第41話

愛心



 そんなこんなで売人の奴の部屋からの帰り道、私は手渡された錠剤をまじまじと見つめていた。


 オレンジ色の小さな錠剤が一つ一つに曜日まで振られて、丁寧に並んでいる。


 『本来は検査等をしてからお渡しするものですが、まあ、あこさんを検査するのは色々とリスクが伴います。今度、ご自身でできる検査方法をお教えしますので、実践しておいてください』


 これで私の身体から出る毒が弱まる?


 『もちろん確証はありません。薬の相性というのも存在しますから、お渡ししたものが効かない場合は、他の薬を試していくことにもなります。もちろん、全ての薬が効かない可能性も、残念ながらあります。どの程度、抑制されるかも未知数です。ただまあ、やるにこしたことはないでしょう。ついでに生理痛も少しましになりますよ』


 こんな簡単な方法で?


 『どうしてもっと早く言わなかったのか、ですか? 理由は二つです。一つは、最近まであこさんのホルモンバランスと、毒の効果に関連性がある確証がなかったこと。二つ目は、あなたの精神状態が落ち着いたからです。数か月前の路上生活をしていたあなたに、私が出所不明の薬を毎日飲めと言って、聞き入れますか? 聞かなかったでしょう?』


 腑に落ちないところは山ほどあれど、光明が見えてるのも確かなのかな。このままいけば普通に生活……とまではいかなくても、人と触れ合うだけで発作に怯えるようなことはなくなるのかも。


 「そういやあいつ医者だった……」


 もう売人の印象が強すぎて忘れてたけど。そういやそうだった。


 「……え、麻井って医者なの?」


 隣で私と一緒に薬を覗き込んでいたなぎさんが、どこか素っ頓狂な声を上げる。


 …………あれ、そういえば言ってなかったっけ。


 「そうだよ、しかも産婦人科医。私が親の発作で逃げ出して、飛び込んだのがあいつのクリニックだったの。まあ、そこでも発作が蔓延して、えらいことになったんだけど……」


 いやあ、あんまり想い出したくない話ではあったけど、なんでかすっと言葉が出てきた。あの時、発作を起こさせちゃった看護師さんの話がさっき出てきたからかな。


 「まじかぁ…………、いや確かになんか色々素人とは思えなかったけど」


 「普通、わかんないよね。一応、イケメンのお医者さんで人気だったらしいよ。ま、私と関わる前から、裏では割とあぶないお仕事してたらしいし、実際の中身はアレだけどね」


 人気イケメン産婦人科医も、皮をめくれば無感情虫野郎だ。まあ、あいつがあんだけ色々無関心だからこそ、私は助かってる側面もあったけどさ。


 「いやほんっと……今日はなんか情報量多かった……」


 「だね、なんかほんともう色々……」


 「でもさあ、あこ」


 「んー?」


 「本当に明日……出発するの?」


 そう言ってなぎさんはどこか心配そうに、私の顔を窺ってくる。


 そんな姿に、私は軽く笑みを返した。


 「うん、どうせなら早い方がいいしね。大丈夫、すぐ戻ってくるよ」


 麻井の奴が面会日を決めたのは、今日のこと、私が明日って言ったら、その場で電話してその場で約束を取り付けてきた。ま、丁度休みの日だし、問題もなかったんじゃないかな。


 何よりまあ、こういうのは待ってる時間が一番しんどいものだから、必要なことはさっさと終わらせてしまおうと想ったから。だから、うんこれでいいんだ。


 軽く鼻歌を唄いながら、夜の街をなぎさんと二人でとことこ歩く。


 明日、お母さんとお父さんと面会する。


 朝の十時にお迎えが来て、そのまま面会、終わったら車で帰って……行きたかったけど、一応警察と学校に顔出してとかいろいろとあるらしい。無事になぎさんのところに帰り着くのは、二週間か三週間……もしかしたらもっと長くなるかもってとこだった。


