第24話

早紀



 あの日の夜、酔っぱらって年上の部下に挑発をかけた私は、その酔いが回ったままなし崩し的に関係に及んでしまった。


 最初はじゃれるように相手に触って。


 気分がよくなってきたら、上着なんか脱いだりして。


 少し嫌がる部下になおのこと気分が良くなって、服の上から触ったり弄ったりを続けてた。


 ただあるところで、ぷつんってスイッチが切り替わったみたいに、反応がなくなって。


 え、って言ってる間に、部下が冷蔵庫から出したアルコールを一気に煽ったあたりで、少し様子がおかしくなった。



 挑発したの、そっちですからね?



 なんて言葉を言われた後に、初めての唇とその後とついでとばかりに視界を奪われた。


 それからは、私が着ていたネクタイやブラウスでみるみるうちに、下着姿のまま縛られて。


 自由を何もかも奪われた状態で、耳元からこれから啼かせるなんて囁かれた時点で私の中の何かがおかしくなってしまってた。


 それからのことは想い―――だしたくもないけれど、何度も何度も想い出してしまったから、鮮明にありありと今でも想い出せてしまう。


 まず、お尻を叩かれた。酷い、初めてなのに、こんなことするなんて、おかしいって、そう思ったのに、なんでかそれで身体が熱くなり始めて。


 見えないのをいいことに、身体の敏感な部分を軽くなぞられるだけで、何度も何度も身体が跳ねて変な声が出て。


 かと思ったら、しばらく放置されて、近くで足音と時々耳元での息遣いと、写真を撮る音だけが響いてて身体も頭も沸騰しそうなくらいに熱くなって。


 恥ずかしいって想っていたら、下着をゆっくりとまるで私にわからせるみたいに脱がされて、それから私の―――その――――大事な部分に触れられて。





 なんで、こんなことされて、こんなに濡れてるんですかって、酷い水音と一緒に――――。




 それで私は思わず―――――。






 「ぐにゃああぁぁっぁぁぁぁっぁぁ!!!!!?????? 死にたい、死にたい、死にたい!! はい、はい、もうだめ!! 終わり!! 私の人生これで終わり!!!!」


 住良木さんの家の炬燵で、なんでか私は自身の人生で唯一にして、絶対に人に言えない性体験を、洗いざらい喋らされていた。


 「つまり酔っぱらったあげく、攻めてやろうと意気込んでセクハラしてたら、反撃をもらったうえに形勢逆転されて、あげく自分がイジメられるのが好きであることに気が付かされてしまったと」


 そして見ず知らずの女の子に、心無いほどにバッサリと切られていた。


 「いやあ、あの日の夜は、私も大分キレてて、やらかしちゃったから……」


 「ちなみにその後にこの人、なんて言ったんですか?」


 「えー、なんて言ってたっけ。…………『イジメられて喜んじゃう変態でごめんなさい』的な奴だった気がするけれど」


 「こーろーしーてーーーーよーーーー!!! もう、こーろーしーてよー!! おわったからーーー!!! ぜんぶもうおわったからーー==!!!!! ああんぁんんもうーー==!!!」


 ああ、こんなこと、バレたくなかったのに。ほんとは屈辱に思っていることさえ、知られたくなかったのに。なんで、なんで、知らない女の子に洗いざらい喋らされて、あげくその子は住良木さんとなんだか距離が近いし、しかも私の社会的なものもう全部終わっちゃってるし。もう、もう、もうなんでこんなことに。


 「で、その後、どうしてたんですか?」


 「いや、その夜はそれでおしまい。そっからは、悪い夢として処理して、お互いもう大人だし何事もなく日常に戻ったよ、写真も消したし」


 「やっぱり……なかったことにされてたんだ…………消しちゃったんだ……」


 「なんで、そこでショック受けてるんですか、あんたは……?」


 ああ、ああ、ああ。薄々わかってはいたけれど、あの日のことはやっぱりなかったことにされてたんだ。いや、私もなかったことにはしたいんだけど。ただ、それにしてはあまりにも鮮烈的すぎる記憶になっちゃったというか、忘れたくても忘れられないと言うか、でも、でもでもでも…………。


