関へ向かって、我先にとなぎさんをお出迎え。


 「たっだいま―――「なぎさん、おかえりなさーい!」」なあなあ、んなあ。


 三者三様に音をダブらせながら、お出迎え。今日はちょっとだけ腕によりをかけたご飯だから、気持ち私のテンションも上がってしまう。ねこくんもなんでかちょっとテンション高めに、靴を脱ぐなぎさんの背中にぴょんぴょんと跳ねてアタックしている。


 「はは、相変わらず元気だねぇ、君らは」


 そんな私達に、なぎさんはけらけらと笑ってくれた。それだけで、私はなんだか思わずつられて笑ってしまう。えへえへと変な照れ笑いもこみあげてくる。


 そんなこんなで、なぎさんをお出迎えして、今日ゆーちゅーぶで見た料理動画を元にした唐揚げをお出しする。ハイカロリー、ボリューム満点仕様だぜ。これでなぎさんと一緒に幸せ太りするのである。


 「あつぅ、うまぁ、え、なんかすんごいざくざくして美味しいこの唐揚げ」


 「ふっふっふ、衣に卵を使うのがポイントなのです。まあ、竜爺さんの動画を見たまんま作っただけなのですが」


 「うまい、うまい。いやあ、どんなうまいレシピがあっても、それを私に作ってくれるのはあこだけだから、ありがたい以外出てこないよ。あこちゃんさいこー」


 「いえーい!!」


 そんなやり取りをしていたら、なぎさんの細い身体にもりもりの唐揚げたちが、どんどんと入っていく。なんか不思議にそれだけで、私の頬は緩んでしまう。うむむ、たったこれだけでにやけが酷い。


 でも、なんというか、私が作って工夫して取り組んだものが、なぎさんの血肉になっていくんだなって考えると、それだけでなんか胸の奥が熱くなってくるんだよね。興奮という奴かな、推しに栄養を流し込む感じ、なんか変な性癖に目覚めそう……なんてね。


 気を取り直して、私も腕をまくって、ざくざくのおっきい唐揚げを口に運ぶ。味見はしたけど、改めていい出来栄えに、ふふんと思わずしたり笑い。うむむ、おなかに一杯溜まる感じが、べね。やっぱりお腹いっぱい食べれるっていうのは、何物にも代えがたいものですな。


 なんて考えていたら、なぎさんの箸がぴたりと止まっていることに気が付いた。


 あれ、なんかあったかなって私が首をかしげていると、なぎさんの視線が私の腕にじっと注がれていることに気が付く。そこにあるのは、今日の昼頃に売人にされた採血の跡があって……。


 「なに、それ、あこ」


 「ああ、今日、売人のとこに行ってきて、ちょっと血を渡してきたんですよ」


 何気なくそう答えたら、なぎさんの眉が思いっきり顰められた。あれ、なんかお気に召してないのかな。


 「それって検査用……?」


 「うーん、検査用もあると思いますよ。まあ、効果は薄目だけど、一応、毒ではあるので普通に売る用も含まれてると思いますけど」


 それがどうかしたんだろうかと、首をかしげていると、なぎさんはちょっと不満そうに唐揚げを頬張る作業に戻っていった。


 「うーん、検査用ならいいけど。売るようで血を出すのは、なんか、あんまり私の気分がよくないなあ……あこ、痛くなかった?」


 そう言って、どことなく不満そうに唐揚げを頬張っている。そうやってぶー垂れている姿が普段と少しギャップがあって、私的にはなかなかポイントが高いんだけれど。


 それにしても、なぎさん、たまに過保護なんだよなあ。


 「まあ、ちょっと痛いけど、さすがに慣れますよ。ていうか、なぎさんの方が身体に一杯穴空いてるじゃないですか」


 そう言って、私はちょいちょいって、なぎさんの耳たぶがほとんどないお耳をタッチする。そこにはもうピアスこそついていないけれど、かつてはついていたであろう穴がいくつも開いている。耳だけで幾つもあるけれど、実は耳以外にもあるのを私は知っている。下着姿で夜抱き合っているときに発見しました。


 「まー、そうだけどさ。自分のは自分の責任と我慢で開けられるけど、他人のはそうじゃないじゃん? それに、あこはさ、私より痛みとか感じやすそうだし。その身体に孔が空くとこを考えると、こう私までぞわっとしちゃう……かな」


 そう言ってなぎさんは、ぶるっと身体を震わせた。自分の痛みには死ぬほど鈍感なのに、どういう理屈なんですかねえ。などと呆れるあこちゃんでした。


 そんな話をしながら、私たちはご飯を食べ終えた。それから、ご飯を作ってくれたからって、なぎさんが洗い物を引き受けてくれている間に、私はふと思い立って炬燵の近くの小物入れを漁り始めた。