 結構長いなーとは想うけど、だからこそ、急ぐに越したことはないと想う。


 「怖くない?」


 少し歩調を速めて歩いたら、後ろからなぎさんにそう声を掛けられた。


 怖くないよって、勢いで口を開きかけて、しばらく口を開いたままで停止する。


 嘘……じゃないけど、別に本心でもないなあって感じがした。


 「多分……ちょっと、怖いかな」


 「…………」


 紡いだ言葉が何処に向かうのかわからなかったけど、わからないまま紡ぎ続けた。


 この人の前で、私はきっと嘘をつかなくてもいいと想ったから。


 「お父さんとお母さんどう想ってるんだろうとか……、帰ってこいって言われないかな……とか。化け物扱いは……ないと想いたいけど、されたら心にクるよねえ……」


 この数か月で抱えたものが、あまりにも多すぎて。


 それを本当に持っていけるのか、本当に納得してもらえるのか、本当に私はあの人たちと向き合えるのか。


 ちっともイメージできなくて、それが少し怖かった。


 「なぎさんのことも……言いたいけど、言ったら引き留められそうだし。恨み言行っちゃわないかも心配だし……あとは……どうだろ。それくらいかな、実際あったらもっといっぱい言っちゃいそうな気もするけど」


 私とあの人たちは。


 子どもと親で。


 家出人とその探し手で。


 性被害者と性加害者で。


 淫魔と人間だ。


 ちゃんと、正しく向き合えるのかな。


 それがどれだけ考えても答えにはなってくれなくて。


 「だから、ちょっとだけ怖いかな」


 そう言ったら肩のあたりにふわってなぎさんの手がそっと置かれた。


 そのまますっと私の身体を後ろから抱きしめるみたいになる。


 ちょっとだけ立ち止まって、なぎさんの方を振り返った。


 「そっか」


 「うん」


 「それは怖いね」


 「でしょ、怖い」


 なぎさんは少し心配そうに、でも優しい表情で私のことをじっと見ていた。


 その顔に思わず漏れた笑みを返す。


 でもきっと、今は怖いだけじゃないから。


 ずっと前はそんなこと考えるだけで胸の奥が凍えて動かなくなっていたけれど、どうしてか今は少しだけ前に進もうと想えるから。


 「でも、頑張るよ」


 そう言って、振り返ると、なぎさんはゆっくりと眼を閉じて頷いてくれた。


 「うん、頑張れ」


 吐く息の白さが、気付けば少しずつ小さくなって。


 「ねこくんのことお願いね」


 「まかせといて」


 そういえば、そろそろ春がくるんだね。


 「早紀は……無理言って来たら、また連絡して。すぐに脅してやるんだから」


 「ははは……ま、主任はもう大丈夫だと想うよ」


 最初に私達が約束した期限が近づいている。


 「売人のヤローは鬱陶しかったら蹴っていいからね、あれだったら看護師ちゃんのほうに話をつければいいから」


 「はっはっは、まあ麻井も……なんとかやるよ。そんなに相性悪くないし」


 「私はそこが心配なんだけどなあ……」


 「んー?」


 「ふふ、なーんでもない」


 冬の終わりがもうすぐそこだ。


 私がなぎさんの所に居ついていい決めた限定期間が終わろうとしている。


 それがたまらなく怖い……怖いんだけど。……それでも必要なことだから、前に進もうという気持ちも同時にどこからか湧いてきている。


 この気持ちの名前は何て言うんだろう。


 決意? 覚悟?


 そんな大層なものかはわからないけど。


 それでも進もうと想っているのは確かだから。


 「ね、なぎさん。出発する前に一つお願いがあるんだけれど」


 だからあなたに少しだけ背中を押してほしくて。


 一つお願いをしてみたくなった。


 私の肩を抱くあなたは少し寂しそうな笑みのまま、私にそっと頷いた。


 「いいよ、なんでも」


 「え!? なんでもいいの?!」


 大げさに驚いたら、なぎさんはちょっと面食らった顔をしたけれど、すぐにやれやれ仕方ないなあって軽くぼやいて笑ってくれた。


 「まああこにとって大事な節目だしね、出来る範囲ならなんでもするけど」


 「ふふーふ、言質とっちゃたんだぜー?」


 またまた、なんでもいいとか言っちゃって。


 今更取り消しは出来ないよ?


 そうやっていたずらめいて笑っても、あなたはやれやれって笑うばかり。


 それがあまりに楽しくて、私は思わずなぎさんを肩に引き連れながら小躍りとかしちゃうわけで。


 さてさて、何をしてもらおっかなあー。


 そんな風に、胸を躍らせながら、夜の街を二人で歩いてく。


 そろそろ冬が終わるころ。


 長いようで一瞬のようでもあった、出会いからの時が過ぎて。


 ねえ、なぎさん、もうそろそろ春が来るよ。


 あと少しで、私達の小さな生活が終わりを迎える、そんな頃のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る