第40話
凪
※
「どうすれば、『発作』を抑えられるかを、話す前に整理することがあります。そもそも『発作』とは何でしょう?」
麻井はそう言ってマスクを少しだけずらしながら、自分の分のコーヒーにゆっくりと口をつけた。対するあこは、怪訝な表情をしてから、ゆっくりと言葉を返す。
「私の体液で、他人の性欲が暴走することでしょ」
「そうですね、では何故そんなことが起こっているのでしょう?」
「………………知らないよ、そんなの私が聞きたい」
呆れたようなあこに、麻井はいつもの趣味の悪い笑みを浮かべて軽く首を横に振った。
「進化を重ねてきた生物は、多かれ少なかれその在り方に理由があります。花が蜜を出すことで、虫に花粉を運ばせるように。あこさんの、その在り方も、何かしら『生存に有利になる』という目的があると考えるのが自然です」
「ふうん……で?」
私はただ、二人のやり取りを漠然と見ていることしか出来ないでいた。麻井が言いたいことが、まだいまいち上手く飲み込めていない。
「無差別に他者を誘惑することにどんな意味があるか? 特に無差別、という点が気になるところですね。そこで考えられる理由は、大まかに二つです。『繁殖のため』か『それ以外』か」
「…………繁殖のためでしょ、そりゃ、何回襲われたと思ってんの」
ほんと、はた迷惑な話なんだからとあこは軽くため息をつく。でも麻井の表情は未だに少しも変わらない。
「そうですね、そう考えるのが最もわかりやすいでしょう。周囲の異性を魅了することで、より多く繁殖しようとする。一種の求愛行動といってもいいかもしれません…………ただ」
「………………」
麻井の言葉に、あこは少しだけ眉根を寄せた。
「それだと説明できないことがありますね? 『どうして同性にまで効くのか』『どうして繁殖能力のない子どもや老人にまで効いてしまうのか』」
「だから、『それ以外』が目的だって……?」
そう応えるあこの声に、少しだけ剣呑さは残っているけれど、以前に比べると落ち着いた様子が見えた。
「はい、ここからはあくまで仮説になりますが。この毒はそれこそ花の蜜のようなものではないかと、私は考えています」
「…………?」
私とあこが同時に首を横に傾げた。
「花にとって蜜は虫に花粉を運んでもらうためもの、それ自体は花にとって何の意味もありません。あくまで、虫を喜ばせて、自分の想うがままに操るためのもの」
「…………」
「これを性欲と快感に言い換えましょう。あこさん本人にとって、性欲や快感は大きな意味を持ちません。あくまでそれに釣られて人が寄ってくるというのが重要なのです、そしてその
思わず声が出そうになった。
言いすぎだ、そんなの―――ただそう口に出す前に、あこの手がすっと私の顔の前に伸びていた。それからあこは私の眼を見て、ゆっくりと頷いた。
大丈夫、とそう語り掛けてくるみたいに。
それからあこはゆっくりと視線を前方に戻す。
「……私そんな都合よく人とか操れないんだけど?」
「そこは未発達が故の暴走と見ています。蕾から香る匂いに虫が先んじて群がってしまうようなものではないかと。根拠と言ってはなんですが、あこさんの性質は、ここ数か月段々と『指向性』を持ち始めていましたよ? 散々、金持ちに売りさばいてきましたが、明らかに共感性の高い人物への効果が向上しています」
「向上……?」
「性行為をするさいに、より興奮し、より多幸感を感じるようです。『信じられないほど幸福だった』『目の前の相手が愛しく愛しくて仕方なくなった』『人生で一番気持ちがいいセックスだった』なんてお言葉をいただいてますが…………丁度実例が隣にいらっしゃいますし、感想でも聞いてみますか?」
そう言って、趣味の悪い視線がこちらに向いた。思わず顔が赤くなりそうになるのを、必死にごまかして視線を逸らす。
ただそうしていると、あこがばっと肩を抱き寄せて、私を守るようにかばってくる。
「うるさい、さらっと、なぎさんにセクハラすんな」
「これは失礼……まあ、その反応で充分です。お二人の関係の変化も込みで」
思わず赤くなる顔をそのまま覆う、あこが不思議そうにこっちをみてくるけれど、そっちにも目を合わせられない。ああ、こうやって抱き寄せられるだけで、心臓がバクバクなって仕方ない。
「とまあ、ここまでが仮説です。『発作はその快感で人を想うがままに動かすためのもの、無差別な発作はあくまで副作用』と言ったところですね。ここまでご質問は?」
「あんたの顔が腹立つ以外で?」
「ないようなので、話の続きを進めましょう。『人を支配するためのもの』とはいって、あこさんはあくまでヒト科の範疇の中の生き物です。通常通り月経があり、排卵も行い、恐らく妊娠もできるでしょう。非常に残念ではありますが、翼もなければ、尻尾もありません」
「……悪かったわね」
ちらっと心配になってあこの顔を見てみるけれど、今度はまゆの一つも動いてない。ただ、私を抱く肩の手が少しだけ強くなった。うう……。
「なので、『求愛行動』というのも満更、嘘ではないでしょう。支配行動であり、繁殖行動でもあると、一石二鳥なわけですね。さて、ここまでようやく本題です。あこさんの発作を抑える方法」
「…………」
あこの手がぎゅっと強く握られる、私はその手に自分の手をそっと重ねた。少し汗ばんだ手が二つ、お互いを握りあう。
「では、一つ問題です。花が蜜を出すのを止めるのはいつでしょう?」
そう言って、マスクの奥から趣味の悪い笑みをにやりと零した。
あこと二人で一緒に顔を見合わせて、首を傾げてしばらく考えこんでみる。
花が蜜をとめるタイミング……?