 「あんなのでも、私にとっては初めての体験だったのに…………。人生で唯一のその…………だったのに…………」


 「ちなみに、お尻叩く以外に何したんですか、なぎさん?」


 「え? あー……んと、お尻の穴弄ったり……ローターつけて放置したり、後は普通に何回もイかせたり」


 「いーわなーいでーーーー!!!!」


 「え……? なぎさん、その、……初めてでそこまでするんですか……? えと、じゃあ私もその……色々と準備とかいりますかね?」


 「いえ、普通しないから。あの日は酔ってたのとイライラしてたのもあって、大分タガが外れてたっていうか……」


 ぐにゃぁぁぁと唸りながら、恥ずかしさといたたまれなさで身を転がしす。ただ、途中でん? と思わず頭を捻るのを止める。あれ今、この子……住良木さんとの関係匂わせなかった? なんかあの瞬間だけ、恥じらって顔赤かったし。


 「というか、本当にこの子誰なの?!」


 「あこです、なぎさんのところで居候してます。今、それ以上は、あんたに説明したくありません」


 「ひどい!!!!」


 今の子ってこんなに心無いことが言えるの?! これが現代のすれた子ども達!?


 「だって、あんた、なぎさんに残業振ってたり理不尽にパワハラしてる噂の上司でしょう? よく知りませんが、それだけで私はあんたのことが嫌いです。なのであんたには何も教えたくありません」


 心無いけど、正論過ぎて何一つも言い返せない!! だって私が悪いから!! そんなことわかってる!! わかってるけどもうなんかどうしようもなかったの!!


 「ま、まあ、あこ。仕事に関しては、必要だからやってることだから……」


 「―――とのことですが、そこんとこどうなんですか?」


 「うう、ほんとは私が一緒にいたいから、無理矢理残業させてました!! あと、なんかつい他の人にはやらないくらい、きつく当たったり、細かいこと口に出しちゃいました!! あと、あと、きつく当たり続けてたら、前みたいに逆襲で襲ってこないかなって、ちょっとだけ期待してました!!」


 言ってから、なんか勢いに任せて、とんでもないことを口走ってる気がしてきた。いや、どうせ私の人生もう終わりなんだから、最期にあらいざらい喋っちゃった方がいい気もするし。だって、私これから性犯罪者だし、会社も辞めなきゃだし、これから独りで寂しい老後孤独死にまっしぐらだし……。だから、ずっと言えなかった本心を、今ここで喋っといた方がいい気もするし……。いや、これほんとは墓まで持っていった方がいい奴じゃないかなぁ? あはは、もうわかんないよ。


 「聞いといてなんですけど、ドン引きしてます…………」


 「ですよね!!」


 自分で言ってて、酷い奴過ぎて心が痛いもん!!


 「……え、というか、なぎさんはこれで文句の一つもないんですか?」


 「いやあ……実質、私があの日、手を出したのが悪いみたいなとこあるし……相手処女だし…………受け容れてたとはいえ、少しやりすぎた気もするし……」


 「スタートがこいつの挑発なのにそのスタンスなのは、人が善いのを通り越して、もはや損しか生みませんよ、なぎさん」


 「………………仰る通りで」


 「あと、そんなことされて、尚求めてくるんだったら、筋金入りのドMなんでしょ?」


 「まあ……そこは、そうかも。すんごい順応早かったし……」


 「はひ……くふ……ごめんなさい……変態でごめんなさい……」


 ああ、心が折れる音がする。バキバキとボキボキと、自尊心とプライドと、安っぽい私の自己観念がもう粉砕機に掛けられたみたいに粉々になっている。このまま粉みたいに風に流されて、どこかに消えてしまいたい……。


 ていうか、そもそも、私の人生こんなことがなくても、きっととっくに終わってたんだ。


 だって、会社での居場所はないし、ずっと影愚痴言われてるし。出世コースからは外れてるだろうし。もう誰も私に目をかけてなんてくれてないし。キツすぎて、人に好かれる要素が何処にもないし。


 それに初めてその……好きになった人も、私のことをパワハラ上司としか見てないし、変な性癖に目覚めさせられるし。お尻叩かれる淫夢とか平気で見るし。アプローチが人として終わってるし。訴えられたら負けるかもって想いながら、酷いことも言ってたし。


