9 薫、助けに行く(2)
薫はすぐさま一階に駆け下りると、片那の部屋に入り、本棚の左から二番目の本の中に隠してある五万円を抜き取った。片那のへそくりの隠し場所はいつも同じだ。薫が中学生の頃からずっと変わらない。
玄関で靴を履いていると、由佳が慌てて出てきた。こんな夜中にどこへ行くのと訊く由佳に、マリアを助けに行くとだけ言って家を出た。由佳はちょっと待ちなさいと呼び止めたが、聞こえないふりをした。外へ出て振り返ると、二階の薫の部屋の窓からレイが手を振っていた。必ずマリアを連れ戻すからな。薫はそう心に決めてレイに手を振り返した。
薫は西荻窪の駅からタクシーに乗り、大川埠頭へ向かった。すでに夜中の十二時を過ぎている。片那には何度か電話を入れてみたが繋がらなかった。たぶん電話は無視されているのだろう。親友から預かった娘がいなくなったのだ、片那は必死のはず。薫からの電話などに構ってなどいられるわけがない。
でも、これ以上待つことはできない。マリアの居場所がわかったのだから、少しでも早く助けたかった。
* * *
トラックターミナルを過ぎた辺りから急に景色が変わった。真夜中にも関わらず煌々としていた港湾施設がなくなり、照明灯に照らされる道路しか見えなくなった。行き交う車はなくなり、もちろん歩いている人もいない。工場の煙突だろうか、小さな灯りが点滅しているのが遠くに見える。
薫はハートマークがある場所の少し手前でタクシーを降りた。真夜中の人気のない道路は不気味だった。タクシーの運転手が薫を見て心配そうにしたが、大丈夫ですというとそのまま行ってしまった。
時折、生温い緩やかな風が吹く中、薫は目的の場所へ向かった。五分とかからずに、その場所に着いた。低いフェンスに囲まれた敷地内にコンテナが積み上げられてある。
念の為、スマートフォンでもう一度場所を確認してみたが、間違いなかった。午前一時半。自然と足が震えてきた。やはり一人で来るべきではなかったのか。そんな思いが頭を過ると、徐々に心細くなってきた。
鎖で遮られた出入り口から中を見てみた。暗闇の中に薄っすらと建物が見える。
――間違いない。スマートフォンで見た建物と同じだ。
人がいる気配は感じられない。窓からも明かりは漏れていない。だが、ハートマークはあの建物の真上にある。
薫はフェンスを跨いで敷地内に入った。
ゆっくりと建物に近づいていく。
何の気配も感じない。本当にここでいいのだろうかと思うほど深閑としている。
ドアの前まで来ると、もう一度まわりを見回してみた。何も変わったところはない。
薫は大きく深呼吸をすると、ハンドルレバーに手をのばした。そのとき、音もなく内側からドアが開いて、薫の顔に光が当てられた。薫は咄嗟に目を瞑り、両手を顔の前に翳しながら後退った。目を開けるとドアのところに銃を持った大柄な白人の男が立っているのが見えた。見るからにヤバそうなその男は、薫に鋭い視線を投げかけてきた。
男の背後から別の男が出てくるのが見えた。白人の男とは対象的に背の低い初老の男だった。真夏だというのに、きちんと上着を着ている。たぶん日本人だろう。
「坊や、ここに何か用かね」
薫を観察するように見ながら初老の男が言った。
「こんな夜中にこの辺をウロウロしている人は多くない。何をしていたのかな」
防犯カメラか。そんなことすら気がつかなかった。こんなこと、当たり前のことなのに――薫は自分の愚かさを哀れんだ。
「何か言ってくれませんか。そうでないと、どうすることもできません」
初老の男がやんわりとした口調で言った。
相手は余裕綽々だ。完全に舐められている。
「マリアを――マリアを助けに来た」
薫は自分を鼓舞するようにして、腹の底から声を出した。
「マリア――。ああ、あのお嬢さんですか。ということは、君はあのお嬢さんのボーイフレンドですか。そうですか、そうですか」
初老の男が愉快そうに笑った。
「それにしても、よくこの場所がわかりましたね。どうやって見つけたのですか」
「そんなこと、どうでもいいだろ。早くマリアを返せ」
「夜中なのに元気がいいですね。わかりました。では、お嬢さんのところへ連れて行ってあげましょう」
初老の男は白人の男に向かって何か言った。
「どうしたのです。そんなところに突っ立っていても、お嬢さんには会えませんよ」
初老の男が中に入るよう手で薫を促した。しかし覚悟を決めていたはずなのに、いざとなったら体が言うことを聞かない。白人の男が持つ銃がチラチラと目について離れない。再度、初老の男が、どうしたのかと訊いてきたが、返事のしようがない。何も言わずに動こうとしない薫に業を煮やしたのか、白人の男が薫の腕を取ると、強引に建物の中へと引きずり込んだ。
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