第48話

早紀



 どうも斎藤 早紀です。主任です。


 そろそろ春がやってきます、色々と変化の季節ですね。


 かくいう私は、周囲の変化に戸惑ったまま。


 今日の業務の終了間際に、住良木さんから受けた『転居届ってどう提出するんですか?』って質問を未だに引きずっています。


 いや、引っ越し準備の手伝いをたまにしに行っているので、転居するのは知っていますよ。そして住良木さんの傍にくっついていたあの子の姿が、最近、見えなくなっていることも知っています。


 住良木さんに理由を聞いたら意外とあっさり教えてくれました。どうにも、一度親元に帰っているそうです。そして一度、関係を落ち着けてそれから改めて二人で暮らすそうです。



 はーーーーー、と長いため息が出ます。



 いいーーーなーーー。一緒に暮らす人がいるって、いいなーーーー。しかも、どう考えても性的な香りがプンプンするし。いいーーーなーーーーー。私もそういう人、ほしぃーーなぁーーー。


 なんてことは、口にも表情に一ミリも出しませんけど。


 内心、地団太踏みながら、最近、あの二人の様子を思い浮かべることが多いです。


 色々あって、最初は半ば私のやらかしを脅されるように始まった関係だけど。


 気づけば、買い物に付き合ったり、引っ越しの手伝いをしたり、どちらかというと友人関係に近いような、そんな関係を維持しています。


 そのせいか、どうかはわかりませんが、最近住良木さんが一年ほどぶりに私のことを『主任ちゃん』と呼ぶようになりました。昨今のジェンダーうんぬん的に、解釈は微妙なところですが、フレンドリーになっている……というのはあまりに私に都合のいい捉え方でしょうか。友達の一人もいない身としては、少しだけ胸が躍っているのは内緒です。


 そして仕事もそこでの人間関係も、以前に比べて多少改善しつつあります。結果を出さなければ、営業に戻らなければと焦っていた気持ちも、何故か知らぬ間に落ち着いてきて、まあこれはこれでいいかとある種の悟り得ながら働いています。


 …………こうして考えると、意外と私も変わっているのかな。実感はないけれど。


 ただ、まあ、変わってるとか、変わってないとか、そんなことより重要な問題が今は一つ…………。


 あの子が住良木さんの元から離れたこともあり。


 いや、というより、あの子と住良木さんが……その初体験をすると決めていた誕生日を過ぎたことにより、発生している問題が一つ……。


 ………………。


 ……………………非常に。


 ………………………………非常に認めがたく、これを知った誰かが他に居たら、感想は『人として終わってる』以外でお願いしたいのですが。





 ………………性欲が、溜まっています。


 


 いや、ほんと人として終わってると想うんだけれど。


 さすがに、もう関係を持ったとわかりきっている二人に、今更虐めて欲しいなんてお願いをするわけにもいかず。


 かといって、他にそんなことを打ち明けられる人がいるわけもなく。


 今更、自覚してしまった、このどうしようもない被虐嗜好を。


 私は果てしなく持て余しているのでした。


 ああ死にてえ。超死にてえ。


 こんなダメな私を、誰か罵ってくれないかな。


 まあ、そんな人がいないから持て余してんだけどね。


 あと本当に心から罵られるのは嫌。私の嗜好を理解したうえで、的確に心は傷つけずに罵って欲しい。そのうえで、あんまり後に響かない感じで、ちょっとだけ身体を痛めつけて欲しいかなあ。それでそんな私をあくまでプレイの一環として、蔑んだ瞳で見ていて欲しい、でも心の中では優しくしてほしい。いや、我ながら注文が多すぎる……。


 ただそれはそれとして、この溜まった情動もとい、性欲を誰かに伝えなければおさまりが付きそうにありません。最近、世の中には女性同士の女王様風俗なるものが存在するといううわさを聞きつけて、かなり誘惑に苛まれている今日この頃です。


 いや、でもダメ。私風俗なんかにはまったら、あっというまに貯金を使い潰す確信がある。それくらいに私は誘惑と、快楽と、依存させてくれる人に弱いし。それが数少ないはけ口を見つけてしまえば尚更ひどくなるにきまってる…………。いやぁ我ながら、嫌な自信ばっかりあるね。


 というわけで、私が相談できる相手は結局――――。


 『……そうはならないでしょ』


 「いや、ほんとごめんね…………」


 住良木さんか……その恐らくパートナーに当たる、あの子しかいないのでした。


 で、住良木さんはさすがに、そんな話した後に、毎日仕事で顔を合わすのが気まずすぎるので、あの子が相談相手になるのでした。


 夜になって家に帰ってから、どうにか時間をつくってもらって電話をしたら少し疲れ気味の声が電話の向こうから響いてきた。色々なところに顔出したりで、今は割と大変らしい。うーん、さすがにこんなくだらない相談に時間を使わせるのは、少し気が引けてきた。


 『んー…………』


 「いや、やっぱごめん。今日はいいや、また元気な時に話聞いてもらっていい?」


 はあ、だめだだめだ、こんな年下の高校生くらいの子にする甘え方じゃない。いい加減、自分でパートナーをみつけるか、解消する方法とか探すしかないよ。出会い系アプリとか……怖いけど、うまくいくかな。