 友達いないし、趣味もないし、親にも愛想尽かされてるし、何にも持ってない代わりに仕事だけはできたのに、それすらもはや失いそうだし。


 ああ、もうだめ、もうだめだぁ。


 「ぅぁぁぁぁあああんァぁぁぁん…………」


 「あら、また泣いちゃった」


 「あこ、こういう時、すんごい冷静だね……」


 「私、この世界には、ちゃんと共感した方がいい相手と、共感スイッチ切っちゃってもいい相手がいると想っているので」


 うわぁぁぁん。終わったんだあ、私の人生もう終わったんだあ。明日には警察がうちにきて、捕まって裁判もあっというまに負けて、一生パワハラセクハラ人間として家族からも罵られて、きっと刑務所でも虐められて独房で独り人生を終えていくんだあ。これからの人生ずっとそうなんだあ。


 「でも、私はやっぱりちょっと可哀そうだよ」


 「まあ、なぎさんは、そう言う気がしてました……」


 涙で視界が埋まっていたら、はあ、というため息の後、ぐんと無理矢理に首を引っ張られた。


 え、と思わず声が漏れ出て、しばらくしてネクタイを謎の女の子に引っ張られてることに気が付く。


 その女の子はまっすぐとでも確かに怒りがこもった表情で、私のことを睨んでた思わずひっと声が漏れそうになる。


 「いい? よく聞きなさい、二度と言わないから」


 間近で見ると酷く鮮烈なくらいに整った顔立ちの、その女の子はじっと冷たい眼で私を見るとゆっくりと口を開いた。私は恐怖に思わず涙をこぼしたまま、頷くことしか出来ないまま、口からは、はひとか、ひんとか、音にすらなってない声が漏れるだけ。


 「まず、なぎさんに、理不尽な残業はもう絶対にさせないこと。あとなぎさんだけに不必要な指摘や暴言は二度としないこと。要するに嫌がらせをやめろってことね、わかった?」


 澄んでいるのに、真っ黒な綺麗な瞳が、悪魔みたいにじぃっと私を覗き込んでそう脅しかけてくる。身体が急に冷えたみたいに震えるのを感じながら、私はがくがくと首を縦に振る。


 「あと、私のことは誰にも口外しないこと。もちろんの今日のことも。約束を破ったらそうだねえ、さっきの動画バラまくでもいいけど、ヤケになられても困るから……」


 そう言ってその綺麗な女の子は妖しく微笑むと、自分の指を軽く舐めると無造作にその指を私の口に突っ込んできた。



 …………え?



 訳も分からず、指を咥えさせられるまま。



 「私ね、人の心と身体が操れるの」



 そんな言葉と共に、私の中のナニかが明確に切り替わる。



 あれ、あれ? 



 なに、これ、身体が熱い。



 「条件は私の体液を取り込むこと。今、あんたの性感をめちゃくちゃに上げてる。もうえろいことしか考えられないでしょ? 全身がむずがゆくて、誰かに触って欲しくて仕方ないでしょ? それにちょっと触られただけで、気持ちよくてしかたがないんじゃない?」



 そう言って、煽られながら首筋をすっと撫でられるだけで、頭の奥から背骨を通り越して骨盤に至るまで、びりびりって何かが痺れるような感覚がした。



 甘く、刺激的で、頭の奥の思考も感情も全部塗りつぶされそうになるくらい。


 

 だめ、これ。



 きもち、いい。




 「言うこと聞くならたまにエサはあげる。でも、約束を破ったら二度と許さない、性犯罪者に変えて、一生刑務所にぶち込んでやる。わかった? わかったら返事をしなさい―――犬みたいに」



