22 すべて燃えてしまった(1)

 駐車場へ向かう途中、サイレンを鳴らしながら走る何台ものパトカーとすれ違った。さすが警察だ。動きが早い。片那に電話をしてから五分と経っていない。


 失禁したフランクの両手を入念に縛りあげると、薫は片那に電話を入れて、自分たちの無事を知らせた。そしてフランクの居場所と、二人の部下とヘンリー・イワサキがいる倉庫の場所も伝えていた。


 しかしもうしばらく経つと、親父は愕然として道端に両膝をつくか、それとも怒りの炎に包まれるかの選択を迫られることになる。


 燃えているNinja 1000が薫の脳裏を過ぎった。どちらにせよ、矛先は自分に向けられるのはわかりきっている。それを考えるだけで憂鬱になる。


 撃ったのはマリアなのに、なぜ自分がこれほどまでの強迫観念に苛まれなければならないのだろうか。隣でAK12を慣れた手付きでいじっているマリアを見ていると、理不尽な想いに駆られる。たぶんマリアは何も考えていないのだろうな。そう思うと腹が立ってくる。こんなこと、まったく理にかなっていない。なぜ自分だけが責められなければならないのだろうか。それは絶対におかしい。


 薫はヘッドレストに思い切り握りこぶしを叩きつけた。マリアがホワンとした表情で薫を見た。


 ――何、一人だけ幸せそうな顔をしているんだよ。俺の気持ちも少しは察しろよな。


 駐車場の少し手前で車が止まった。

 三人は車を降りると、マイクが先頭を歩き、薫とマリアがそのあとに続いた。

 駐車場のまわりを囲んで植えられてある木々の間からターゲットを注視した。マイクがあの黒のミニバンだと言って指をさした。


 手前に停まっている車が邪魔で、ミニバンの後側だけしか見えないが、車の向こう側にディンゴが立っているのが見えた。チャールズの姿は見えない。たぶん車の中だろう。


 気になることがある。手前に停まっている車。青地に白文字のナンバープレート。フロントのポールにはアメリカ国旗が掲げられてある。


「アメリカ大使館もこのフェスティバルに協賛していて、大使が挨拶する予定だったが、駐車場での炎上騒ぎから、テロを警戒してすでに別ルートで帰ったみたいだ」

 薫が訊く前にマイクが言った。

「公用車は置いていったのか」

「当然だろ。なにか仕掛けられているかもしれないからな」


 ということは、あの車には誰も乗っていないということか。それにしても、なぜアメリカ大使館の公用車なんだ。


「マイク、どうすればいい?」

「とりあえずミニバンのタイヤを撃って、動けないようにしたいけど、公用車が邪魔なんだよな」

「マリア、あのミニバンのタイヤを撃ち抜けるか」


 薫は少し離れたところで、AK12のスコープを覗いているマリアに言ったが返事がない。意識は完全にミニバンにいっているようだ。


 薫がもう一度、言おうとした時、チャールズが車から出て来たのが見えた。やっぱり中にいやがったか。薫がそう思った時、マリアがみ~つけたと言って、チャールズを追うように銃口を動かし始めた。


「今度こそ、あの時のお礼をたっぷりとお返しして差し上げるわ」


 マリアが引き金にかけた人差し指をリズミカルに動かしている。

 まずい! いまにも撃ってしまいそうだ。薫はマリアの横に行くと、マリアがスコープから目を離した。


「早く撃ちたいんだけど」


 マリアの目が輝いている。まったく何を考えているのやら。薫は呆れながらも、ミニバンのタイヤを撃ち抜けるかと、もう一度訊いてみた。


「簡単よ」

「でも手前の車が邪魔だろ」

「大丈夫よ。手前の車に消えてもらえばいいのよ。そのあとでミニバンとあの二人を料理する。完璧じゃない」


 マリアがAK12を構えてスコープを覗き込んだ。


 ――へっ?


 薫は一瞬にして鼓動がマックスにまで跳ね上がるのを感じた。

 マイクの顔が青ざめている。


「マリア、やめろ! それはだめだ!」


 薫が叫んだと同時に、AK12の銃声が轟いた。すぐに二発目の銃声。直接ガソリンタンクに引火したのか、車は大きな爆発音とともに激しく燃え上がった。チャールズとディンゴが炎に追われて芝生に向かってダイブした。


 ――やばい……。


 薫は呆然として燃え上がる公用車を見ていると、「あとはミニバンね」というマリアの声が聞こえた。


 マリアは再びAK12を構えると、ミニバンに狙いを定めた。

 ――えっ?

