20 フランクの誤算(1)
梁に座ってフランクたちの様子を窺っていたマイクは、吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。これではチャールズやディンゴのことは笑えない。ブルーパンサーのボスともあろう者が、スマートフォンを失くして右往左往しているのだ。やっていることは、そこいらのガキと変わらないではないか。
「ジョン、見つかったか」
フランクの声が倉庫内に響いた。
「たぶん、ボスがさっきガキと揉み合った時に落としたとしか考えられませんよ。これだけ探しても見つからないんですから」
フランクは舌打ちすると、握った拳をテーブルの上に叩きつけた。
「だったら、どうするんだ。あれがないと、ゴッコの絵どころかすべてを失うんだぞ。いくらの損失だと思っているんだ。お前の命に代えてでも探し出せ」
「そんな、無茶を言わないで下さいよ、ボス」
ジョンの声が徐々に小さくなっていく。
――こんな時に、アンディかジョージがいれば、的確な助言でもするのだろうが、下っ端ではどうにもならないだろうな。可哀想だけど、同情はしないぜ。
何にせよ、ヤツらが混乱している今がいい機会だ。マイクは出ていくタイミングを図り始めた
「お前らのスマートフォンを出せ」
フランクの怒鳴り声が響いた。そしてジョンとマックスとイワサキ、それに楓音とレイのスマートフォンを集めると、それらを使って電話をかけ始めた。しかし相手には繋がらないみたいで、電話を切る度にフォアレターワードを交えて口汚く罵った。
――このおっさん、本当にアホだ。
あの英国貴族のような上品な話し方は完全に消え失せている。これでは、ただのイカれたならず者と同じだ。
マイクはマリアに目を移してみた。
マリアは両手を後ろ手に縛られたまま、シートの上に座らされている。タオルのようなもので口を塞がれているのが苦しいのか、時折、頭を揺らしている。ただ、意識は戻っているから、とりあえずの問題はなさそうだ。
さっきマリアと薫が来なかったら、たぶん自分は死んでいただろう。これは、そのお返しだ。マイクは胸で十字を切ると、右手で懐に収めてあるコルト・パイソンの感触を確かめた。
――さあて、そろそろ行くか。
マイクが梁から降りようとした時、倉庫内にバイクのエンジン音が響いた。
マイクは動きを止めた。
マックスが慌てて走ってきた。
フランクとジョン、そしてイワサキがエンジン音のする方を凝視している。
「どうしたんだ」
「それが、ボス、あのガキが――」
警察かと思ったが、一台のエンジン音しか聞こえない。マイクは梁に座りなおすと、そのままエンジン音の主が表れるのを待った。
ヘッドライトを点灯させた一台のバイクがフランクたちの前で止まった。
――薫!
マイクは梁の上から薫とフランクたちの位置関係をすばやく確認した。なぜ薫が来たのかわからないが、こうなったら後ろの面倒を見るしかない。
薫を見るとフランクの表情が急に和んだ。
「どうしました。薫くん。追ってくるなと忠告したはずですが」
フランクが薫を見るなり言ったが、薫はそれを無視して、シートの上で座らされているマリアに向かって大声で声をかけた。
マリアは薫を見ると大きく目を見開き、体を揺すった。
「ああ、このお嬢さんを迎えに来たのですか。それは、それは……」
フランクがマリアのところへ行くと、マリアの背中を足で蹴飛ばして、床にうつ伏せにして倒した。そして足で背中を踏みつけると、薫に向かって両手を広げて戯けてみせた。
「気の強いお嬢さんみたいですから、大人しくさせるには、こうして躾けてあげないといけません」
「てめえ……殺す」
低く唸るように薫が言った。
「おっと、これは失礼。せっかく来ていただいたのに、怒らせてしまったようですね。お詫びします」
フランクはそう言うと、今度はマリアの後頭部に足を置いて、道端に落とした煙草の吸殻を消すように、ぐりぐりと靴底で踏みつけた。
うつ伏せのままのマリアが足をバタつかせた。
――このドS野郎。
マイクは見ていられなくなり、梁の上に立ち上がった。
無抵抗なマリアの体が弄ばれる様子を見て、薫も完全にブチギレたようだ。マイクはコルト・パイソンを手に取り二人を注視した。
――薫、安心しろ。俺はいつでも行けるぜ。
「足をどけろ」
薫が静かに、しかし、はっきりと言った。
「足をどけろということは、こうですかな」
フランクは、これまで以上に乱暴に、マリアの頭を足で踏みつけた。
「殺してやる……」
薫が完全にイッているのがここからでもわかる。それにマイクも我慢の限界に来ていた。
