第42話



 何でもいいと言った手前、断ることは初めから選択肢になかったけれど。


 あこがしてきたお願いは、ちょっと意外なものだった。


 帰りに二人でアクセサリーショップによって、それを買って帰った。


 白い箱に針が通った、独特の形をした一つの器具。


 ピアッサーってやつだ。もちろんピアスを開けるためのもの。


 「前言ってたの覚えてます?」


 「……覚えてる。嫌だって言ったのは覚えてる?」


 「ふふー、覚えてます」


 それでも尚、これがいいと。


 「最後のちょっとしたわがままです」


 冬の夜の帰り道を二人で腕を組んで歩きながら、すんなりと買ってしまったピアッサーに目を止める。


 「なぎさんの手でつけたきずを、私に下さい」


 そんなのが、あこの最後のお願いだった。




 ※




 家に帰りつくころには、もうすっかり遅い時間でそこそこの疲労を抱えながら、私たちはねこくんの待つアパートのドアを開いた。


 ひとしきり足元に飛び掛かってくるねこくんに構ってから、二人でこたつに入ってようやく一息をつく。


 足元がじんわりと温かくなって、ともすればこのまま寝てしまいそうになったから、眠気防止に煙草を点けた。窓際に寄って、煙を外に出すけれど、これも明日からしなくてよくなるんだよね。


 しばらく真っ暗な空を眺めていたら、後ろの方であこがビニール袋をがさがさと漁って包装紙を捲る音が聞こえる。


 騒がしいなあって軽く笑っていたら、程なくしてあこが私の肩をぽんぽんと叩いてきた。


 「さ、さ、やりましょ。なぎさん、善は急げですよ」


 随分と目を輝かせて、ピアス一つで楽しそうなもんだ。思わず軽く吹き出してから、はいはいと言って私はあこを手招きした。


 そうしたらあこはねこくんもかくやと、身体をぴょんと跳ねさせて私の膝の間に収まってくる。


 そしてそのまま、私の頭の少し下で、耳をふりふりと振ってくる。ねこ……というか犬が尻尾を振っているような光景だった。


 後ろ手に手渡されてピアッサーを手のひらに握って、何度かカチカチ押した感触を確かめる。うん……特に支障はなさそうだ。


 「ていうか、明日親御さんに会うんでしょ、ピアスなんて開けていって大丈夫?」


 突然不良娘になったと想われるよー、なんてぼやいたら、思いのほか静かで落ち着いた声が返ってきた。


 「―――むしろ、そう想ってくれた方が話は早いかなって」


 そう言ったあと、あこはすっと一瞬息を吸った。まるでちいさな決意をこっそりと漏らすみたいに。


 「正直ね、もう、もとの関係には戻れないと想うんです。あの人たちがしたことが、たとえ毒のせいであっても、私は正直許してあげられる気がしないから」


 あこの顔は向こうを向いていて見えない。見えないけど、なんとなくそのまま手元にあった肩を抱き寄せた。でないと、震えて泣き出してしまいそうに見えたから。


 「想いだすと怖いし、身体震えるし、何回も夢に見てきたし。大切な人たちだったことに変わりはないのに、そうやって怯えちゃう自分が怖くて、辛くて……でも簡単に割り切れなくて」


 眼を閉じて、そのままあこを抱きしめながら、その言葉だけを黙って聞いていた。


 「向き合いにいくんですけど、それでも多分、元の生活には戻れないんです。だから……変わった姿を見せた方が、いいのかなって気がしてて」


 掌の中のピアッサーをそっと握りしめながら、じっとあこの体温を感じてた。


 「……私、おかしいですか?」


 そうやって問われたから、その頭にそっと私の頭を擦りつけた。ねこがまるでじゃれるみたいに、少しでも安心できるように。


 「おかしくないよ」


 「そうです……かね……でも、自分でもへんこと言ってる気はするんです」


 「………………昔、人から言われたことだけど」


 「…………はい、なぎさんの昔の話、珍しいですね」


 瞼の裏に、いつかの誰かの姿がうっすらとちらついた。


 「……おなじ心と、おなじ身体をもった人を、おんなじ状況においたら、きっとおんなじことをするんだ」


 「………………?」


 あこの息遣いが、すこし戸惑ったような感じになる。なつかしい、私も多分、こんな反応してたと想う。


 「例えば、私があことおんなじ身体を持ってさ、あことおんなじ心をもって、おんなじ状況に置かれたらさ、きっとあことおんなじようなこと、悩んで、苦しんだりするんだよ」


 人には言えない身体の性質、それが巻き起こす理不尽の数々、そんなともすれば誰もが耐えきれない状況に放り込まれたのは、ただのありふれた女の子。


 「人間、抱えているものは違うけど、状況さえおんなじなら、意外とやること変わらないんだよ。だからね、あこがどれだけこんなのおかしいかもって、想うことがあってもさ、そういう状況に追い込まれたらきっと誰しもがおんなじことを感じて、おんなじことを想うんだよ」


 この言葉の続きを、いつかの私はうまく受け止めきれなかったけど。


 「だからね、あこばっかりが悪いことなんてないんだよ」


 これは少し感じやすい、どこにでもいる女の子が。


 とんでもない身体の性質によって、たくさんの心の傷を負ってしまって。


 その上で、悩んで、苦しんで、それでも向き合うことを決めたお話なのだから。


 そこに迷いはあって当然だし、許せないことがあって当然なんだ。


 そんな理不尽な身体と状況に晒されたら、誰だって迷うし、苦しむし、時に人を上手く許せないことだってあるのかもしれない。


 でもそれはとても自然なことで。


 それはとても当たり前なこと。


 同じ状況に置かれたら、誰もが同じ苦しみを抱えること。


 だから君は自分を責めなくていいんだよって。


 そういつかの誰かに教えてもらったこと。



 「ねえ、あこ」



 手に握っていたピアッサーをそっと私は、脇に置いた。



 「昔の話、少しだけ、してもいい?」



 抱きしめた身体が小さく頷く感覚を、私はただ眼を閉じながら感じていた。

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