 『ううん、別にいいよ。昼間は大事な話ばっかりで疲れてるし、息抜きに丁度いいから。でもそうだね………』


 「そ…………そう? ならお願いしちゃおっかな……」


 電話口の向こうで、ふぅと軽く息を吐きながら、あの子はうーんと唸っている。私は思わず居住まいをただしながら、その返事を待っていた。


 そして、ふっと軽く息を吐いてから、私に問いを投げてきた。


 『どこまでが浮気になると想う……?』


 …………私にその問いは判断がつかねえよぅ。


 「…………相手が浮気と思ったらじゃない?」


 とても当たり前な一般論しか出てこない、この経験不足の口を呪いたい。


 『だよねえ……。私となぎさん……この前、一応『そういう関係』になったんだけどさ。この状態で、さきのお尻叩いたら浮気になるかな?』


 「………………ぁ~~~……わかんない……」


 どうしよう、すごい真面目に検討してくれてる。あまりにもいい子なんだけれど、内容が私の尻を叩く案件についてなので、余計に私はいたたまれない。


 『お尻叩くのが仮に浮気だとして、じゃあ、もうちょっと軽いのなら大丈夫? それとも、二人きりでそういうことするのがそもそもアウト? 逆にさきはどれくらいしたら満足できるの?』


 「…………ごめん、ちょっと涙が」


 真剣に検討させればさせるほど、私一体、なんの相談してんだって気分になる。やっぱりこれは自分で解決するべき問題なのでは……? パートナー持ちの高校生の女の子に相談する内容ではないのでは……?


 そう想ったから、やっぱり遠慮するように口を開いたのだけれど。


 『そう? でもある程度は私もなんとかしたいかな、だって、さきのそれって、半分私の体質のせいみたいなところもあるし』


 「……………………そっか」


 静かにでもしっかりと意思のこもった声で、少女がそう自分のスタンスを表明してる。すごいなあ、だって結構、可哀そうなめに会ってきた子のはずだ。話を聞く限りじゃ、かなり理不尽な仕打ちを受けてきて、それにすごく苦しんでいたように思う。それをあんまり感じさせないのが、尚更凄いとこだと想う。


 そして、そんな子が、私のこんなくだらない相談を、真摯に受け止めてくれている。


 …………自分も関係があるから、ちゃんとしたいって。


 そんな言葉を聴いていたら、自分でこの問題を、なさけない、くだらない、どうでもいいって貶してきたのが、ちょっと申し訳なく思えてくる。


 だって、こんなに真剣に考えてくれてるんなら、私も真剣に返すべきじゃない?


 恥ずかしいからって、逃げないで。ちゃんと向き合うべきじゃないかな。


 だって、性欲だって私の身体の一部だし、被虐趣味だって……私の、心の、一部だし。認めがたいけど……。


 恥ずかしいことって、向き合わないことの方が、きっと恥ずかしいことのような気がしてくる。


 それなら自分から目を背けずに、一つずつ向き合った方が、きっと自分を恥じないで、卑下しないでいられるんじゃないのかな。


 そんな思考を一つして。


 よし、決めた。


 そう想って息を短く吐き出した。


 ちゃんと、頼ろう。


 それから、ちゃんと頼るんだし、私もちゃんと向き合おう。


 自分が抱える自分の問題に。


 つまり、私は、最近ちょっと、自分の性欲を持て余してる。


 あと、ほんとはちょっと誰かに、虐めて欲しい。


 でも、それを共有できる人がいなくて困ってる。


 だから、ちゃんと解決したい。


 うん、大丈夫。


 思わず電話口で、誰にも見られてないのに、独り部屋の中で、背筋を伸ばしてふんと気合を入れ直す。


 よし、いっくぞー。


 なんて気合を入れて、あの子とのやりとりを繰り返す。


 どうすればいいんだろう。そんな方策を考えながら、相談しながら。


 私の、この、心の置き所を、二人でゆっくり話し合った。





 『よし、やっぱりなぎさん呼ぼう。そっちのが早いよ』


 「……え? まって、……まって、まって?!」


 『あ、なぎさーん、実はかくかくしかじかで―――』


 「あこちゃーん!!??」


 『……ふーん、あこが嫌じゃないんなら、私は全然かまわないけど?』


 「ーーーーーーーっっっ???!!!??」


 『あー、…………いや、やっぱなぎさんと二人きりでされるのは、私ちょっと嫌かも』


 「だよねっっっ!!???」


 『じゃあ、月に一回くらい。三人でどっか予定合わせる?』


 『え、それって3Pってことですかっ!?』


 「あば、あばばばばばばばばばば………………」


 『あ、さきがこわれたよ、なぎさん』


 『いやあ、主任ちゃんはいじりがいがあるねえ』


 『ね。あ、そういえば話変わるんですけど、お尻叩くのって意外と難しいですね。この前やったら、私も手ぇ痛めちゃったし、さきも青あざ出来ちゃって大変だったんですよね』


 『あー、そうだね。意外とコツがいるんだよね。こう手首のスナップをきかせて、表面だけ弾くようにしたら、痛いけど身体にダメージははいんない叩き方になるんだけどさ』


 『ほへー、さっすがなぎさん。くっわしー』


 『はは、昔は女王様とかもやってからねー』







 ※



 結局のところ、あんまり性的な感じじゃないプレイを、今後もお願いしていくことになりました。する場合は、ちゃんと報告もして、浮気じゃないよって証明しながら。



 自分の情けなさにやっぱりちょっと泣きたくなりながら。でも次の日、すごく仕事がはかどったので、なんとも言えない気持ちになりながら、過ごしていたさきでした。



 春ですね、変化の季節がやってきましたね。



 私の変化ってこんなんでいいのかなと思いながら、ちょっと充実していく心身を複雑な気持ちで感じ続けるさきでした。

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