「言っておきますが、薫くんが背中に挟んであるモノは手にしないことです。そんなものを手にされたら、私も対応せざるを得なくなりますから――。誤解しないで下さい。私はそれでもいいのですが、薫くんは違う。薫くんは、私と違ってそういったモノの扱いには慣れていない。半端な考えで、私にそのようなモノを向けたらどうなるのか、少し考えればわかりますよね」
薫は憎々しげにフランクを見つめたまま動かない。
「それでいい。薫くんは、私に銃を向けてはならない。それさえ理解できていれば、ここで死ぬことはありませんから」
――薫が動けないからと言って、言いたい放題だな。こいつ、マジのクソ野郎だ。
マイクは満足そうに言い放つフランクを見て、すぐに飛び出したい衝動に駆られたが、薫の様子が少し変わったような気がして動きを止めた。
薫は何も言わずにフランクを見ている。しかしマイクの目には薫がやけに落ち着いているように見えた。つい今しがたまでブチギレていたはずなのに、どうしたのだろうか。
「ところで薫くんに一つ質問があります。よろしいですか」
フランクが薫に近づいてくると、デザート・イーグルを向けてニヤリと笑った。
「何だよ、早く言えよ。おっさん」
銃口を突きつけられているが、薫の口調はしっかりしていた。
「もう一つ言っておきましょう。目上の者には敬意を払うことです。まずは言葉遣いからです。薫くんはそうしたお勉強をされたほうがよろしいようだ」
フランクはデザート・イーグルの銃口を薫の額につきそうなほど近づけた。
薫がバイクのアクセルを大きく吹かし始めた。エンジンが耳をふさぎたくなるほどけたたましく吠える。だが薫は右手を捻りながら無表情のままフランクを見つめている。
――やっぱりブチギレているわ。
マイクは飛び出すタイミングを見計らおうと、全神経を薫とフランクに傾けた。
バイクが繰り出すエンジン音の中に銃声が響いた。フランクのデザート・イーグルがバイクの左側のバックミラーを撃ち抜いた。だが薫はエンジンを吹かすのを止めない。
「早く言えよ、おっさん。言いたいことがあるんだろ」
薫がもう一度言った。
「お前、ボスのスマートフォンを持っているだろ」
フランクの横に立っていたジョンが言った。
エンジン音が止まった。
途端に倉庫内が静寂に包まれた。
「おっさんのスマートフォン?」
「そうだ。お前と揉み合った時に落としたかもしれないから訊いているんだよ」
「スマートフォンね……。ああ、これのことか」
薫が尻のポケットからスマートフォンを取り出すとフランクに見せた。
「わざわざ持ってきてくれたのか。よこせ」
フランクが銃口を向けたまま左手を差し出した。
薫はスマートフォンを人差し指と親指で挟むようにして持ち、ぶらぶらと揺すっている。
「おい、間違えるなよ。そこのアホなおっさんが落としたのを俺が拾って持ってきてあげたんだ。まずは、お礼を言うのが筋ってものじゃないかね」
薫の言ったことは無視して、フランクがジョンにスマートフォンを取れと命じた。
ジョンが薫に近づくと、スマートフォンに向かって手を差し出した。しかしスマートフォンはジョンの手をすり抜け、音を立てて床に落ちた。
「悪いな、手が滑ったみたいだ」
ジョンが落ちたスマートフォンを拾おうと腰を屈めた。
「離れていないと危ないぜ」
薫がジョンに笑いかけた。エンジン音と同時にバイクの前輪が持ち上がると、ジョンの顎を直撃した。ジョンはのたうち、転げ回った。そして持ち上がった前輪がドスンと落ちると、スマートフォンが砕け散った。
「わりい。壊しちゃったみたいだな。俺が働くようになったら買ってあげるから、それまで待っていてくれないかな」
不敵な笑みを浮かべながら薫がフランクを見た。
――やるじゃねえか。見直したぜ。やばいことになったけど、これで面白くなった。つまらないやつだと思っていたけど、それは撤回するぜ。
マイクは自然と口元が緩むのを感じた。
「てめえ……、殺す」
フランクの表情が鬼のように変わった。しかし、そんなことはどうでもいいとばかりに、薫はフランクに向かってバイクを急発進させた。フランクはバイクを横っ飛びで避けたが、薫はそのままマリアのところまで行くとバイクを止めた。
薫はマリアの口を覆う布を取ると、両手を縛っている縄を解き始めた。
「いい加減にしろよ、坊や」
薫の後ろにフランクとジョンとマックスがそれぞれ銃を持って立った。だが薫はそんなことなど無視してマリアを抱きしめた。
「大丈夫か」
「なんとかね」
マリアが大きく息を吐きながら言った。
「いい度胸だ。ならば、このまま死ね」
フランクが薫にデザート・イーグルを向けた。その瞬間、フランクの横にいたジョンとマックスがうめき声をあげてその場に倒れた。
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