第11話

 あこがその『売人』っていうのと出会ったのは、ネカフェ暮らしをしていた日のことだったらしい。


 家を出て行くあてもなく、お金もない彼女を見つけて、そいつは一つの取引を持ち掛けてきた。


 簡単に言えばあこの体液を、それを高く買い取ってくれる輩に売りさばく、そういう取引。


 聞いた限り、あこの体液の値段は結構な法外で、しかもその売り上げを生活費以外ほとんど使ってないらしい。そういった、あこの電子決済の画面は、たしかに見たこともないような額が並んでた。


 まあ、これだけ聞けばいいように取り計らってくれた人のようにも聞こえるけど、あこからの評判はすこすぶるよくない。


 「嫌なことされたら蹴っ飛ばして大丈夫です」


 「それはまた随分と嫌われてるね……。なんでそんなに嫌いなの?」


 「私のことを、『人』じゃなくて『商品』として見てます。あとデリカシーもないうえに、人の心もなくて、おまけで異常性癖です」


 「それはまあ……思ったより癖が強いね……」


 ついぞ入ったこともないような高級ホテルの自動ドアを潜って、あこに連れられるまま、エレベーターのなかでそんな話をしていた。


 しっかし、まじで高そうなホテルだ。小市民だから場違い感に肩身がせまくなるばかり。なので、思わず途中で買った蓋つきの缶コーヒーに口を当てて気分を誤魔化していた。このコーヒーくんも場違い感に肩身が狭そうだけど。


 そうして部屋の前に着くなり、あこは確認もせず呼び鈴を押す。そして、ドアはまるで待ち構えていたみたいに、すっと音もなく開いた。


 そうしてドアの先にいたのは、ぱっとみは柔和そうな見た目の青年だった。いまいち年齢がつかめないような、黒いスーツ゚を着込んでいて、分厚そうな黒いマスクで口元を隠した不思議な出で立ちだ。


 「お待ちしておりました。あこさん、そしてそちらは……。いや噂はかねがね。なにはともあれ、中へ、どうぞ」


 そうして、男は柔和な笑みをそのままに、私達を中に通してくれた。あこは手慣れているのか、私より一歩先にずんずんと進んでいく。私は思わず持っていた蓋つき缶コーヒーをポケットにしまうと、そのまま若干恐縮しながら、部屋に入った。高そうなホテルだから、滅茶苦茶に部屋も広くて家具もいちいち高そうだ。こんなとこ二・三泊すれば私の月給くらい飛ぶんじゃないか。 


 そのまま、あこはずんずんと部屋の奥まで進むと、真ん中の二人掛けのソファにぼすんと座った。迷いなく動いてはいるけれど、あからさまにここにいること自体が嫌そうだ。普段は見ない明確な嫌悪の感情なので、見ていて少し面白くなる。


 ただ、売人と呼ばれた男はそんな様子を気にした風もなく、飲み物を準備していた。私はあららと若干、困りながらあこの隣にぽすんと座る。


 あこはしばらく私のことをじっと見上げると、がばっと肩回りにすっと抱き着いてきた。なんだなんだとちょっと身構えるけど、きっとあこが男の方を睨んでいるので、どうにも守られているらしい納得した。ただそんな様子に男は動じる風もない。


 「改めまして、麻井と申します。住良木すめらぎ なぎさんですね? お話はあこさんから窺っています。いやあ、是非お会いしたかったんです。こんな形ですが叶ってよかった」


 はあ、どうもと、返事を仕掛けたところで、あこが舌をべっと出して、急かすように口を尖らせた。


 「御託は良いから、さっさとなぎさんの様子を見てよ」


 そんなあこの様子に、男はマスクの裏からくっくっくと柔和な笑みを崩さずに応対していた。


 「これはこれは、申し訳ありません。しかしあこさん、こちらもビジネスですので、ご相談に応じる以上、多少の対価はいただきますが、よろしいですかね?」


 「………………なに?」


 しかし、あこの剣呑っぷりが凄い。初対面で路地裏で襲われてた時もここまで苛烈じゃなかったと思うんだけど。さすがにここまで丁重な相手に、そこまでの態度でいいのだろうかと少し疑問に思わなくもないような…………。