 ……確か、前にここで見たことがある気がする。


 しばらくがしゃがしゃと漁っていたら、お目当てのものがひょこっと顔を出す。


 手のひらサイズの白いプラスチックの直方体、最初見つけたときは、何かなってー首をひねっていたっけね。


 調べてみたら、ピアッサーっていう奴なんだよね。つまり、身体にピアスの穴をあけるためのもの、箱の途中に針が付いていて、それでバチンって開けちゃうわけだ。


 気になって、動画を調べたら、やっぱり身体に孔をあけるのってなかなか怖く見えて、開ける瞬間は私もドキドキしてしまったくらいだ。


 ただ、これはだいぶ古い奴みたいで、ながらく触った形跡がない。ちょっとほこりも被ってる。開けるかもって買っておいて、その後使わなかったりしたのかな。


 そうやってぼーっとそのままピアッサー見ていると、なぎさんが洗い物を終えて戻ってきた。


 炬燵の中に入って一息ついた後で、私の手に握られているものに気が付いて、ちょっとだけ顔をしかめてた。


 「……何見てんの、あこ」


 「ふふふ、なぎさんとおそろっちになれる奴です」


 まあ、なぎさんとおそろに成ろうとすると、これ何個必要なのかわかんないけど。


 「ほんとにしたいなら、止めはしないけど……。私も社会人になってからあんまつけてないよ? もうほとんど塞がってるし」


 そう言ってなぎさんは、なんとなくむずがゆそうに、自分の耳を軽く触った。まあ、確かに言う通り、なぎさんのお耳はよく見たらついてたんだなってのがわかるくらいにしか残ってない。


 まあ、そう想うと、おそろになるという夢は絶たれてしまうわけですが。



 まあ、でも…………。



 「人に開けてもらうっていうのも、ドキドキしません?」



 そう、私、ピアスなんて開けたことないわけで。



 そんな人間に初めて、針で穴をあけて、形に遺す。



 ともすれば一生、形に残って見え続けるそんな傷を、遺してもらう。



 それもまた、乙なものだなあ、と、あこちゃん想うわけですが。



 肝心のなぎさんは苦笑い気味に、ちょっと困ったような表情してた。



 「気持ちはわからんでもないけどね。私があこに傷つけるのやだー」



 そういってあなたは、ちょっとはぐらかすように笑うだけ。



 ふふふ、残念。まあ、なぎさんならそう言う気もしていましたが。



 「あらら、じゃあ、なぎさん。もしかして、このピアッサーもう使わなかったりします?」



 そう言うとあなたは、軽く笑って応えてくれました。



 「んー、使わないよ。てかだいぶ古いから、もし本当に開けたいんなら、別のやつ使った方がいいね」



 とのことです、つまり、つまり。



 「じゃあ、これ自由にしていいですか?」



 「うん……だけど、なにするの?」



 お許しを頂いたので、そのまま古いピアッサーの封を破ります。なぎさんが少し目を見開いて驚いているのを横目に、私はそっとなぎさんの手を取ってピアッサーと一緒に自分の耳に当てました。



 私の手で、ピアッサーのトリガーを握ったまま、その手をなぎさんが包み込むように握る形です。当然、針のあて先は私の耳、左耳の耳たぶの少し下の方。



 あなたの手が私の耳元を少しくすぐって、さわさわと動くだけで私の背中の奥の方がぞわぞわと震えてくる。



 あと、少しだけ力を籠めれば、私の耳にきっと一生消えない疵がつく。



 そんな姿を、あなたの手で残された疵の形を、それがずっと私の人生の傍らに遺り続けることを考える。



 きっと、何年も何十年も、もしあなたと生き別れてしまっても、もしあなたが私を置いて先に死んでしまっても、いつか私があなたのことを、その想い出を忘れるような日が来ても。



 その疵だけはきっと私に遺り続けて、私はそれを見るたびに、忘れていた時間を、想いだすんだろう。



 そんな疵が残る、そんな小さな妄想に。



 少しだけ、ほんの少しだけ、浸っていた。



 「あこ、私、……押さないよ?」



 あなたの声は、ゆっくりと穏やかで、怒っても悲しんでもいなくて、私は思わず少し微笑んでしまう。



 「ふふ、わかってます。真似事です」



 だって、そんなことをしてしまったら、あなたはずっと私のことで気に病んでしまう気がするから。私の身体の疵と引き換えに、あなたは心の傷を負ってしまうから。



 傷になりたいとは言っても、別に罪悪感を覚えていて欲しいわけじゃないのです。



 だから、このトリガーは押しません。



 押したらとても、とても、きっと何にも代えがたい素敵な想い出になる気がするけれど。



 それをあなたは望んではいないから。



 でも、今だけは、そんな妄想に少しくらい耽ってもいい気がします。



 「ねえ、なぎさん」



 「なあに、あこ」



 今、この疵は要りません。



 だって今は、幸せだから。



 どうしようもないほど胸の痛みがどこにもないから。



 だから、今は要りません。



 でも、でも――――もし。



 「もし、私たちがお別れしないといけない時が来たら――――」



 この幸せが壊れる時が、いつか来るとしたら。



 「その時は、ちゃんと開けてくださいね―――?」



 なんで、自分でもそんなことを言い出したのかは、わかりません。



 どうしてそれを、願ったのかもわかりません。



 ただそれを口にするだけで、その時を思い描いただけで、目の奥からどうしようもないほどに何かが零れそうになってしまうから。



 その零れそうになる何かを抑えるために。



 そんな小さな、子どものわがままを口にしました。



 なぎさんは、ちょっとだけ目を細めて、何かを言いたそうな顔をしました。



 それから、私の耳に、疵を遺すための手を当てがったまま。



 そっと、私の唇を塞いでくれました。



 まるで、そうやって、私の中の『何か』をこの場所に繋ぎ止めようとするみたいに。



 ある冬の日の夜のことでした。



 もう少しで私の誕生日も近くなってきた。



 そんな日の夜のことでした。

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