 そうやって、多分、年下の少女にいいように命令されるその感覚が。



 言い知れないほどに身体を震わせて、胸の奥からお腹の奥の方まで震えるくらいに熱さが止まらなくなって。









 「―――――――」









 言われるがまま、私は無様に飼い犬のように鳴いていた。






















 ※



 愛心



 ※


 というわけで、無事女上司は撃退できました。


 最後は発作状態のあいつをビンタで無理矢理正気に戻して、家から追い出して、連絡先もさらっと確保しといたから、なぎさんの生活もこれでしばらく安泰でしょう。


 そうしてどうにか安堵の息を取り戻した、今日この頃です。


 ふう、やれやれ………………。


 ………………。


 ………………。


 どうしてなぎさんは、今、お腹を抱えて押し殺すように笑っているのでしょう。


 「ふひひひっ、ひひひひっ、あー、面白かった」


 「そ、そんなに面白要素ありましたか……? 私は精一杯怖い演技をしてただけなんですが……」


 正直、なぎさんに発作患者を撃退するモードを見せたのは初なので、ドン引きされてないかだけが不安だったんだけど。肝心のなぎさんは、おなかを抱えて酷く楽しそうに笑っているばかり。

 

 「いやあ、それがほんと、真に迫っててさ。てか、発作のハッタリも凄かったよね。性感を操れる、だから人を思い通りに動かせるんだぞって方に持ってくとことか。最後の方はなんか悪い意味じゃなくてさ、本当にトンデモ悪魔みたいだったよねー」


 「あ、あー、あー! ダメですよ人を悪魔とか淫魔とか言い出したら! 気にしてるんですからね!」


 「ふひひひっ、いやあ、ごめんごめん。でも、マジであこちゃんこわかったー」


 「し、仕方ないじゃないですかー!! だって、目一杯怖がらせないと、相手によっては復讐とかするかもしれないんですから! ちゃんとそうならないように脅さないと、こ、これはちゃんと安全確保のために必要なことだったので!!」


 「うん、うん、わかってるよ。あこがちゃんと頑張ってくれたのは。だから面白かったのもあるけれど、これは半分安心笑い」


 そう言ってなぎさんは笑いながら、私のことをちょいちょいと手招きしてきます。私はそれにぶーたれながら、誘われるまま膝の中にスポンと座ります。


 「本当にわかってくれてますー?」


 「わかってる、あこが頑張ってくれたのは、わかってるよ」


 首を上に傾けて、私のことを抱き枕みたいにしてるなぎさんの表情を見つめます。


 相変わらずその顔は、緊張がとれたのかどことなく頬が上気して、楽しそうに安心したように笑っていました。


 まあ、色々と考えることも、よかったところも悪かったところもありますが。


 この笑顔を守れたのなら、それで全てよいでしょう。


 「ま、私のお陰で、なぎさんの残業もパワハラもこれからは減りますからねー」


 「いやあ、そこに関してはマジで助かったよ。……っていうか、主任があんなに一年前のことをこじらせてるとは想わなかった……」


 「なぎさんは他人の気持ちに敏感なのに、なんで自分に向けられてる感情だけはがばがばなんですかねえ?」


 そうやってぼやいてみると、案の定視線は逸らされるけれど、それでも声の調子はどことなく機嫌がいい。


 「はっはっは、カフェインのせいじゃない?」


 「あと、多分ニコチンの取りすぎです」


 「違いない、あとは糖分」


 「過労もですね」


 「睡眠不足かもあるかなあ」


 「栄養失調もあるでしょ」


 「あっはっはっは」


 「なぎさーん、これ、笑いごとなんですかー?」


 なんてどうにか守り切った平和の中で、私達は、けらけらと笑って過ごしてた。



 そうやっている間に、少しだけ想うことがありました。



 もちろん、全てがこんなにうまく対処できるわけではないけれど。



 もしかしたら、私達はこんなふうにして、なんとか色々乗り越えながら、ずっとこれからも過ごしてけるんじゃないかなって。



 冬が終わるまでとか、そんな限られた一時だけ、一緒に居るんじゃなくたって。



 ずっと、ずっと。



 もしかしたら。



 そんなことを想った、慌ただしい冬の夜のことでした。



 「さ、なぎさん、ご飯にしましょ」



 「うん、今日のご飯は何かなー?」



 炬燵から顔を出したねこくんが、自分の分を催促するようになーと鳴きました。




 私達はそれに顔を見合わせてにんまりと笑っていました。



 

 ちなみに、この日から女上司は、なんか変なアレな癖がまた開いたそうですが、そんなことは、私の管轄外なので知りません。知らないったら知りません。

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