 「では以前、お話していた膣分泌液―――つまり愛液の提供について―――」



 「死ね、今すぐ死ね、窓から飛び降りてさっさとくたばれ」



 ……いや、割と妥当かもしれんな。今の一言で、私もなんか態度を丁重にする必要があんまり感じなくなってきた。発言の割に、表情に一切下心が見えてないのも、余計に気味悪さを助長させてる。


 「あらあ……、聞いていた以上にろくでもない」


 思わず私がそう言うと、麻井と名乗った男は心底残念そうに首を横に振った。


 「他の体液より30倍の価格で打診しているのですが、なかなか了承していただけなくて、困っているのですよ。採取は専門の女性医がしますが、やはりダメですかね?」


 「…………ね、デリカシーないでしょ?」


 「まあ、あこの言わんとすることはわかったかな…………」


 まあ、これはいたいけな少女には嫌われても致しかたなしって感じはする。ただまあ、そこらへんは理解したうえで、あえて言ってるようにも見えるのが。なんだろうな、食えない感じがする……。


 男はあこの言葉に少し肩をすくめると、手元にあったティーカップを私たちの前にすっと差し出した。紅茶かな、色的に。私は軽く首を横に振る。悪いけど、私はポケットのコーヒーくんで充分だわ。


 「よければ、どうぞ。では、あこさん、


 「………………」


 「どうも。……あこ、いつも通りって?」


 私の問いに、あこはしばらく苦々しそうな表情をした後に、がたんと席を立ちあがると、そのまま隣の部屋に行ってしまった。


 「なぎさんに変なことしたら、ぶっ殺してやる」


 去り際にそう言って、ばたんっと勢いよくドアを閉めて。美人は凄むと余計に怖いなんて言ったけど、そういう次元の眼じゃなかった。あれは。ほんとに殺意っていうものが透けて見えるようだった。


 「…………何しに行ったの、あれ」


 私の問いに、男はこともなげにティーカップからコップを取ると、柔和な笑みをで瞳を細めた。



 「



 ……………………。



 「部屋替える意味あんの? 玉ねぎでも切るか、目薬でも差して採ればいいじゃん」


 私の問いに、男は軽く微笑むと、固そうなマスクをずらして、その下から紅茶を口にする。久しく感じない指の先の熱が、何故だか少しだけ感じられる。


 「そういった生理的な涙は『毒』としての効果がどうも薄いようです。反対に感情的な強い作用によって零れた涙は、強力な『毒』としての特性を持ちます。ありていうに言うと、悲しみが深くなればなるほど、媚薬としての効能が高まるんです」


 「……………………」


 「あこさんに採取をお願いする際は、彼女はいつも暗い部屋に独りでいかれますね。一度、過程をお聞きしたことがありますが、昔の嫌なことを想い出して、流しているとおっしゃいましたよ」


 「…………………………なるほどぉ」


 つまり、あこはずっとあんなふうに、何度も泣いて、泣いて。それをこの男に金銭のために提供してきたと。なるほどねえ。


 「はい、では診察の方をはじめましょうか。あこさんが泣き終わるまでには済むでしょう、いつも数時間かけて泣いてらっしゃいますから」


 ああ、思わず視線が細くなってしまうのを自覚できてしまう。


 「ところで、ねえ、お兄さん。……麻井さんだっけ」


 「はい、いかがされました?」


 「ちょっと、そこに立ってくれない? そう、私の目の前の、そこ」


 私の言葉に、麻井は特に不思議そうな様子もなく丁度私の目の前にすっと背筋を伸ばして立ち上がった。


 「うん、ありがと―――、あと、ここ禁煙?」


 「いえ、喫煙はご自由に。灰皿は要りますか?」


 「ん、いいよ。電子だし」


 軽く息を吸って、それから、はあと小さくため息をついた。身体に久しく血が巡るのを感じてる。懐から電子タバコを取り出して、じっと火をつけて口に含んで暖かい空気を肺に流し込む。途中、フィルターを噛み潰してしまわないようにだけ気を付ける。ああ、こういう時は紙巻をもってりゃよかったなって、少し後悔した。