 薫の息が止まった。


「やめろ! それは、それだけは、やめてくれ!」


 マイクが絶叫した。だが、その叫びは狙撃に集中しているマリアの耳には届いていなかった。


 最初の一発がミニバンの燃料タンクを撃ち抜いた。そして横で燃えている公用車の火が漏れ出たガソリンに引火すると、ミニバンは唸りを上げて、あっという間に炎に包まれた。


「イエ~イ! 一丁あがりぃ、じゃなくて、二丁あがりぃ」


 マリアが炎をバックに片手を上げた。

 燃え盛るミニバンを見て、マイクがフラフラとその場に座り込んだ。

 薫は無邪気にポーズを決めるマリアを見て頭を抱えた。


 これでマイクの任務は別の意味で終わったということになる。そしてマリアはとんでもないものをこの世から消し去ってしまい、おまけにアメリカ大使館の公用車まで爆破してしまった。


 片那のNinjaどころの話ではない――。

「二人共どうかしたの?」

 マリアが訝しげに薫とマイクを交互に見た。

「いや、なんでもない」

 マイクが手で顔を覆ったまま首を振った。

「変なの」


 マリアは不満そうに言ったが、思い出したように再びAK12を手にした。狙いをつけた先にはチャールズとディンゴがいた。二人はよろけながらも逃げようとしているところだった。マリアは「そうはいかないわ」と言って、二人に向けてテンポよく引き金を引くと、二人の足元に土煙が舞いあがった。二人は足止めされたようにして、その場に倒れ込んだ。


 マリアが二人の元に駆け寄ると、倒れたままのチャールズとディンゴを見下ろして銃口を向けた。


「私たちのことは覚えているわよね」

 チャールズとディンゴが同時に首を縦に振った。

「だったら私たちについての説明は省略ね」


 マリアがAK12の銃口をチャールズの額に突きつけた。チャールズは恐怖で声も出せないのか、口をパクパクさせている。隣のディンゴは顔を引き攣らせたまま、その様子を黙って見ている。


「マリア、その辺にしておけ」

 薫がマリアの肩に手をかけた。

「そんなもので撃ったら脳みそが飛び散って服が汚れる」

「だったら、こっちを使おうかしら」

 マリアがデザート・イーグルを手にした。

「そっちもはもっと悲惨なことになるだろ」


「俺にやらせてくれ」

 マイクが横から割って入ってきた。手にはコルト・パイソンが握られている。

「こいつらを道連れにしてやる。俺一人じゃ寂しいからな」

 マイクがチャールズとディンゴにコルト・パイソンを向けた。


 ――やばい、目が完全にイッている。


 薫は咄嗟にマイクの前に立ちはだかった。


「どいてくれ、薫。もう俺は死ぬしかないんだ」

「マイク、落ち着け。とにかく落ち着け」


 薫は必死で宥めようとしたが、マイクの意識は完全にどこかへ飛んで行ってしまっているのが見ているだけでわかる。まるで抜け殻と向き合っているみたいだ。


「マイク、どうしちゃったの?」


 空気も読まずにマリアがマイクの背中を叩いた。しかしマイクからの反応は薄かった。


「ちょっと深刻な状況に陥っているから、そっとしておいてやれ」

「深刻って?」

「ちょっとな」

「ちょっとって?」

「だから深刻なんだよ。もう――、少し黙っていてくれ」


 とにかくマイクを落ち着かせよう。

 薫はマリアにチャールズとディンゴを見張るように言うと、マイクを少し離れた芝生の上に座らせた。


「ミニバンの中に一億ドルの絵があったんだよな」

「そうさ」


 マイクのか細い声。

 薫の口から自然と深い溜め息が漏れた。


「あとは絵を回収して任務は終わるはずだった。だけど燃えてしまった。俺はもうアメリカへは帰れない」

 マイクが顔を伏せて頭を抱えた。


 あまりに深刻すぎて、掛けるべき言葉すら思いつかない。一億ドルというと、日本円で百数十億円か。いまの薫にとって、想像もできないほどの大金だ。それ以外に、他の美術品などがあったとすれば、マリアが燃やした金額は、五億ドルはくだらないかもしれない。


 ――五百億円か……。


 考えるだけでも嫌になってくる。そういえば、Ninjaを燃やしたのもマリアだ。薫はマリアの様子をちらっと見てみた。チャールズとディンゴに銃を突きつけている。見張っているのだろうが、なんとなく楽しそうに見えるのが腹立たしい。


「おい、どうしたんだ」

 聞き慣れた声。

 薫が顔をあげると片那がいた。

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