「花が枯れる時じゃないの?」
あこはそう言って口を開いた。
「それもあります、ただその場合は、自然に止まるのを待つ……という解決しているんだかしてないんだかわからない方法になりますが」
麻井の笑みはにやにやと浮かび続け止まらない、二人してしばらくもう一度考えて、あるところで思わず私は手を打った。
「あ」
「…………なぎさん、わかった?」
花が蜜を止める瞬間。
それがもう必要なくなった、その瞬間。
「
麻井は軽く笑って、小さく拍手をこちらに向けた。
「ご名答、花がその役目を終えた時、つまり花粉を使って次代への種を残す準備が整った時、蜜は必要なくなります。人間でいえばそうですね、『妊娠したとき』と言い換えればいいでしょうか」
はえーと思わず二人で、関心の息を漏らす。
なるほどねー、そうすればあこの発作が少し弱まるのかもしんないのか。
なんてぼーっと思考をしていたら、あこが軽くため息をつくように話を続ける。私はそれを聞きながら、そっと自分用のコーヒーに口をつける。
ただその瞬間、私の頭にぽんと疑問が一つ湧いた。
いや、どうやって妊娠すんの?
「つまりなぎさんと子どもを創れと」
コーヒーを吹き出した。
「それも一つのやり方です。実は知り合いに同性間の妊娠の研究者がいるので、あたることも可能ですね」
吹いたコーヒーが思いっきり肺に逆流してむせ込んだ。
「うーん、私的にはなぎさんを妊娠させたいんだけど」
痛い、肺、超痛い。
「同時にすればいいのでは?」
いや、何言ってんのあこ、麻井の奴も笑ってんじゃん。
「あー、はじめてあんたの提案で素直に納得したわ、やるじゃん」
ばっと眼を見たけど、想ったよりあこの眼が真剣だった。え、ほんとにこれマジな奴?!
「…………とまあ、冗談はここらへんにしておきまして」
「あ……だよね」
でないと、本気で妊娠話がすすむのかと思った。
「えー……私はマジだったのに」
あこの酷く残念そうな声は聞こえないものとします。
そんな私の様子を麻井はケラケラと音も出さずに笑っている。くそう、ここぞとばかりに、妙に人間めいた表情しやがって。
「ホルモンバランスを調整して、疑似的に妊娠状態をつくります。通常であれば避妊や生理不順の改善に用いられます。……割と一般的によくある方法なのですが、住良木さん、心当たりは?」
そう言って麻井はどこかいたずらめいた表情でこっちを見る。マスクを外してるから初めてわかったけど、こいつこんな表情をする奴だったんだな。なんか少しだけ機械めいた印象が少年のようなそれに変わる。
ていうか、それって……説明を聞いて思ったけど。
「そんな単純なことでいいの……?」
「ええ、そんな単純なことです」
未知の発作を引き起こす現象を収めるにしては、あまりにも妥当で現実的な解決案だ。あこはまだピンと来ていないのか、私たちを見ながら首を傾げてる。うーん、十代の最近生理きたばっかりの子には、あんまり思い浮かばない話かな。
「なに、なに? なぎさん、知ってるの?」
「…………要するに
避妊薬。ホルモンバランスを調整して疑似的に妊娠状態にする薬。
産婦人科に行けば、全国どこでも手に入るそんなお薬。
それがこの非日常の状況に対する特効薬だと。
私の答えに、麻井は満足げに頷いていた。
あこは未だにどこか不可解な表情をしたままだった。
それにしても、淫魔の如き圧倒的な催淫を抑える方法が、そんな現実的な手段でいいのかなあ?
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