 それから、タバコを口から外して、もう一度ふっと息を短く強く吸ってから。


 穏やかで柔和なマスク男を軽く見上げた。


 「麻井さんはさあ、あこがああやって泣いてるの見て、どう想う?」


 麻井は、軽く首を傾げて笑みを深くする。すんごいビジネススマイル。わかりやすく感情がそこに乗ってない。


 「痛ましい限りですね。しかしまあ、こちらもビジネスですので、心苦しいですがお願いしなければなりません」



 「なあるほど、で、



 私の問いに、男の瞳から色が途端に抜け落ちた。柔和な仮面の奥からどこか無機質な、昆虫めいた視線が私を見降ろしていた。


 声も柔和な印象が抜け落ちて、抑揚のない淡々とした、機械音声めいた色になる。


 人の心がないかあ、これはいい得て妙だね、あこ。



 「至極どうでもいいですね、心の底から関心がありません」



 「はっはっは、想ってたより、すんげえ正直じゃん」




 そうやって、笑ってから、私は





 パカァァン。




 と、乾いた音が響いて、同時にちっと舌打ちが漏れ出す。明らかにモノではない何か、硬質なプラスチックのようなものを蹴り上げた感覚が足にある。あらかじめ、なんかプロテクターみたいなの履いてやがったな。煙草を手のひらにでも押し付けてやればよかったと少し後悔する。


 

 「くっくっく、お二人して同じ場所を狙ってくるとは、なんとも因果なものですねぇ」



 ああ、あこも日常的にやってんのかな、これ。どうりで事前に対策されてるわけだ。ふと男の顔を見上げると、気付けば少し前の貼り付けたような柔和な笑みに戻っていた。


 「帰るわ」


 たばこを燻らせながら、迷うことなく立ち上がる。それから、あこが消えた隣の部屋の扉を勢いよく開けた。中は聞いてた通り真っ暗で、やれやれほんとにこんなとこで何時間も嫌なこと想い出してんのかよと嫌気がさしてくる。


 「……え、な、なぎさん?」


 「帰るよー、あこ」


 あこの姿は広くて真っ暗な部屋の隅っこに、小さく丸まるようにうずくまっていた。目元が少し既に滲んでて、ああ、昨日見た泣き跡にそっくりだと、嫌な納得をしてしまう。


 「え、え、診察は終わったんですか?」


 「いんや、でもそのために何時間もあこが嫌な気分するのは違うでしょ。いいよ、帰ろ」


 そう言って、あこの傍にしゃがみ込む。ああ、ああ、せっかく乾いた涙の跡なんか、またつけちゃって。さっきまで何考えていたのかは知らないけれど、こんなことずっと続けてたら、誰でも病むっての。


 とりあえず、その表情を変えようと、あえてほっぺたに両手を当ててもみくちゃにしてあげる。あこの整った顔立ちが、うにゅうにゅとへんてこになるのは見ててやっぱり面白い。あこは困惑したまま、うにうにとされるがままだったけど、段々と私の言葉の意味を理解してきたらしい。


 「あ」と何か言おうとして。


 「でも」と何かを否定しようとして。


 「もう」と何かを伝えきれなくて。


 「なにしてるんですかぁ~~」


 そういって、最終的に私の胸にぐりぐりと頭を押し付けだしてきた。


 ただでさえ滲んでいた眼が、ぶるぶると震えだしている。あらら折角涙を止めるためにきたのに、結局泣いちゃってるよ、仕方ないなあ。思わず苦笑いを零しながら、その頭をそっと撫でておく。


 それにしても、結構泣き虫だよね、この子。そう言えば、初めて会ったときも泣いてたか。


 ――――なんて考えているときだった。



 「はい、確かに頂きました」



 穏やかで、でもどこか平坦な声が私の真上から降ってきた。見上げるとそこにいたのは、いつのまにか部屋に入ってきていた麻井とかいう男、手には小さなスポイトを持っている。そして、視界の端では、あこがあからさまに怪訝そうな表情をして、私と同じ方を向いていた。そんな顔になる気持ちはわかる、私も多分同じ表情をしてるだろう。


 唖然とする私達二人の頭上で、穏やかで柔和で、なのにどこか昆虫めいた瞳をする男は、いやに怪しく嗤っていた。


 「では、約束通り診察の方をはじめましょうか」


 とりあえず、あこと軽く視線を合わせてから、頷いた。それから、二人で仲良く中指を突き出しておいた。


 「ふぁっく」「ゆー」


 いや、ほんとにろくでもない奴だなこいつ。

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